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知識をためていくことと、思考力がついていることは別物ですよ…という話

外山滋比古さんの「思考力」という本を読み直していて、
知識と思考の違いについて改めて大切だと感じたので書き留めておきたいと思います。

外山滋比古さんは本の中で
「知識は何も生みません。思考が新しい価値を創り出すのです」というような表現をされています。

知識と思考何が違う?

知識とは、「知っていると認識できること」、つまり答えにたどり着いているものです。
一方、思考とは「思い描き、考えること」なので、まだ結論に至っていないプロセス段階であることを伝えます。

誰かが結論に導いたものを学ぶことで「知識」は自分の中に蓄積されていきますが、そのまま入れただけでは「自分で考えるチカラ」には結びつかないということ。

じゃあどうすれば自分で考える「思考力」がつくの?

文字から考える「思考」の仕組み

ここからは文字から「思考」の仕組み考えてみましょう。

「思」の文字は「頭蓋骨と心」が描かれています。
つまり頭と心の両方で情報を行ったり来たりさせることが「思」ということ。知識である「情報」を頭で理解するだけでなく「心」で感じること。
まずはこれが大切であることがわかります。

じゃあ「心で感じる」ってどういうこと?

はじめの感覚としては「良いこと知った、ラッキー!」とか
「え~なんか納得できないな」とかいう
好き嫌いくらいのレイヤーから、

もう一段深い段階では
「なんでこんなに嬉しいと思ったのかな?」とか、
「このほんのり感じる心の違和感の原因はなんだ?」みたいなところ。

外的な情報に対して、
「自分はどう感じたか」または「なぜそう感じたか」を探っていく感じですね。

そして「考」の文字。
起源から遡ってみると、「長老(長いひげをはやした人)とぐにゅっと曲がった釘」みたいなものが描かれていることが始まりとされています。
長老は、つまり長らく生きていた人。
生きる=沢山の日々を過ごして経験を重ねてきた人ということですね。
そんな長老と組み合わせられているのが「ぐにゃっと曲がった釘のような形」

どういうこと?

釘をぐいっと奥に奥に刺していくなかで、途中何かにぶつかって思い通りに通らなかったりする…

そんなスムーズにはいかない状態を表しているようです。

つまり「試行錯誤」状態ということです。

「考える」っていうのは、
自分の中で「こうかな?」って仮説を立てて、実際に沢山経験しながら
奥へ奥へと探っていってみるけれど、
すんなり答えにあたるわけではなく、
途中試行錯誤しながらぐにゃぐにゃと曲がりくねりながら進む…

そんな感覚を伝えてくれる文字なんですね。

知識を思考へ結びつけるために必要なこと

文字からも分かったように、

知識はゴールを導き出した結果であるのに対して、
思考は、ゴールを探るために自分の心と経験でそれがどういうことなのか調べていくプロセスそのものなんですね。

知識は何も生みません。思考こそが新しい価値を創るのです

外山滋比古さんがおっしゃるように、
知識をいくら沢山自分の頭の中にため込んでも、
そこに自分の心(感情)や、行動、経験がついてこなければ
思考すたことにならず、
新しい何かを生み出すことはできない。

私が普段お伝えしている「文字」であっても
文字の豆知識をいくら増やしても、
それが自分の中にはいって
行動や経験にいかされなければ
それは【知識】で終わってしまいます。

自分らしい暮らしを創造するのに必要なのは
知識ではなく【思考して行動する力に変えること】です。

さあ、今日も自分らしい考え方を育てて、豊かな日々を自分の手で創っていきましょう!



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