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29歳の誕生日、パリジェンヌになろうと決めた

29歳の誕生日、私は「30歳までに子供が産めない」ことを認めざるを得なくなった。

女性の30歳、には何かしらの呪いがかかっている。
30歳までには。この呪いの言葉を、20代後半の女性はよく口にする。かくいう、私も30という年齢にひどくこだわっていたように思う。

30までに子供が欲しい。
それは、世間一般的な感情なのかもしれない。
私はずっと自分に呪いをかけていた。

毎年誕生日に、1年の目標を立てるようにしている。
27歳の時、自分に課した目標振り返ると結婚を前提とした彼氏を作る以外の、全ての目標を私は達成していた。

ちなみに27歳の目標

  • 会社でMVPをとる

  • 代々木上原に住む

  • 5キロ痩せる

  • 週2でヨガに行く

  • ピアスを開ける

  • 結婚を前提とした彼氏を作る

仕事も生活も努力したけど、恋愛だけは努力をしても叶わないことばかりなのである。
私は他者を介在する目標はもう立てないと誓った。

自分の努力でどうしようもない目標など意味はない。だって、叶わないから。叶わない目標を立ててもしようがないから。

29歳の誕生日。
私はこれからの人生が1人だった場合、どういう生き方をするべきなのか考えるようになった。

どうやら日本にいる意味がないかもしれない、と感じた。色々な景色を見たいと思った。色々な経験を積みたいと思った。
子供を育てるという観点以外で、私が日本にとどまる意味がなかった。
家族も特に仲良くないし、恋人もいないし。
30年間ありがとう日本!さあどこに行こう?

そう思った時に「ちょっとフランスとか行ってみたいかも」そう思ったのが、始まりだった。


そうか、私はパリジェンヌになりたかったのか。


幼稚園の時、自分の夢をカセットテープに吹き込んだ。
そのテープを、小学校高学年くらいの時聞き返した。
みんなが 色々と夢を語っていた、私は絵描きさんになりたいと言っていた。しかし、絵描きさんはお金が稼げないということを母から教わってから私の夢は絵描きさんじゃなくなった。私の夢は「お金を稼ぐ人」になった。
しかし、どうやったらお金は稼げるのかわからなかった。私の周りにはまともに働いている社会人などいなかったからだ。自分の本当の夢はお金が稼げない そういう現実がわかった時に、私は素直な気持ちで、これになりたいとかあれになりたいとかそういう感情がなくなってしまった。
小さい頃 とても貧乏で何が欲しいということも言えなかった。
これがやりたい、あれが欲しい、そういう感情は無駄だということが分かっていた。
だって叶わないから。叶わない夢は見ても意味がないから。

小中学校の卒業文集、将来の夢を何もかけなかった気がする。何になりたいなんて何もなかった気がする。
自分の素直な感情が分からなかった。
ありのままの自分だと誰も好いてくれないと思っていた。

私は社会人になって救われた。 大学生の時は本当に心が苦しかった。
みんなが楽しく遊ぶ中、私は 尖りに尖って こじらせに こじらせていた。
勉強とバイトの毎日で、とにかく学費と家賃の引き落としに怯えていた。
貯金残高が22円だったこともある、月の休みは1日もなかったし、電気代も家賃も滞納したこともある。

社会人になって初めて自分の貯金残高が27万 となった時、本当にびっくりした。
お金ってこんな風に稼げるんだと、私は仕事にのめり込んだ。新卒で入社した広告代理店では、先輩に 同期に友達いる?と心配されるくらい、誰ともつるまず、努力を重ねていた。

私の将来の夢はお金を稼ぐ人だったけど、社会人2年目で年収500万以上稼ぐようになってしまってから、大きな夢がなくなっていった。
どんどん 給料が上がっていくし 自分のやりたい仕事もできて認められるようになって 好きなものが好きな時に買え、貯金残高に震えるような毎日はない。

そんな毎日の中で 私は本当に自分がしたいことや 好きなことがわからなくなってしまった。
他人の目を気にするようにもなってからは、自分が好きなものより誰かにどう思われるかということを気にして生きていく毎日だった。

傍から見たら 私は恵まれている 悩みもなく仕事もバリバリやっていてお金も稼いでいて毎日楽しく生きているように見える。
でも私は何かが足りなかった、それを恋愛や結婚で満たせると勘違いしてしまった。

23歳の時。会社の先輩の結婚式に行った。結婚式は生まれて初めてだった。
結婚式の親族席に、たくさんの人たちが座っていた。キー局のディレクターである旦那さんの周りにはとても優秀そうな人たち、テレビでよく見るアナウンサーの人もいた。
そのとき、私は絶対に ここには立てないんだろうなと悟った。
私の結婚式には親戚がいない。
私には母と姉2人だけ。
いくら私が努力してもかなわないものがあると、
先天的なものに恵まれていないせいで、私はまともな人と結婚はできないんじゃないかと思わされた。

でもどこかで夢を見ていた。私にも家族が作れたらいいと。

今すぐじゃなくていい。
30までに子供が欲しい。
私は、自分に呪いをかけた。

よく考えてみたら「子供が欲しい」というのは私のエゴなのかもしれなかった。
私には男を見る目がなかったし(過去のnoteを読んでくれている人は知っていると思う)子供にとって いい父親を選べる自信もなかった。子供はインターナショナルスクールに入れ、 好きな習い事何でもさせてあげたい 。社会人2年目から、子供の資金にと、コツコツと積み立てNISAをはじめた。

仕事も遊びも一段落がついて、人生の行事がほぼなくなってしまって、人生の折り返し地点に立ってるような気がしていた。20代後半、私は子供が欲しいと切望していたけど、本当は自分の人生がつまらなくなってくることをひどく恐れていたことへの裏返しのように感じる。

でもそんなエゴで子供を産むより、自分1人の生活を充実させることの方が、すごく重要だということに気づいた。
私はふと湧いてきたパリジェンヌなりたいという自分の気持ちを大事にすることにした。

29歳の誕生日から1週間が経過した時、私はフランス語教室の扉を叩いた。
週に1回 3時間、1年半経った今でもそのフランス語教室は続いている。パリジェンヌになりたいと言っても、なんのゆかりもないのだけど、何か辛いことがあった時、「私はパリに行けばいい」という気持ちが私を支えている。

そして自分の人生がもっと充実し、楽しくなるような生き方をしていたら、もしかしたら どこかで誰かと出会い パートナーになって子供を産むことがあるのかもしれない。
しかし、それを目標にするのはやめた。

楽しく一人で生きていく。
そう決めた29歳だったのだ。

30まで、の呪いを自分でかけてしまった人。
ご家族や周りの人に呪いをかけられている人。

そんな人が少しでも心が軽くなればと思ってこの文章をかいています。
読んでくれてメルシー!

(しかし1年半フランス語教室に通っているのに、全然まだ上手くならなくて自分でもひいています!フランス語!難しすぎ!!!)

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