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ツーコン・マイク 『カナガワの鱒釣り』12

 いよいよ老いさらばえた、相棒よ。つうこんのいちげきとは、長らくおまえの名前にちなんだものだと思っていたよ。

 ツーコン・マイクは、今や実家の押入れの奥も奥、光も埃さえも入れない暗がりで眠っている、彼は抜け目のない相棒だった。1985年2月、彼はさえない四畳半にあらわれたヒーローに連れられて、恥ずかしそうに僕の手元に場所をつくった。いつしかツーコン・マイクは僕の相棒となり、仕事をこなすようになった。

 ワンコン・ヒーローは兄と共にあり、僕とツーコンは雑務に追われていた。

 おらおらおらあ! ハドソン! ハドソーン!

 あーなたーのたーめなーらどーこまーでもー🎵

 ドーラーミーちゃーん!!

 ふー!ふー! あ、ずれすぎちゃった。

 ツーコンと僕はのり塩チップスにマヨネーズをつけて、コーラとファンタで暮らしていた。両手を脂まみれにした僕は彼の全身を脂まみれにさせていた。ときどきには兄の言いつけで、ウェットティッシュを使ってツーコンもワンコンも拭いたけど、その次の日にはコイケヤスコーンやハートチップルでまた汚れたものだった。

 ヒーローが兄と共に長い冒険の旅に出ると、ツーコン・マイクは、指一本、眉毛一つ動かさずにじっと声をひそめ、数少ない出番を僕と待った。

 彼が活躍するようになったのはルイージのおかげではなく、熱血高校の登場からだった。以前にもサッカーや野球といったスポーツものでは呼ばれていたけれど、活躍のチャンスを得たのはテクノスジャパンによるところが大きい。

 白銀に輝く我らが母校の制服よ!

 ツーコン・マイクは僕に教えていた。待つことの尊さ、操作性の重要さ、スナック菓子の脂のしつこさ、マイクの必要なさ。僕はダブルドラゴン2が好きだったぜ、相棒。

 やがて別れは訪れる。ワンコン・ヒーローですら息子や孫たちに出番を譲り、新たな機能バイブレーションも誕生した。ほんの数年の間に世代は次々に入れ代わり「ツーコンのマイクってなんだったんだ?」なんて言われる居酒屋22時。

 のり塩チップスにマヨネーズはしなくなったよ。

 コーラもファンタも太るんだ。

 相棒、俺も歳をとった。ウィスキーロックに紙巻きタバコなんてよお。

 彼が眠りについて、30年。ゲームスポーツの選手がテレビで生い立ちやプレイについて話している。

 「ああ、ヘッドセット使います。マイクも、チャットプレイで」

 これはどうだ? 相棒。人はまた画面に向けて声を使っているぞ。きみの孫たちは大きく成長を遂げたんだな。きみも安心じゃないか。どうだい、そろそろメルカリの旅に出ないかい?











読んでくれてありがとう。明日も元気で!
多分僕もまた来ます。

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