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栽培植物のリスト 「紅花」の歴史

栽培植物のうち、油脂作物と呼ばれる作物の4つ目は、日本でも歴史的におなじみの作物の一つ、「紅花」について。

紅花は江戸時代を代表する商品作物であり、「四木三草」のうち、三草の一角。
※四木
桑(蚕の餌で、養蚕に必須。扇状地の土地利用で頻出)
漆 (塗料。湿気で乾くという稀有な特性を持つため、漆器の産地は特殊)
茶(宇治、静岡、狭山茶が有名。特に栂尾産は「本茶」と呼ばれた)
楮(和紙の原料。ちなみに「流し漉き」は日本独特の製法)

※三草
麻(日本で繊維と言えばこれ。木綿は江戸時代に一般化)
藍(青の染料。阿波の藍玉は名産品)
紅花 (今回のテーマ)

紅花は赤の染料ですが、日本では古代から「赤」は魔除けの色、ハレの日の色として用いられてきました。
赤飯などはその例の一つと言えます。

では、紅花はいつごろから日本に来たのか、そもそもどこから来たのか(日本原産なのか)も含めて見ていきたいと思います。

紅花はどこで生まれたか

紅花はキク科の植物。
キクと言えば、お彼岸などにも使われるこちら

Wilipediaより

のイメージが強いですが、こちらは中国原産の「家菊」と呼ばれる植物。
紅花は、北アフリカ(エチオピア辺り)が原産とされます。この辺りの出身と言うと、他にコーヒーノキ等があります。

紅花は先述の通り、「赤」の染料としても有用。
その利用の痕跡は古代エジプトでも見られます。
ミイラの製作の際、包帯の染料として紅花が使われていました。
貴重品でしたので、誰でもというわけではなく、高貴な人物のミイラに使われていたようです。
赤は古今東西、聖なる、或いは高貴な意味を持つ色だったということになります。

また、油脂が採れるということで油脂作物としての生産も盛んになり、東方に伝播していきます。
一方、すぐ近くのヨーロッパにはあまり普及していません。地中海沿岸であれば栽培に不適ということは無いと思いますが、不思議です。
同地では油脂作物ということであれば、オリーブがありますのでそれほど有用と見なされなかった可能性が考えられます。

東方への伝播

紅花がまず東方に伝播した先はインド
こちらはかなり早く、今から2000年以上前には栽培が始まっていました。
そして、東南アジアにも陸路・海路を通して伝播していきます。

一方、中国へはインドからではなく、どうやらシルクロード経由で伝わったようです。
一説には、紀元前2世紀、前漢の張 騫(ちょうさい)

Wikipediaより

が西方から持ち帰ったとも言われています。
彼は武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために西方の大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした人物として知られています。

日本へはいつ?

日本への伝来は、少し中国への伝播からは間が空いて、飛鳥時代(6世紀頃)。
一説には、日本に「紙」「墨」をもたらした高句麗僧の曇徴が、紅花も共に持ち込んだと言われています。
時代で言えば推古天皇や厩戸王(聖徳太子)の頃。

その後盛んに栽培されるようになり、8世紀には貢納品の代表格として挙げられるようになります。

ちなみに、「紅」を「くれない」と読むのは、赤の染料である紅花の旧和名が「呉藍(くれのあい)」だったため。
それに「紅」の字を当てたことが由来という説があります。
古代で高貴な色と言えば紫と紅で、寺社などにもよく使われています。
そのため、古代日本では専ら染料や薬用としての栽培でした。

古代の栽培地は千葉県長南市、近世以降は山形県(最上地方)や埼玉県の桶川市などが有名でした。

紅花は油脂作物?

実は、日本では古代から中世にかけて、紅花に限らず、あまり油脂作物の事が出てきません。
これは日本における他の作物にも共通して言えることなのですが、やはり穀類、豆類が中心だったため、油脂を多量に使う調理があまり行われなかったことも影響しているかもしれません。

現在は油脂作物としての生産が主で、その油脂は食用、工業用に幅広く使われています。
ただ、日本では化学染料の普及により、栽培は急速に衰退。現在はわずかに栽培されるのみです。

というわけで、今日は紅花についてでした。
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