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「津軽」を旅する〜③金木(斜陽館)・芦野公園

はるか前方に、私の生家の赤い大屋根が見えて来た。淡い緑の稲田の海に、ゆらりと浮いている。私はひとりで、てれて、
「案外、小さいな」と小声で言った。
「いいえ、どうして」北さんは、私をたしなめるような口調で、「お城です」と言った。

『帰去来』,太宰治,昭和17年,八雲

「疎開の家」を出て5分ほど歩くと、ついに「斜陽館」の正面にたどり着いた。ここまで来るの、本当に長い道のりだったな‥。

あまりに感極まりすぎていたので、一回クールダウンしようと思って、先にすぐ近くの「津軽三味線会館」に入る。前日、生の津軽三味線と民謡を聴いたおかげで、興味津々になっていた。

津軽三味線は、江戸時代、この地域に暮らし、8歳で病気で失明して両親も早くに亡くしていた男の子が、芸で身を立てるために演奏したことから始まったらしい。人の真似じゃない自分のオリジナルを追求していたという。

厳しい自然と環境で生まれた音楽だから、惹かれるんだろうか。これから寒くなるにつれ、空気が乾燥すると、よりいい音で響くと聞いた。

他の地域の弦楽器も展示されていて、聞き比べができる。弦楽器って、古代から世界中にあるんだな。音でどの地域のか、何となくわかる。インド、アフガニスタン、中国、沖縄‥。人間の脳の音認識力すごい!

ここでも、生演奏が聴ける。力強くて本当にかっこ良かった。ずっと聴いていたい。

しかし、帰りのローカル線も、本数に限りがある。いよいよ「斜陽館」に入らないといけない。ついに、入ってみることにした。

生家の玄関にはいる時には、私の胸は、さすがにわくわくした。中はひっそりとしている。お寺の納所のような感じがした。部屋部屋が意外にも清潔に磨かれていた。もっと古ぼけていた筈なのに、小ぢんまりしている感じさえあった。悪い感じではなかった。

『帰去来』,太宰治,昭和17年,八雲

太宰先生の言葉は、本当だった。そもそも私は疑ってなかったけど、この表現そのままだった。嬉しかった。

太宰が生まれる2年前、1907年に父・津島源右衛門によって建てられた豪邸。ヒバやけやきが使用され、国の重要文化財建造物に指定されている。設計したのは、当時、大工の神様と言われた棟梁・堀江佐吉となっている。

土間からゆっくり上がって、和風、洋風どちらの部屋も蔵も、見学できた。

高い天井で広々とした土間。大人数を賄える御膳が収納されている
豪華すぎる仏間。お寺みたい
個人宅と思えない長い廊下。19室あるらしい
迷路みたいにあちこちに繋がる素敵な階段
和洋折衷でかわいいデザイン。1階の中では1番好きなつくり
完全な洋室で、調度品も津島さんちのものらしい
ユニークな欄間。襖の組み合わせもオシャレ

展示室には、太宰が実際に着た結婚式の紋付袴や久留米絣の着物、津軽塗りのお道具箱がある。津島家の鶴の家紋が入った藍染の風呂敷も素敵だった。

室内はどこも、釘隠し、襖の引手、欄間、天井など隅々まで手が込んでいて素晴らしい。古いお金持ちの邸宅は最高だ。建築物としても見惚れる家だった。感慨深く、あちこち見て回った。

ここにいられる時間もあとちょっと。急いで次の目的地、隣駅の芦野公園に向かう。太宰が小説の中で眺めた木造駅舎が、今は喫茶店になっている。今日は絶対にここでお茶をすると決めていた。

お店の中はお客さんが多かったけど、何とか座れて注文する。ここからそのまま列車のホームに出られるらしく、切符も買えた。珍しい喫茶店だと思った。

そして、ここでも、ピース又吉氏のサインを発見した。行く先々に彼がいる。いや、有名な太宰ファンだからワカルのです‥。

レトロな店内で甘いコーヒーを飲みながら、今日一日を振り返って幸せを感じる。来られて良かった。途中会った方も、みんな親切にしてくれた。

林檎ジャムコーヒーと、この辺りでよく食べられる馬肉・根曲たけ(太宰が好きだったらしい細い筍)入り饅を注文。完璧な旅をやり遂げた

帰り時間近くなり、ホームに出た。芦野公園の風景をもう一度ゆっくり眺める。すごい一日だった。文学少女の夢を、大人になった自分が叶えてあげられた。ここにいられるのもあと数分。どんな景色も見逃したくない。

そう思っていたら、さっき喫茶店の中にいた地元のお客さんらしいおばちゃんが、声をかけてくれた。私が乗る五所川原行き列車の進行方向は右で、自分は反対の左方向に進む列車に乗ると教えてくれた。最初、聞き取れなくて何回か聞き返したら、「津軽弁、わからない?フランス語に似てるらしいよ」と笑っていた。私の列車の方が先にきて、乗りこんだ。おばちゃんは長い間両手をあげて振ってくれた。他の旅行地で、私はこんな風に誰かと交流できたことはなかった。

列車が出て、五所川原に向かう。「あぁ、長い旅の目的が終わってしまったんだ」としみじみと車窓を眺める。行きと同じく津軽平野が広がっている。私の田舎は平野じゃないけど、感じは似ている。東京より早く夜になるし、早く冬になる。やりたいことが見つけられず、退屈で、本ばかり読んで過ごした場所だ。今、途中駅で乗ってきた高校生たちも、そうなんだろうか。

そんなことを思っていたら、目の前に岩木山が見えてきた。わぁ、キレイ!と写真におさめたくて思わずカメラを向けたけど、ガラス越しで上手く撮れなかった。美しい景色のおかげで、沈みかけた気持ちが、また上がってきた。

帰り道でも、見てないものがあるな。ここも、過去に私がいた場所と同じじゃない。一度きりの人生も折返し地点くらいだけど、これからもいろいろなものを見て、違いの分かる大人になろうと思った。

津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮かんでいる。実際、軽く浮かんでいる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。
「金木も、どうも、わるくないじゃないか」私は、あわてたような口調で言った。

『津軽』,太宰治,昭和19年,小山書店







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