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最終小説『全自慰文掲載 又は、個人情報の向こう側 又は、故意ではなく本当に失敗し、この世の全ての人間から失望されるために作られた唯一の小説』あとがき

お疲れさまでした。
この小説は、目次一というペンネームはおろか、僕個人としても、最後の小説となります。
Twitter上のモーメントに収められている第1小説『私クレジット』から第7小説『禁書・クラウド・ファンディング』、そして、noteに場所を移し、2ndシーズンとして書かれた、第一小説『尼の泣き水』、第二小説『レベルE--安楽死remix』を含め、本当に最後の小説です。
これをもって、小説家としては断筆、となります。
コンセプトは、二つ。
一つは、多様性に対する相対的反発です。
もし、多様性を世界に浸透させたいのならば、「人の個性はそれぞれだよね」とお互いに尊重したいのならば、この小説で書いたような、全ての男性の内部にある独裁者的なオナニズムぐらい乗り越えてみせろよ、と言いたい。
もう一つは、小説家失格的な自己暴露です。
誤字脱字、文法上のミス、描写の下手糞さ、あるいは、点線が多用されている表紙絵の通り、隅々まで行き届かない視覚的想像力の欠如など、自分自身の小説家としての「才能の無さ」全般に対するコンプレックスを全てさらけ出すことによって、この世の全ての人から失望されるような小説を残してみたい、ということです。
無論、「誰もやったことがないこと」ではなく、「誰もやりたがる人がいないだけ」なわけですが、プロの作家さんたちが出来ないこと、即ち、単行本や文庫本を出版できない立場だからこそ出来る「逆張り」として、筋は通るかな? といったところです。
言い訳はしません。
文字で書かれたという側面ではフィクションですが、僕、目次一の実生活そのままであり、本当にあった出来事です。
モチーフに関しても、言い訳せず、はっきり断言しておきましょう。
この小説のモチーフは、例の、市川猿之助さんの事件です。
彼がこのまま許され、また、歌舞伎の世界に戻る、という美談げの風潮がまかり通りつつあるわけですが、それには断固として反対だったので、こういう形で、反抗声明を出しておきたかったのです。
作中でも言及していますが、殺人を犯した人は365日、毎分毎秒、そのことを考え続けなければならない。
これまで僕が発表してきた小説全般に言えることですが、この小説もまた、基本的には、僕と同じような長期間引きこもり状態にいるような人たちに向けています。
「僕みたいな、もっと酷い、人間失格がいますよ」ということで、少しでも心の慰安になってくれたら、という、自分勝手なボランティア精神です。
国策の、 ひきこもりvoicestation に対しては、苦笑しています。
最後に。
こんな文字通り糞みたいな小説の「影響を受けた」作品のクレジットとして記載されるのは、失礼千万、迷惑千万であることは百も承知の上で、影響を受けた/引用させてもらった芸術作品群をクレジットして終わろうと思います。
全体を通して、安部公房さんと養老孟子さんの対談に出てくる「エントロピーとしてのゴミ問題」への言及と、クールベさんという画家の『私のアトリエの内部 私の7年間の芸術的生涯を要約する寓意』という絵とその芸術家としての姿勢全般に支えられています。
表紙絵に関しては、葛飾北斎さんの『神奈川沖浪裏』、ブレイクさんの『愛欲の渦』、ベックリンさんの『死の島』、ホルバインさんの『墓の中のキリスト』、ジェリコーさんの『メデュース号の筏』、ガスパーさんの『氷海』、グリューゲルさんの『反逆天使の墜落』、ハンターハンターさんの『クロロvsヒソカ戦の群衆』などから、着想を得ています。
これらの絵画系の知識は、山田五郎さんのYouTubeチャンネル『オトナの教養』で出会ったので、山田吾郎さんにも、ご迷惑でしょうが、感謝の意を述べておこう、と思います。
Twitterアカウントの「不要不急連載小説空間」という名前は、いとうせいこうさんが2012年ぐらいの時期にエキサイトブログ上で行なわれていた『連載小説空間』からもじってつけた名前なので、本当に迷惑でしょうが、いとうせいこうさんにも、感謝の念を述べておきます。
これまでご愛読、ありがとうございました。
Ps.
この写真は、射精前の降谷建志もどきの男でしょうか? それとも、射精後の降谷建志もどきの男でしょうか?

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