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noteを始めた理由

このnoteに初めて投稿する記事でもあるので、自分への「始めた理由はこうなんだぞ!」という戒めも込みになってしまうが、書いていこうと思う。

僕はそもそもクリエイターでもなんでもない。ついでに普段の一人称も「僕」なんかではない。しがない普通の社会人で、家で親の介護をし、外出して遊んでいる余裕のあまりないアラサーのおっさん未満だ。

そんな僕の人生を振り返ると、何事も面倒くさがって「何かを生み出す」ということをしてきた記憶があまりない。

大人になってからは特にそうだ。

子供の頃は、学校の課題で、やれ筆で文字を書けだの絵を書けだの、譜面を覚えて楽器を弾いて発表しろだの行動や生み出しを強要されていた。

あの頃は気乗りしなかったが、大人になって「何かを生み出す」機会が失われたことにふと気づいた。

失って初めて渇望するのはありきたりだが、今の自分がまさにそうだ。

しかし、僕は絵が得意なわけでもなく、字が綺麗なわけでもなく、音楽を生み出せる才能もない、ましてや枠にとらわれないような奇抜な発想力もない。

モヤモヤしていた。

自分の考えだけが渋滞しているような感覚。

そんな時何気なく気づいたことがあった。

『文字なら書ける』

義務教育を受けていれば至極当たり前のことだ。

さらにこんなことを思った。

『研究対象が"自分"なら資料もあるし、いっぱい書けるな』

要は"自分史"である。

自分の過去を振り返って一冊の本にして一冊だけ自分で持っておきたいと思った。

それが何かを"生み出す"きっかけになればいい。

ここで問題なのが、僕はほぼ本を読まないということだ。物書きを舐めているのかと思われても仕方がない。

そこでいろいろ調べて行き着いたのがこの「note」だ。ここだといろんなジャンルの書き物を見ることができるし、自分の考えをネットの海に放り投げることができる。

ブログも考えたが、自分の勝手なイメージで「楽しく書かなければいけない」や「私生活が充実しているように書いて読者受けを狙わなければいけない」というブログそのものへの偏見があり、単純にやる気が起きなかった。

noteだと充実度のようなものを度外視して、書きたいことを書いている記事が多かった、つまりありのままを出しても浮かないだろうと踏んだわけだ。(実際はどうだかわからないが)

そんなことで、「note」細々とやっていこうと思う。

もしここまで読んでくれた方がいたら、本当にありがとうございます。

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