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繋がりと社会

久しぶりの投稿だが,前回投稿していた時期と同じような日々を過ごしている。6時半ごろに起床しランニングを行い、シャワーを浴びた後,学校へ向かった。学校につくと自分のパソコンを起動しWordを開いた。昨日から書き始めている研究計画書を完成させるためだ、今自分の中で考えている研究は3つあるが卒業研究として書いている論文が1番気乗りがしないと言うのはある意味皮肉なのかもしれない。

いつもの研究室に行きパソコンを開く日々は辛いと思うこともあるが辛い辛いと言いながら心の中を楽しんでいると言う何とも言えない気持ちになる。大学院試も近くなる中で頑張らなければならない。

そんな研究室の日々を過ごしている中で、ネットワークの話が個人的には気になっている部分である。そもそも高校生の時にグラノヴェターの弱い紐帯の強さを読んだ時からネットワーク論は世界で面白い学問の1つじゃないかと思った。人々のつながりは様々な形態を持っているがその中で属性が似た人々は派閥を作り別々の派閥を形成していく。派閥を作ることで構造的空隙を作ってしまうこの構造的空隙を埋める存在がブリッジだ。このブリッジは派閥ごとをつなげる存在であり多くの情報が行き来する地点であり、他の派閥の情報をいち早く取り入れることができることから非常に有利な位置にあることが論文では言われていた。

他にもスモールワールドネットワーク理論では関係性の強い集団と関係性のない集団では情報が伝わりにくいか関係性が強い集団の中に関係性の少ない集団が入り込むと最短経路で情報を交換できるというものだ。実験ではアメリカ国内においてAさんを抽出し名前を教えた上で手紙を他人からスタートさせ何通で届くかと言うものだ。他人はAさんを知っていそうな人に手紙を出しつなげていった、大学の学者も数百通以上かかると予測していたが結果は6通でAさんに届いた。これは上記のように凝集性の高いネットワークのごく1部を組み替えるだけで情報伝達特性が向上するということを示している。

このような社会ネットワークは近年多くの学問分野で取り上げられており様々な言い方がされている。このようなネットワークを築きあげることによって商売では利益を向上させ地域では活性化に役立っていると言う一面も大きいだろう。

近年のコミュニティ論は宗教性がありでネットワークを閉ざしてしまうような傾向もあるのではないだろうか、可能性として人間はある一定の派閥を作るとネットワークを閉ざす傾向にあるのかもしれない。だからこそネットワークは常に開放的で多くの人そして新たな人ので入りを活発化させることが強固な社会ネットワークの基盤を作るのではないだろうか。

そんなことを今日はカップラーメンを食べながら思った。


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