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「白と黒だけじゃない」子育てと教育

『一元観』エピソード


白と黒だけじゃない

白と黒だけじゃないんだと 
教えてくれた人がいた
はっきりさせることで 
うまくいかないことがある
灰色は、くすんでいるのではなく 
バランスの良さや中庸を表している


先日、上記のような拙文を投稿しました。
その後、ららみぃたんさんが
「一元観エピソード」を大募集していると知りました。自分が日頃、意識していることと、とても重なっているので応募してみることにしました。

教師という仕事について日頃考えていることを、一般化した形で配慮しながら、はじめて書いてみます。

子育てから学んだ3つのこと

その1.親は誰しも自分の子供が世界一「かわいい」

 私は、「不育症」であったため、自分の子供が無事誕生するまでに、随分の年月を費やしました。やっとの思いで、誕生した我が子を、分娩台の上で抱いた時のぬくもりは今も忘れることができません。

 我が子を抱いているようで、自分が優しく包まれているような、そんな感情を抱いた子育て期を送りました。自分の子供が誕生してみて初めて、我が子を思う気持ちはこんなにも深いものかと実感することができました。すると、学校現場で、「あの時、あのお父さんやお母さんがあんなに学校に御意見を言って来られたのが分かるなあ・・・。学校に言いたくなるのもムリもない。」と、とても腑に落ちたことを覚えています。

その2.姉妹のけんかの決着はつけなくても良い→気持ちを受け止める   
★一元観★


 そして、第2子も誕生しました。下の子も成長し、姉妹でけんかをした時の話です。
「ママー、お姉ちゃんがね・・・・したの。」
「ママー、ううん、違うよ、こうだったの。」
と両者の言い分は、食い違います。
 子育てをしながら気付いたことは、姉妹でけんかをした時に必要なのは、「どっちが正しいことを言っていて、どっちが嘘を言っているか」裁くことではないのだということです。
 ごまかそうとしていることを、本人が分かっている場合もあれば、本人は、自分の立場からしか物事を見ていないため、本当に自分は悪くないのだと思っていることもあります。
こんな時、世のお母さん方もこんなふうに言うのではないでしょうか。
「分かったよ、〇〇ちゃん。痛かったんだね。大丈夫?」
「分かったよ、〇〇ちゃん。嫌な気持ちになったんだね。よくがまんしたね。」といった具合に・・・。そして「ギュッ」とその子の思いも一緒に抱きしめてあげる。

 けんかのうち、多くの場合は、それぞれの主張を聞いて、受け止めてあげるだけで充分なのです。充分に気持ちが満たされた子は、けんかをした相手と自然に仲直りをしていきます。(もちろん、中には決着をつけ、きちんと叱った方がよい場合もあることは付け加えておきます。)

その3.「AでもBでもどっちでもいいよね」という「中庸」という考え方を示す→相手に譲ることができるように/他者と折り合いを付けられるように ★一元観★

 親は、いくら子供が好きだからと言って、ずっと一緒にいるわけにもいかず、やがては一人立ちしていくことになります。そうした時に、私から子供たちに何を授けることができるか考えました。生きる上で一番難しいのは、「人間関係」で、うまく築くことができた場合には「人間関係」が幸せをもたらします。できることなら、バランスよく、人付き合いができる子に育てたいと願いました。
 なぜなら、自分は、どちらかというと人付き合いで子供の頃、苦労をしてきたからです。「周囲からはみ出た杭は打たれ、打たれることを恐れ過ぎると自分の力は発揮できず、個性を失っていく」子供同士のトラブルから、学校という場所は、当時の私にとって、決して居心地の良い場所ではなかったのです・・・。
 さて、自分の子供の頃の人付き合いの失敗から学んだことは、「中庸であること」が、つまり、どちらにも偏らないでいることが、自分を守るための「生きる知恵」ではないかと考えました。それは、自分の意見をもたないのではなく、「自分の意見をもった上で、他者とどう折り合いを付けていくのか考えること」に繋がっていきます。


子育てでの学びを「教育」という仕事に生かす


 教室の中では、日々、ドラマが起きています。毎日ひとつずつ起こるのではなく、その瞬間、瞬間で同時多発的に様々な出来事があります。心があたたまるようなドラマもあれば、悲しくなるような出来事もあります。

 その中で、回避できるトラブルは、回避できるような仕組みを作るのは、教師の役割です。しかしながら、子供たちは、トラブルから学ぶ力を持っているということを忘れてはいけません。
 私が、教室で、子供たちに伝えようとしていることは、何か困ったことがあったら、相手と話し合って「折り合いを付けること」です。時には、教師が間に入ることもあります。または、「先生、昼休みにドッジボールをしていたらこんなことがあったから、ルールについて話し合いたい。時間を作って欲しい。」というような申し出をして来る場合もあります。その時には、しっかりと時間を捻出し、クラスのルールをみんなで考えて、全員で共通理解をすることが大切だと考えます。

教室に必要な「一元観」とは

教室での話し合いや、ルールを作る際に、大切になってくるのが、「一元観」つまり「中庸」であろうとすることではないかと思います。話し合いを繰り返していくうちに以下のような話し合いのマナーが、徐々に子供たちから出てきます。受け持つ集団によって変わりますが、大抵は以下のようなものになります。

【子供たちが見付けた話し合いのマナー】
(ある年度の昼休みの学級遊びを決める際のもの)
・対立する考えであっても、相手の立場になって考える。
・多数決ですぐ決めずに、少数の意見もしっかり聞いて折衷案を考える。
・どんなルールなら仲良くできるか、様々な立場の視点から考える。
・ルールは、変更してより良いものにしていく。

 「子供の取る行動」の裏には、一人一人が抱えている大切な理由や事情があります。行動の背景に、理由や事情があることを想定して、本人や保護者の方と話をし、その背景を知ることが大切だと考えています。勿論、うまくいく時ばかりではありません。
 それでも、他の教師とも連携を図りながら、解決に向けてあきらめないことが大切だと日々、感じています。

おわりに
 多様な子供たちの成長を見守り、サポートしていくために「一元観」という考え方は、とても大切だと考えています。

 今、心掛けているのは、まずは、子供や保護者の方の気持ちを受容的な立場でしっかり受け止めることです。
 そして、子供たちに、白と黒だけじゃない、つまり、「正しいか、正しくないか」、友達のことを「スキか、キライか」「許せるか、許せないか」だけで考えるのではないのだということを伝えるよう努力しています。人の感情は、複雑なものなのだから、キライだと思う相手の中にも、少しはスキになれる部分があったり、許せないと思う相手の中にも、何か共感できる部分や、許せる部分を見付けたり、そういったことを実感してもらいたいと思っています。また、なぜ、相手にマイナスの感情をもつのか自分の内面を見つめることも大切だろうと思います。
(伝わる言葉を探しながら、小学生と向き合っています。(^_^) )

社会が変化し、子供たちや保護者の皆様が多様化する中で、教師も対応力を磨き、多様性を受け止めることができるように変化していく必要があると、私は考えます。

 私たち教師の仕事は、学習に関する役割はもちろん担っていますが、日々、様々な子供や大人の感情の波の中で、どうしたら解決の糸口に辿り着くことができるのかを、一緒に考える職業でもあります。

「白と黒だけじゃない」のです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今回は、テーマに焦点を絞るため、学習に関することには触れずに書いています。御了承ください。 

同業者として先輩の、
そい@若者よ!常識をぶっ壊せ!/心のKindle作家/毎日投稿644日さんが、私の記事を引用して下さり、『一元観』について素敵な記事を書かれましたので御紹介します。
ぜひ、お読みください^_^

momoro66さんの心あたたまるイラストを使わせて頂きました。
ありがとうございます。