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私は父を抱きしめることにした

ふと、親離れ子離れについて考えていた。私が思うに大人になるということの1つは親を他人として認識できるかどうかだ。

自分の場合はどうだったのかなと思うと
離れて暮らしたり、親が私に悩み相談してくれるようになったり、両親が2人でデートするのを見たことが重なり少しずつ変化があったように思う。

つまり親から距離を取られたとき
子どもはふと視野が広がるのだ。
可愛い子には旅をさせろ、ですね。


しかし、30歳を越えた私は父と会う度にハグをし、酔っ払えば愛してるよと伝えられ、別れる度にハグをしている。

全然離れてない
すごい急接近だ。

仕事一辺倒だった昭和のガンコ親父が
F•R•I•E•N•D•Sのようなアメリカンパパへ変身した。

OMG、なんてこった。
アベンジャーズ並の大変身
なんならハルクに変身した方が違和感はない。

はっきりとしたきっかけがある。母の死だ。
3年間の闘病生活を経て5年前癌で亡くなった。娘と息子が結婚した途端「母親おーしまいっ」とでも言うように54歳という若さで亡くなった。


変な言い方だが、我が家の両親は子が成長するほど2人の時間を楽しんでいた。それはまるで新婚生活のようであり、家族LINEにはデート写真を載せてくる。高校生の息子が気を使うほど、ラブラブな2人だった。


そんな幸せな2人に訪れた病魔。

どの家庭でもそうだと思うが
突然訪れる死の恐怖は
確実に我が家へ暗い影を落としていった。


その頃からだったと思う。
私は母親とハグをするようになった。

子どもの頃は抱っこも手を繋ぐのも嫌いだったが
弱る母に伝えたい色んな気持ちは
言葉より抱きしめないと伝わらない気がした。

不安だよね、心配してるよ。
でも大丈夫だよ、ひとりじゃないよ。
大好きだよ、みんなが思ってるよ。
私の事忘れないで。
色んな気持ちを込めて抱きしめた。



そして父が1人残された時
伝えたい気持ちをハグで示すようになった。


もちろん恥ずかしい。夫見にられるのも最初は憚った。が、やってあげられることはやってあげたかった。

もう私にしか出来ない方法だから
弟には出来ないし、母にももうできない。
あんな状態の父に何かを伝えるのは言葉じゃ足りなかった。私だけじゃない。今でも家族みんなが思ってる気持ちを届けたくて必死だった。

1人じゃないよ、大好きだよ。
大丈夫だよ、私達がいるよ。
元気出して。しっかり生きて。

色んな思いが私から恥ずかしさ以上の気持ちをくれた。


ハグの効果はすごい
悲しみはいつまで経っても無くならないが
喪失感の中でも変わらずにあるものを実感する事はできた。


あまり帰省できないのもあったが、帰る度に続けた。最初は甘える娘のために仕方なく受け入れていた。しかし、5年も経つと今度は父からやってくれるようになった。

今では少しでも間があくと「おー愛する娘よー!まってたぞー!」と抱きしめてくれる。

抱きしめられる嬉しさより、そんな風に寂しい気持ちを
娘に出してくれることが嬉しかった。改めて、父はその強さを持っていたのだと励まされた。



あの時初めて親を支えたいと思った。
恥ずかしさを乗り越えた時
またひとつ大人になったような気がした。

私の親は子に迷惑をかける事を嫌うが
2歳でも20歳でも30歳でも
やはり役に立てると嬉しいのだ。


大人になった私は親に何が出来るだろうか。
ささいな親孝行だけど
この習慣は続けていきたい。



最後に先日の父の話から一部ご紹介します。


親は子の自立を願うけど
孤立してはいけない。

自立は親に頼らず生きることじゃ無い。
これまで生かされてきた
「自分の世界を使って」生きていくことだ。

それは知識であり経験であり
人間関係もそうだろう。

そして、もしもの時には
親にも頼れるときちんと知っておくこと。
いいね?


ね?
私のお父さん、最高にカッコいいよな。
(やはりただのファザコンかもしれない)


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