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久しぶりの所感

noteをご無沙汰してしまった。ここのところ業務連絡の量が多すぎて、それをお知らせするだけで精一杯で💦 (もっくん珈琲サイトのお知らせを小まめに更新していました)

新月を機に、私の考えていること(所感)もまた伝えたいな、と思った。なぜならみんなともっと話したいからだ。

さそり座に太陽が入ったあたり(10月の後半)から、人間関係や世界のことをたくさん考えている。

先月、ようやく性教育認定講師の資格をとった。といっても、指定のプログラムをいくつか受講したというだけで、スタート地点に立ったに過ぎないのだけど。

プログラムというのはいい。大切なことを体系立てて沢山教えてもらえる。でも、性の話で一番大事なのは、知識そのものではなく、対話の機会だ、と思う。セクシャリティの話でも、ジェンダーでも、これはそうだ。

だから、資格を得た今後でも、わたしのやることはそんなに変わらないだろう。すなわち、対話のための機会をつくり続ける、ということだ。

性の話は、まず自分の身体を知り、大切にすることから始まるのだけど、最終的には結局は相手がいる話だ。

これはセックスがそうだから、という狭い話ではなくて、どんな人であっても、自分の体と心とは一生付き合っていくわけで、そして最終的には、自分とは違う他人のいる世界の中で、自分がどう振る舞い、どう生きていくか、という話に収束していく。だから、セックスしようがしまいが、「相手がいる話」なの。(ちなみにセックスをあまりにも特別視とか、特権化するのも弊害があるなと思ってるんですが、またこの話は改めてします)

なので、性教育のどんなジャンルの話であっても、自分のことを伝えたり、逆に相手のことを知ったりするコミュニケーション、対話は何より大事だな、と思うのです。これは大人はもちろん、子供にも必要なこと。

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ちなみに5日(金)はさそり座新月のお茶会を開いた。

こんな風に140文字でまとめたけれど、共感性を育むのに必要な体験はどんなものか、という、結構深い話ができた。

人間の深いところにあるエネルギーのことを話せるのは、蠍座ならではかな〜という気がする。(MC蠍座のわたしの本領ですよ!)

暴力性、愛を求める気持ち、自己実現欲求、いろんなもので人間は出来ている。

私たち自身が肯定したくない、目を背けたくなるような性質もその中にはあって、それを無視したポリコレのようなものでは、世の中を良くすることはできないと思ってて、精神分析の成分が、もっと世の中には必要だと常々感じている。無論、性教育の分野にも。

清濁併せ呑む、という言葉がTwitterで目についたけど、性質の違うものとの対話は、その力が必要だろうな。

勉強は常に謙虚にすすめながら、活動を模索したいと思います。

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