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どんな世界でも最も魅力的なものは『リアル』であって『リアル』が必要だということ

ドラえもんの道具は『どこでもドア』と『もしもボックス』で完結するんだよと言ったのは夫だったが、そこに『タイムマシン』は付け加えてほしいと言ったのは私だ。

確かに『どこでもドア』はともかく『もしもボックス』は最強で、巷では『もしもボックス』最強説が有力である。

まあ、『もしも・・・だったら・・・』と『もしもボックス』にお願いするだけで、世界を変えられるのだからもちろん『もしもボックス』は最強だろう。

世界一のお金持ちだろうと、世界一の天才だろうと、世界一の美女であろうと思いのままだ。

・・・とはいえ、私は『もしもボックス』には全く魅力を感じない。

何故かと問われればこう答えるだろう。
『どこでもドア』『タイムマシン』に比べると、はるかに実現可能性が高いからだ。
いや、もう、数十年後の近未来には『もしもボックス』など完成されていて子供のおもちゃとして普通に販売されているだろう。

もちろん『もしもボックス』という電話ボックスに入って「ねえ、僕が世界一のお金持ちだったら?」と言うのではない。
VRのゴーグルをかけて「ねえ、SIRI、僕が世界一のお金持ちだったら?」と言うのだ。

格段に進化した莫大な演算能力を持つAIが(ある程度のプラットフォームは共通とはいえ)個人の趣味嗜好にあったバーチャルな世界をゴーグルの中に描き出してくれるだろう。
だからそこで、好きなように生きればよい。

どう?
つまらない世界だろう?

いやいや、そうじゃないよ、バーチャルじゃなくて、現実に私が世界一のお金持ちであることが必要なんだよ。
と、言うかもしれない。

しかし、それは残念ながら出来ない。
「世界一のお金持ちになりたい」のがたった一人ならばそれも可能かもしれないが、おそらく複数人はいるだろうから、その場合の利益が相反する。
だからたった一人のお金持ちを作るためには、自分だけの世界を創造する必要があるのだ。

そう、そこが『もしもボックス』が最強であり、また最弱でもある理由である。
『どこでもドア』も『タイムマシン』も誰もが持っていても構わない。(タイムマシンで歴史を変えてしまうのではない限り)各人の利益はおそらく相反しない。
だから『どこでもドア』の製作も『タイムマシン』の建造もリアルで検討することが出来るが(個人的にはタイムマシンはタイムメガネのような見るだけなものなら実現の可能性はあるのではないかと思っている)、『もしもボックス』の製作はそもそもバーチャルで検討することになるだろう。

さて、何故いきなりこんなことを検討し始めたかと言うと『サイエンス・ファクション ー疑り深い科学者のための宇宙旅行入門ー』という本を読んだからだ。

この本の著者であるへーラルド・トホーフトという人物はオランダの物理学者で1999年にはノーベル物理学賞も受賞している高名な学者なのであるが、その彼がSF小説で語られる未来は実現可能か?という問題に科学に忠実にまじめに挑んでいるという点では非常に興味深い。​

正直、特撮ヒーローものやドラえもんなど、SF(?)のアイディアが現実に実現可能かどうかについては私の知る限りでも『空想科学読本』や『物理エンジン』などで検証されているが、もちろん、本書はそれらとは全く内容が違う。

コンピューターの極小化の限界(原子レベル部品が限界値・・・但しこの大きさになると誤作動が増える)から逆算するとムーアの法則の限界到達はあと60年ほどでくる。とか。

例えば。
どんなに早い宇宙船を作ったとしても数千キロメートル/秒以上の速さで移動するのは不可能なので、数百万年もかかる本格的な宇宙旅行をするのは人間(宇宙人)ではなく人工的な知的生命体(ロボット)である。
・・・とすればそれをすることに一体どんな意味があるのか?という動機が一番問題になる。なので、これを成し遂げるとすれば、植民星を作るために宇宙に旅立った、自分の子供を生産する能力を持ったロボットである。
このロボットならば自分の子孫を増やしながら10億年ほどかけて銀河系全体にいきわたるだろう。
・・・という考え方を、文明をもった知的生命体がいたならば、必ずするはずなので、その知的生命体が作ったロボットたちが今頃は銀河系中にあふれているはず。ところが、実際にはそのあふれているはずのロボットがいない。
・・・ということはもともと宇宙人は存在しない(少なくとも銀河系には)

・・・と、これがエンリコ・フェルミの主張する「皆、どこへ行ってしまったのだろう?」という問いかけで、トホーフトも同じ主張らしい。

当たり前だが、この世界に住み続ける限りこの世界の物理法則には従わなくてはならない。どんな想像も可能でどんな未来も描けるのは人類ではあるが、実際に実現可能性があるかという話になってくると、当然限界があって、その限界とは「この世界の物理法則に従わなくてはならない」ということである。

私はSFは大好きで、しかしそれがサイエンスフィクションであるのならば、可能な限り物理の法則には即しておかなくてはならないと考えている。

光速を超えて移動する宇宙船があるのなら、可能な限りその光速を超えて移動する宇宙船の理論的な構造を明らかにしなくてはならないと考えている。

つまりあまりにも荒唐無稽なものは好きにはなれない。

・・・とはいえ、『サイエンス・ファクション』で語られる事実はSF好きにとっては辛らつだ。
物理学の法則がある限り、全てのテクノロジーに限界がありその限界を超える手段はなさそうだ。そしてそれはあまりにもシビアで、私たちの空想するほとんどのことはまず自由にはならないようである。
それでも、トホーフトは物理学の法則に従い、夢をかなえろ、と、本書を締めくくっている。

とても残念なことだが、現実というものはそういうものかもしれない。荒唐無稽な夢を追っても意味のないことで、現実的な制約の中で何かを創造する。結局全てがそういうもので、私たちはどうにもならない制約の中で生きていて、そのうえで何かをなさなくてはならないのだ。

・・・本当のことを言うと、一切の物理法則の影響を受けない夢の世界で暮らせたらどんなに楽だろうかと、つまり「もしもボックス」の世界で生きられたのならどんなに楽しいことだろう、とも思うのだが・・・

いや、やっぱり、物理法則から逃れられない、このリアルな世界を生きる方が本当は魅力的なのだろうか・・・?

現実にはテクノロジーとAIの進化が、私たちに「物理法則から切り離して生きる」夢を見させている。
絶対にリアルではありえないゲームの世界がどんどん進化して、ゲームの中で生きることを可能にさせてきている。

物理法則の影響を受けないゲームの世界は、実に魅力的に出来ている。

今後ますます、未来の私たちは「物理法則に縛られている現実の世界」と、「物理法則に縛られない夢の世界」とを何度も往復することになっていくだろう。
夢の世界がリアルになり過ぎれば、脳が混乱を起こすこともあるかもしれない。だから何度も自分自身に言い聞かせ続けなければならない。
「どんな世界でも最も魅力的なものは『リアル』であって『リアル』が必要だ」と。

※因みに『どこでもドア』『タイムマシン』『もしもボックス』はドラえもんの道具の中でも断トツ人気の上位3つである。

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