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さくらももこ展に行った

さくらももこ展に行った。
君はさくらももこを知っているか。
言わずもがな、ちびまる子ちゃんの作者で、ある時代日本列島をピーヒャララさせた(私は小さかったのでそんな感覚はなかったが、今思えば時のひとだったのかもしれない)あの、さくらももこを。漫画だけでなくてエッセイが爆売れしていたさくらももこを。コジコジの作者のさくらももこを。めっちゃメインストリームを歩いているようでサブカル感も隠さない、あの、さくらももこを。(ここまで先生つけ忘れてしまったけど、そうさせてしまう天才、日本代表庶民の表現者、いつもあなたのお隣にいる気がする、あの、さくらももこ先生。以下も敬称略させてもらいます)
大人になって気づいたのだが、私、ほぼほぼ、さくらももこで出来てたわ。一人称が「あたしゃ」になってないのが不思議なくらい。いや言ってた時期もあったかもしれない。

さくらももこの入り口を明確に覚えている。
小学校五年生、転校してきたばかりの小学校であったバザー。欲しいものなど一つも無く、早く帰りたいの一心で、しかし子どもながら気を遣って、何か一つくらい買っとこかと帰り際に適当に手に取った「ちびまる子ちゃん単行本六巻」。これが全てのはじまりよ。ご存知まる子が雨上がりに葉っぱの傘をさして歩いてるあの表紙よ。

これよ


知ってたちびまる子ちゃんのアニメよりも、すんごいおもしろかった。
それまで我が家には漫画が一冊もなく、その六巻を繰り返し読み込んだ。暗記したセリフを妹と空で言い合っては笑った。
チビで、だらくさで、のん気で、ずるくて、おっちょこちょいで、おもしろいことと絵を描くことが大好きで、ちょっと斜に構えてて、でも夢見がちで。まる子は私だ、私が世界で最もまる子だ、と本気で思っていた。完全に痛ファンのできあがりである(キートン山田の声で)。でもきっと、日本中の数えきれない程の女の子が思っていただろう。

まる子が「ノストラダムスの予言を気にする」回で想像していたバカな大人が、服の趣味が違うだけの39歳現在の私で驚きを隠せない。

姉妹で六巻以外を少しずつ揃え始めた。そんな娘達の情熱に感化された親は、私達に、さくらももこ、こんなんもあるよ、とエッセイ本を買い与えた。第二の衝撃だった。「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」三部作。今風に言うと、このエッセイ達により本格的な沼に落ちた。私は今日まで自分のことを、何かに夢中になって追いかけたり、深掘りしたりできない、オタク気質というものが皆無の人間だと思っていたが、今思えばあの頃の私は、さくらももこと書いてあるものは条件反射で手に入れようとするオタクムーブをしていた。ネットがなくたって情熱さえあれば情報収集の難など感じない。

伝説の「メルヘン爺」が収録されている。展であらためて読み返した「奇跡の水虫治療」がおもしろすぎて感動した。

エッセイは、ポップな自虐がテンポよく繰り出され、笑わずにはいられない。どっぷりあの経験をしながら育った私は、人と話す時に、自虐をベースにおもしろおかしく話そうとするようになっていた気がする。おもしろおかしくするにはセンスがいるので私はただ意気揚々と自分の失敗談を話していただけだった。
エッセイストとしてどこまでも自分を曝け出すかっこよさは、同じ女性としてそこまでできるのか、と大人になって思う。「そういうふうにできている」は自身の妊娠から出産までを書いたもので、その濃さに読み終えた私は十代にして子ども一人産んだような気持ちになった。ドッと疲れた。

中学生くらいになると、さくらももこはリズムの人だ、とひっそりえらそうに評していた。気づいたのだ、ありし日の少女斉藤は。リズム感だ、この人の素晴らしさの一つは、と。勝手に盛り上がっていた。コジコジを読んでいた時にはっきり思ったような気がする。それ以来、今でも文はリズム感が一番大事だと思ってる。

10代にして「命の母」の存在を知ったのはコジコジなのだが私もそろそろお世話になる年齢に差し掛かってきたか。


永沢くんという漫画がある。ご存知あの玉ねぎ頭の彼が主役の、陰キャ男子の鬱屈した青春を描いた漫画だ。永沢くんも藤木くんも、そして城ヶ崎さんも中学生になっている。ったく、さくらももこは色んな面を見せてきやがるぜ、と思ったものだ。
ほのぼのとした詩集や色とりどりのイラスト集を出したり、ナンセンス爆発の漫画「神のちから」を出したり、でもその全部が私にしっくりきた。たぶん十代後半に差し掛かろうかという頃になっても「私こそ世界で1番まる子だ」の病は完治していなかったのだ。育てられていたともいう。

実家に置いてきたさくらももこの本を、二十年は開いていなかった私は、ここまで書いてきたことをすっかり忘れていた。人よりさくらももこに思い入れはあるんじゃないか、ぐらいのスタンスで生きてきていたので「さくらももこ展か、そりゃ行かんとな」と軽いノリでさくら仲間である妹と連れ立って長崎まで行った。展を進むほど記憶の奥底からさくらももこが湧いてでてきた。なんだ、気づいてなかったけど、私の中のこの面やこの見方も、さくらももこに育てられたものだったんだという感覚に何度も陥った。簡単にエモさなんか感じないよう細心の注意を払っていたが、十分大人といえる年になった私は感傷から逃れられなかった。え、今ちょっとかっこつけて書きすぎた。なしなし。人は油断するとすぐかっこつけたり、きれいにまとめようとしてしまってダセェことになるから気が抜けない。その点さくらももこ先生ときたら。

展を回るのに二時間以上かかった。とにかく作品量がすごく、だらくさだけど、モノづくりという好きなことにはだらくさじゃなく、庶民の感覚がある天才だったんだな、と改めて思った。もう自分を、世界で1番まる子だ、なんて思えないけど、思っていたあの感覚は一生忘れない。

さくら先生、おかげさまで私は焼酎のキープボトルにコジコジを描くような大人になってしまいました。
感動よ、ありがとう。涙くん、さようなら。新婚さん、いらっしゃい。(ご存知コジコジより抜粋)

大人の経済力でグッズに一万円かけた

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