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【読書感想】「絶望の国の幸福な若者たち」  古市憲寿

読了日:2017/11/8

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格差社会のもと、その「不幸」が報じられる若者たち。しかし、統計によれば8割の若者が現在の生活に「満足」している!その指摘で若者論を一新した古市憲寿の代表作に、新たに約200の脚注を追加。26歳の古市憲寿が描いた「若者」像を、30歳になった著者自身が「答え合わせ」。さらに未来のために各章に追記を加えた、この国と「若者」のすべてがわかる決定版!
「BOOK」データベースより

この本の概要

古市さんの本。
震災前後に上梓された本で、文庫化にあたり、脚注やあとがきなどがたくさん追加されています。
私は、文庫化されたものをKindleで読みました。

この本に関してはリアル書籍の方がオススメです。私、この本の魅力と面白みは脚注にあると思うんですね。
でも、脚注の記載位置が、リアル書籍とKindle版で違っていて、リアル書籍ではページ上部に本編、下部に脚注が載ってるんですが、Kindle版では脚注が項末にあってページを前後しないと脚注説明が読めなかったんですよ。
(Kindleには脚注機能もあるので、その機能を使っていれば脚注ページがポップアップされて見れるはずなんですけど、どうやらこの本のKindle版では脚注機能を使っていないようで、手動でページ移動しないと見れなかったの…。)

たかが脚注とあなどるなかれ。
この本は社会学者が書いた真面目な本なハズなんですが、脚注が面白いので、ここをスムーズに読めるかどうかは結構大事。

この本は、「若者の未来は暗い」、「若者の将来は暗い…」という説に対して、
「いやいや、実際、そんなに本人たちは不幸だとは思ってないんじゃない?」
というのを調査・分析してる本です。
いつ「若者」という言葉が一般化したのかその歴史についてや、
最近の若者の傾向、
「日本」とナショナリズムについて、
東日本大震災について、
などなどがたくさんの資料をベースに語られています。

脚注が面白い

基本的には真面目な話なハズなんですが、ところどころ(主に脚注)で古市節が炸裂してるので、軽く読めます。

本文と脚注は↓こんな感じ。

曾野綾子(79歳、東京都)は今回の地震で、「日本人という民族に誇りと尊厳を持った」という。混乱の最中の「落ち着き、譲り合い、節制、忍耐は見事なものであった」からだ。
だけど若者は例外らしい。曾野によれば「若い世代ほど、異常事態に対応する能力を持たなかった(※343)。」若者たちは「恐ろしく本能的な感覚が弱くなって」いて、「ルールをはずれた状態になると、どうしていいかわからなくなる」という(※344)。
ただし、曾野が画期的なのは福島第一原子力発電所の処理にいつ死んでもいい「老人部隊」を組織せよと言っていることだ。「放射能に被ばくしても全然かまいませんよ」といい放ち、曾野自身も作業に参加したいと言っている。(※345)

※343:曾野綾子「小説家の身勝手第40章 ゲリラの時間」『WiLL』2011年5月号。

※344:僕が見た限り、東京で帰宅難民になった若者たちはスマートフォン片手に冷静に行動できていた。

※345:本書を執筆している時点で、曾野が「老人部隊」を組織し、原発に乗り込んだという情報は確認できていない。

エッジの効いた(効きすぎの感もある)ツッコミがたまらない。
「っていうかコレ、マジ普通に失礼だから!」っていうものも多いです。
軽く読めるので私は好きだけど、失礼な部分もあるのでイヤな気分になる人もいるかもしれません(笑)。

若い人ほど幸せ

実際、いろんな調査結果から紐解いていくと、不幸な未来が待っているハズの20代の70.5%が現在の生活に満足していて、他の世代よりも幸福度は高いんだそうです。
ちなみに他の世代と比較してみると、以下のような結果だったそうです。
20代:70.5%
30代:65.2%
40代:58.3%
50代:55.3%
(これは2010年の調査結果。2015年にはさらに上昇し、20代の79.3%は現在の生活に満足してるらしい。)

「若者は不幸だ」と声高らかに論じている30~50代の人たちの方が満足度低い(笑)
残念すぎるよ、中高年。

で、この後には、古市さんなりの「若者の満足度が高いのはどうしてなのか」が論じられていきます。
詳細は読んでみてください。

古市さんの「最近の若者は」論が気持ちいい

死ぬほど読書」の感想文にも書きましたが、私は「最近の若者」論が嫌いです。
以前の感想文のなかで、人は何故「最近の若者は」論を語るのかを、以下のように書いていました。
『「自分の時代の価値観と違うことに対する拒否感」とか「自分の時代の価値観の方を優位に感じていたい」というのがけっこうある気がする。(もちろん、そうじゃないものもあるんだろうけど。)』
と書いていました。
この、私の考えと同じようなことを古市さんも言ってくれてました!

基本的にバッシングは2パターンだ。1つ目は自分や自分たちの時代と比べて、今の若者はダメだというパターン。若旦那批判や左翼学生批判などだ。2つ目は、若者がうらやましくて、今の若者はダメだというパターン。「リア充学生」批判などがそれにあたる。
両者に共通するのは、「若者」を自分とは違う「異質な他者」と断じていることだ。自分たちとは違う他者であるからいくらでも批判できるし、彼らを批判することで、自分たちの優位性を高めることができる

さらにもう一個。

若者論が終わらない一つの理由は、社会学でいうところの「加齢効果」と「世代効果」の混同だ。つまり、自分が年をとって世の中に追いついていけなくなっただけなのに、それを世代の変化や時代の変化と勘違いしてしまうのである。若者論に限らず、ほとんどの「日本人が劣化した」という議論もこれで説明できる。
さらに、若者論は自己の確認作業でもある。
「今時の若者はけしからん」と苦言を呈する時、それを発言する人は自分がもう「若者」ではないという立場に立っている。そして同時に、自分は「けしからん」異質な若者とは別の場所、すなわち「まっとうな」社会の住民であることを確認しているのだろう。
つまり、「若者はけしからん」と、若者を「異質な他者」とみなす言い方は、もう若者ではなくなった中高齢者にとっての、自己肯定であり、自分探しなのである。

古市さんと同じ視点を持ってたってことがうれしかった(‾ー‾)ニヤリ
そして、とても気持ちのいい表現っぷり!

時代や年代で区切って批判するのは無意味

性格って、遺伝と、環境と、その時代標準の価値観とのかけあわせでできあがるものなんじゃないかなぁと思うんです。
例えば「昔はよかった。最近の若者は…」と若者批判している人も、もしいまの時代の若者として生まれていたら、間違いなく「最近の若者」と同じ思考や価値観になると思うのね。

だからまぁ、時代や年代で区切って自分以外を批判するという習慣は、清少納言の時代からやってたことなんだけど、どの波に乗ってるかの差しかないし、この手の批判的意見は100%無意味だなぁと読んでて思いました。

それでも「最近の若者は…」って言いたいのは、たぶん古市さんが言う通り、「もう若者ではなくなった中高齢者の自己肯定」のため、なんでしょうね。
でも、蹴落とす材料がないと自己肯定できないって、なんだかとてもさみしいね。

「昔はそうだったんですね、今はあんまりそういう考え方しないですね。」
とか
「へぇ、今はそういう考え方が主流なんですね~。知らなかったなぁ。」
とか、互いに評価しないで、あるがまま受け止めるってのはできないものなのかしら。
金子みすずじゃないけどさ、「みんな違ってみんないい」じゃだめなの?

ワタクシ的名言

「みんな」に自分のことを「日本人」と思ってもらうためには共通の物語も必要だ。そこでまず「日本の歴史」が作られた。

江戸時代、黒船が来る前の日本は、身分制度も固定されてたし、人の移動もなかったし、「日本人」という概念がそもそもなかった。
なので、他国がせまってきたとき、武士以外にとっては他人事で、国を守るとかそういうことを考えること自体がなかったんだそうです。
でも、それだと他国とやりあっていけない。他国と戦えるようにするために、「日本人」という概念を用意して、みんなを教育し、いざというときに戦えるようにしていこう!という流れで「歴史」が作られたということらしいです。

この間、ミニバスの保護者&子供とお食事したとき、6年生の子から「なんで歴史を勉強しないといけないのかわかんない」と言われました。
私は「同じ過ち(戦争)を繰り返さないために、まずは過去を知りましょうってことじゃない?」と答えたんだけど、6年生の子の質問に対する本質的な答えはコレなんだな~と読んでて思いました。

しかし、政府が「戦争始めます」といっても、みんなで逃げちゃえば戦争にならないと思う。もっと言えば、戦争が起こって、「日本」という国が負けても、かつて「日本」だった国土に生きる人々が生き残るならば、僕はそれでいいと思っている。
戦争とは本来ジェノサイドを目指すものではなく、できる限りインフラや人命を残しつつ、最小限の被害で統治機構の破壊を目的とする外交手段である。20世紀の戦争のような大規模空爆を実施せずとも、電力や水道の遮断、通信網の破壊など「日本」を支配するオプションはいくらでもある。
「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人ひとりがいかに生きられるか、ということのはずである

私が今いる会社の社長や副社長は
「理念は石碑に刻むな」とか
「会社は創業者が死んだらリセット」という発言
をしています。
古市さんの考えもそれと通じるな~と思って読みました。

部分だけ切り取ってしまうと、ものすごく非国民な発言に見えるし、心情として「日本がなくなったら大変だ!!」って思う部分もあるんだけど、でもやっぱり人が生きていてこその「国」だからねぇ…。
全員死んで王様だけ生きてたとして、それっていったい何に勝ったんだい?!という話になるじゃないですか。
やっぱ、生きててなんぼだと思うの。

私は自分が日本人から中国人に変わったとして、その結果、幸せに生きていけるならそれはそれでアリなんじゃないかと思ってます。
(そりゃまぁ、実際そうなったときに「元日本人」ってので差別されたり、ひどい目にあうのはヤだし、戦争して負けてしまうと、そうなる可能性が高いから「負けたくない!!戦う!!」って発想になるんだろうけども…。)

「国」とか「会社」とかって、実態がありそうだけど実態がなくて、単に人の集合体に対して付けたネーミングでしかないと思うんです。
そういういってみればバーチャルなものに対して、過度になにか意味を持たせるのはちょっと違うんじゃないかな~と。
我々、放っておくとそういうバーチャルなものに対して、ものすごい過度な意味とか、すごい期待とか、持ってしまいがちじゃないですか。

でもやっぱ、生きるときの本質って、どこのバーチャル空間に属してるかじゃなく、すぐ隣の人たちとどう楽しく一緒に生きてくかってことなんじゃないかと思うのです。
「国」や「会社」は人の心に一定の安心感や共同体感覚をくれるものではあるんだけど、それを自分のメインにしてしまうのは危険だな~と思います。

なんか、「若者」論だけじゃなく、「日本」についても同じくらいいろいろ考えちゃいます。

テレビで古市さんを見てると、その斜めすぎる発言で反感を買ってしまったり、イロモノというか若干の芸人感が際立ってしまってるけど、この本を読むと「あぁ、古市さんにも人並みにあったかい人間性も持ち合わせているし、実は真面目で勉強熱心な人なんじゃないか~」といい意味で見方が変わる気がします。
(前はどんなふうに見てたんだよって話ですけどwww)
「古市、再発見!」的な意味で、読んでみると面白いと思います。


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