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【読書感想】「モモ」 ミヒャエルエンデ

読了日:2018/2/3

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この本の概要

この物語の主人公はモモという女の子。
身なりはみすぼらしく、出自や生い立ちは最後までわからない謎の多い女子です。
このモモちゃん。
傾聴能力がすこぶる高く、彼女といると大人も子どもも、みんなが心を許し、語り、癒され、彼女を好きになります。
モモのまわりでは時間がゆったり流れ、楽しく、暖かい。 
モモも、モモの近くにいる人たちもみんな幸せでした。

ところが、そんなモモたちが暮らす街に、謎の灰色男たちが現れます。
この男たちは、人の時間を奪って生きている時間泥棒。
街の大人たちはこの灰色男たちに言いくるめられ、お客さんとののんびりしたおしゃべりや、子どもとのふれあい時間を差し出します。
効率こそが最優先。無駄話は減り、みんながきりきりと忙しく働くようになりました。

街も人も金銭的には豊かになっていきます。
ですが、それと反比例するかのように子どもたちは寂しさをかかえ、大人の顔からも笑顔がなくなっていきました。

たくさんの人たちに囲まれ、毎日楽しく暖かく暮らしていたモモのまわりには、誰もいなくなってしまいました。
モモは、奪われたみんなの時間と笑顔を取り戻すべく、時間泥棒たちに立ち向かいます。

作者の感覚の鋭さがすごい

有名なので、作品のタイトルは高校生のころから知っていましたが、今回、はじめて読みました。
面白かったー!

出版されたのは、私が生まれるより前の1973年。半世紀近く前の作品なのに、今読んでもまったく違和感ありません。むしろ今の方がセリフが心に響く。
半世紀前に、今に通じるような社会の軋みを感じる感覚を持っていたのかと思うと、作者の感覚の鋭さに驚きます。
最近になってやっと、「マインドフルネス」や「持続可能な社会」など、人が人らしく生きられるような考え方が出てきましたけど、それまでは「馬車馬のように必死に真面目に働くことこそが是」という社会でしたもんね。

時間泥棒は悪?

物語では、時間泥棒によって無駄な時間は減り、効率よいことが良しとされ、余計なことはしない、という世の中になってしまいます。子どもも大人も楽しくなくなってしまうのですが、時間泥棒がしていることは良く言えば「社会の効率化」です。むしろ良いことなんじゃないか、とも思えます。

時間泥棒に言いくるめられた大人みたいでイヤですが、正直言って、私自身、効率の悪い作業はキライです。会社の作業でも、PTA業務も、息子のミニバスの親組織も、
「効率悪…。」
と思うことが本当にたくさん。
(PTAはまだ係になっていないので実際は噂だけですが。)
改善できれば楽しいですが、そんな改善提案は喜ばれない状況がほとんど。声をあげるだけでびっくりするほどの白い目で見られます(笑)。

じゃあ効率の悪いことがキライな私は、時間泥棒にいいくるめられたゆとりを失った人間なの?
そもそも効率を重視するのは良くないこと?
効率を求めつつ、時間泥棒には時間を盗まれず、さらにモモの周囲のような暖かい世界観を持つことは両立できるのでしょうか?

効率化して得た時間が手元にあるか確認する

私は、効率化した先に求めるものはなにか、効率化して得た時間が自分のものになっているのかを忘れないことが重要なのかなぁと思いました。

物語では、時間泥棒にそそのかされるきっかけの多くが「もっと有名になりたい」「もっと裕福になりたい」という富と欲でした。でも、効率良く働いて生まれた時間は、時間泥棒にとられてしまうし、富と欲はさらなる富と欲を生むし、今の状態を保つために動くことをやめられなくなってしまいます。
人によっては走り続けるうちに効率化をし始めたきっかけも忘れてしまいます。
ときどき止まって、何を求めていたのか思い出したり、効率化して得た時間が手元にきちんとあるか振り返りをして、そして、その手にした時間を誰かと語らったり、笑いあったりできれば、効率化もして、時間を盗まれず、暖かい世界も手にすることができるんじゃないかなぁ

私たちも気付けば時間を盗まれています。
会社で働いていれば、効率化や生産性を求められますが、その効率化の先にはなにがあるのでしょう?
個人のプライベート時間が増えるのかというと、ほとんどの場合がそうはなりません。
効率化されたタスクと時間の先に、さらに別のタスクが待っています。
どんなに効率化しても、その時間は個人には返ってきません。これは、会社という時間泥棒に個人の時間を盗まれていること。
これからは、手にした時間を無自覚に会社に差し出すのではなく、一度自分の手にもち、会社という時間泥棒に渡すのか、自分自身に還元するのかを意識していく必要があるんだと思います。

また、私はPTA組織にも効率の悪さを感じています。そこに効率化のメスを入れるのは、無粋なことになるのでしょうか?

PTA組織が、モモの友人たちのように、楽しく暖かく、集まって楽しみながら学校に協力していくことができるなら、効率化なんてどっちでもいいし、効率化を求める必要もないと思うんです。
でも、今のほとんどのPTAはそうじゃありません。
誰も係なんてやりたくない。
係になったらとりあえず適当にこなそうとするけど、作業もアナログで効率も悪いから楽しくもないうえに時間もとられる。

楽しくもないのに無駄に強制力があり、まったく効率化もされていない。
私からみれば、「子どものため」という大義名分のもと、無償の協力を強制されるPTAの仕事がそもそも時間泥棒なんです。
そんな時間泥棒に渡す時間は最小限にしたい。
自分の家庭の時間、自分の仕事の時間に割きたい。だからPTAなどの保護者組織の非効率さに心底うんざりするし、みんながイヤがっているのに改善提案すら言い出しにくい同調圧力を感じると本当にがっかりしてしまうんだろうと思います。

だからきっと私の効率化したい欲自体は悪いことではないのだと思います。むしろ、時間泥棒に時間を奪われないようしっかりタイムマネジメントできているじゃないかと、自惚れかけています(笑)
問題なのは、手段が目的になってしまい、効率化して得た時間に無自覚になることがいけないのだと思います。その無自覚に、時間泥棒たちは付け入ってくるのかもしれません。

ワタクシ的名言

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」 またひと休みして、考えこみ、それから、
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。
そしてまたまた長い休みをとってから、
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」

モモの大切な友人、ペッポは道路掃除の仕事をしています。マインドフルネスなんて言葉がまだなかった時代なのに、ペッポはしっかりとしたマインドフルネス思考を持っています。
今ここに集中して、全力で取り組む。そうすれば楽しくなるし、気付いたときには遠くまで進んでいる。
すごいなぁ。
こういうセリフが半世紀前の物語にある。
それがすごいなぁ。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい 才能 をもっていたのです。

本当だなぁ。
モモのように聞くって、すごく難しいことだと思う。モモのような人が世の中に増えれば、その周囲の人はきっと満たされるし幸せな人が増えるのではないかなぁ。
自分が思っている以上に、私たちの心は、自分の話を聞いてもらいたがっているのではないかしら。ただ、じっと聞いてくれる人がいること。それは、それだけでとても暖かいことなのだ。
私も、モモのように話を聞ける人間になりたいな。

「いぜんにはな、みんなはモモのところに話を聞いてもらいによくきたもんだ。聞いてもらっているうちに、みんなはじぶんじしんを見つけだしたんだ。おれの言う意味がわかってもらえるかな。ところがいまじゃ、みんなはもうそんなことはしたがらない。いぜんにはな、みんなはおれの話を聞きにもよくきたもんだ。そしてじぶんじしんをわすれたもんだ。ところがそれもいまじゃしたがらない。そんなことにつかう時間がないって言っている。そしておまえら子どもたちのための時間もないって言うんだろ。これでなにか、わかることがありゃしないか? おかしいじゃないか、どういうことにつかう時間がなくなったのか、考えてみろよ!

モモのもう一人の大切な友人ジジが語った言葉です。
深い。
仕事場でも、仕事場以外でも、人と話をし、聞いてもらうことで、自分の考えや自分自身がかたち作られていく感覚が確かにあるし、誰かの面白い話を聞いて、我を忘れて笑い、心が軽くなることもある。
その時間がなくなってしまうと、人生の迷子になってしまうのかもしれないなぁ。

今の時代と重なりすぎて、物語のなかのセリフがすごく刺さりました。
本当に名作。
今の時代だからこそ、みんなに読んでもらいたいなぁ。

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