あなたの短歌よみます!!(第1回)

Xで行ったスペース「あなたの短歌よみます!!」第1回の文字版です。
「短歌の感想を言う練習がしたい」という私のポストにいいねをしていただいた方の中から、21首を紹介しています。
ありがとうございました!

1.折り鶴はどこに飛べるの 災いを思い出さずに過ごして長い/武田ひか

鶴は渡り鳥で、気候の寒暖によって、環境に適したところへ移動するそうです。
主体は、手元にある折り鶴も、本来は適したところへ飛んでいくはずなのではと思いいたったようですね。
千羽鶴があるように、折り鶴は願いを込めて折られることがあります。
しかし、この歌に出てくる折り鶴は、なんてことない日常で折られたものなのでしょう。
手のひらに載る一羽の鶴は、もちろん実際に飛び立つことはできません。
ですが、それでいいのではないでしょうか。
「災い」が何を示すのかは分かりませんが、病気、災害、戦争などが思い浮かびます。
「災い」を思い出さずに、手元の折り鶴をただの折り紙として見ている。 その主体の現在は、幸せと呼べるものなのではないかと思いました。

2.キューピッド 笑顔で弓矢を握りしめ愛はどこから暴力だろう/暗い部屋で

キューピッドは、ローマ神話の恋愛の神クピドーの英語名です。
ビーナスの子で、翼のある少年。その金の矢を心臓に受けた者は恋情を起こすといいます。
愛は素敵なもの、温かいものというイメージがありますが、この歌では 愛と暴力をひとつづきに考えているようです。

きっとこの歌で言われている暴力は、分かりやすい暴力ではないでしょう。 暴力と感じるボーダーは人それぞれです。
人はそれぞれ愛に対するイメージも、大きさも、距離感も違います。

キューピッドは、良かれと思って、「笑顔」でその人に金の矢を打つ。
射られた人は、誰かに恋情を抱く。
恋はよいものです。愛はよいものです。
キューピッドは無邪気に思っています。
では、実際に生きて行動する2人は、同じ「愛」のイメージを持ち合わせているでしょうか。
そんなことはありえません。
すり合わせて、時には衝突して、そうやって少しずつ相手の愛の形を知っていく。
そうやって、愛が「暴力」に変わっていくボーダーを越えないようにしていかなければならないのでしょう。
キューピッドの矢は、愛のきっかけにすぎません。
愛を暴力に変えないためには、2人の人間が相手のことを思って、自分のことを思って、互いに向き合う必要があるのだろうなと、思いました。

3.「泣きたい」と書けば赤字で直されて歌の中でも素直に泣けぬ/くらたか湖春

短歌の講座などで歌を添削されている景と読みました。
短歌は、悲しいや嬉しいなどの言葉を直接使わずに詠むのがよいと最近知りました。
「泣きたい」と書いた歌も、おそらく講師の方から見ると、悲しみをもっとべつの言葉で表現すべきと判断できる歌だったのでしょう。
添削されたときに、心に「うっ」とくる心情がとてもストレートに伝わってくるお歌だと思いました。

「歌の中でも素直に泣けぬ」
中でもということは、主体は普段からあまり涙を見せぬ人なのでしょうね。
「泣きたい」という言葉も、泣いてはいないですもんね。
泣きたいくらい辛い、本当は泣いてしまいたい、そんな「題材」が主体の日々の中にはあるのでしょう。
短歌の添削の歌というだけではなく、主体の普段の在り方も想像できるお歌だと思いました。

4.蝦夷鹿の脈動に雪は赤くなる不思議とぼくら怖くなかった/のぞみ

エゾシカは、ニホンジカの一種で北海道だけにいるそうです。
昔は乱獲や大雪で絶滅しかけましたが、現在は増えています。
エゾシカが増えたために、農作物被害や、道路や線路に飛び出して事故に繋がったりしているそうです。
そのため、狩猟免許を持っているハンターが捕獲して、数を調整しようとしている、という現状があるそうです。

主体はハンターなのでしょうか。
ハンターだとしても、初めて狩猟を行ったかのような初々しさがあります。

エゾシカの脈動とともに、一定のリズムで雪がだんだんと血の赤で染まっていく。
どこか儀式めいたものがあります。

ぼくらは何が怖くないのでしょうか。
命を奪う事、目の前で命が失われていくこと、そのことへの恐怖でしょうか。

まさに今失われて行こうとする命を、主体はただただ見つめています。
「ぼくら」という連帯も、儀式の一員として祭事を見つめているように感じます。

残酷なはずの場面が、どこか神聖な儀式のように感じる、不思議な一首だと思いました。

5.いつの日かタイムマシンに乗れたなら教えてあげる、生きてていいよ/歩

好きだなと思いました。
タイムマシンに乗って会いに行くのは、きっと過去の自分なのでしょう。
「自分は生きていていいのだろうか」と悩んでいる時期があったのでしょうね。
誰にも言えずに抱え込んだまま、今まで生きてきた。
本当は誰かに「生きてていいよ」と言ってほしかった。
でも、「生きてていいのかな」なんて人にはなかなか言えないですよね。
主体は結局生き延びました。
昔よりも強くなりました。
けれど過去の傷ついていた主体も確かに心の中にいるのです。
だから、もし、もしもタイムマシンがあったなら、自分で自分に言ってあげようと決めた。
「生きてていいよ」
欲しかった言葉を自分にかけられる主体は、タイムマシンがなくても、もう過去の自分を救っているのだと思いました。

6.花火音からだを重く震わせて本心はいつも後から気づく/よるね

下の句が好きだなと思いました。
「本心はいつも後から気づく」
これは主体自身のことでしょうか、それとも相手がいるのでしょうか。
今回は主体自身のこととして考えてみたいです。
打ち上げ花火を、離れた場所で見ると、花火が見えてから、しばらくして音が聞こえます。
鮮やかに花開く花火、そのあとでドンっとからだを重く震わせる音が聞こえる。
本来は同時に起こっているはずのことが、後から伝わってくる。
なんだかとても不思議ですね。
相手に何か言われて、とっさに答えた後に、「いや、本当はこう思っていた」と後悔に襲われることはないでしょうか。
遅れてやってきた本心は、主体のからだを底から震わせます。
「いつも」ということは、主体はひんぱんにこういう場面に出くわしているようですね。
自分のやりたいこと、言いたいこと、思っていることをとっさに口に出すのはなかなか難しいものですよね。
共感できる一首だと思いました。

7.いつも想わなくてもいいよカニの殻剥いてるときとか忘れていいよ/外村ぽこ

好きですね~。
「カニの殻剥いてる」ときが絶妙ですよね。
たしかに集中している。
相手は何か肩に力が入っていたのでしょうかね。
そこで主体がそっと声をかける。ユーモアをそえて。
ただ、カニを食べるのって、結構レアケースな気がしませんか?
だから主体の本音は、いつも想っていて欲しいだったりするんじゃないかとちょっと思ったりしました。
料理中も、買い物中も、お風呂掃除をしている時も、いつも頭の片隅に主体を想っている相手がいて。
その相手と同じくらい主体も相手を想っている。
なんだかとてもあたたかい気持ちになる歌でした。好きです。

8.歪ませた弦の声を持つ怪獣と同じ波長で鳴いてもいいかい/遠藤ミサキ

ゴジラの鳴き声は、楽器の音を加工して作られたものです。
コントラバスの弦に滑り止めに使われる松ヤニを塗り、皮手袋をはめた手でこすった音が元になっているそうです。

さて、主体はとんでもない声で鳴こうとしているようです。
一体何があったのでしょうか…。
怒っているのか、悲しんでいるのか、なんだかやけくそになっているようにも思えますね。
言葉で通じないなら、もう叫ぶけど?
そんな心境なのかもしれません。
主体を怒らせた相手がいたとして、もう謝っても遅いでしょうね。
あらぶる主体の心を受け止めるしかなさそうです。

「鳴いてもいいかい」と許可を取る理性はまだ主体に残っているのが面白いなぁと思いました。

9.ひとりからひとりぼっちになるための経由地として君が手を振る/あひる隊長

とても私好みなお歌なので選ばせて頂きました。
「ひとり」になることはひとりでもできる。
でも「ひとりぼっち」になることはひとりではできない。
ぼっちという言葉が付くだけで、一気に叙情性が増します。
こういう言葉の使い方、とても好きです。
君を「経由地」と表現しているのもとてもうまいなと思いました。
一旦は一緒にいるけれど、一時的なもので、すぐに離れてしまう。

結句から、万葉集の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という額田王の歌を思い出しました。
こちらは無邪気に手を振る大海人皇子をたしなめている歌とされています。

この歌の「君」は笑っているのでしょうか、泣いているのでしょうか。
「またね」となんでもないように笑っているように感じます。
それを主体は孤独になる、寄る辺がなくなると感じている。
温かさを知ったからこそ、孤独になることに痛みを感じる。
とても素敵なお歌だと思いました。

10.立枯れの向日葵背なに日を受けて与えるだけの恋じゃなかった/美郷

ひまわりは、花が咲き終わったら、つぼみのすぐ上から切り取るそうです。
そうすることで、次の花も綺麗に咲くのだそうです。
もし種を取りたい場合は、咲き終わった花をそのままにしておきます。
そうすると中心部分から徐々に種が作られていくそうです。

この歌の枯れているひまわりは、もう太陽の方を向く気力もありません。
また、次の年に向けてこの花を生かすつもりもないようです。
ですが、この花からはたくさんの種を取る事ができます。
新しく咲く花の元になることができるのです。

下の句の「与えるだけの恋じゃなかった」に希望を見出すことができます。
もう終わってしまった。よみがえることはない。そこに悲しみはあります。
ですが、与えるだけではなく、ちゃんと与え合う相互の関係だったことが、主体の心を支えています。

この花はもう咲きませんが、この花から取れた種から次の年に新しい花が咲くでしょう。
主体の心が前を向いている、希望のあるお歌だと思いました。

11.まなうらに深夜の海のさざなみを 無理して眠らなくていいから/鈴木ベルキ

主体は眠れない夜を過ごしているようです。
ベッドの上で、せめて目をつぶって、静かに眠りを待っている。
それを「まなうらに深夜の海のさざなみを」とは、なんて素敵な表現だろうと思いました。
そして下の句に、そっと寄り添うように「無理して眠らなくていいから」と言ってくれます。
主体が自分に対して言っているのかもしれないですが、この歌を読んでいるこちらに声をかけてくれているように感じました。
静かで、やさしくて、好きなお歌です。

12.車窓から見ればきれいな故郷(ふるさと)でひとりで生きてきた、さようなら/睦月 雪花

誰も味方がいない故郷から、電車に乗って出て行く。
見送る人は誰もいない。
良い思い出のない土地を、距離を取って見てみると、きれいな風景に見える不思議。
きっと故郷にいる間は、主体にとってはすべての風景が灰色に映っていたことでしょう。
「ひとりで生きてきた」という言葉には、寂しさと同時に強さや気高さ自負を感じます。
「さようなら」としっかり発音することで、体だけでなく、心も故郷から決別しているのでしょう。
きちんと別れを告げた後は、新しい場所で、新しい出会いがあります。
主体の今後が穏やかであたたかいものであることを願いたくなる、そんなお歌でした。

13.黄昏を照らす言葉をくれるならあなたが誰で何だっていい/常盤みどり

「黄昏」という言葉には、夕暮れという意味もありますが、比喩的に、盛りを過ぎ、勢いが衰えるころの意味にも使うとありました。
主体は自分一人では立ち上がることができない状況にあるのかもしれません。
そこで主体が信じているのは言葉です。
言葉は、人はもちろんですが、テレビやラジオ、本やインターネット、あらゆるところから摂取することができます。
「あなたが誰で何だっていい」
投げやりとも思える下の句が、主体の切実な様子を描き出します。
主体はまだ、終わりたくないのです。
立ち上がりたいのです。闘っていたいのです。
そのための言葉を必死に掴もうとしています。
言葉を信仰しているともいえる主体に、私は共感を覚えました。

14.へんてこな柄の靴下を見せたら毎回律儀に笑ってくれる/瑞野透

とても素敵な関係だなぁと思いました。好きです。
主体はわざと「へんてこな柄の靴下」を履いていくんですよね。
相手が笑ってくれると分かっているから。
それですごく安心して、嬉しくて、ついつい会うたびに毎回見せてしまう。
靴下を買うときに、「あの人が笑ってくれるかどうか」が基準になったりして。
「律儀に」とあるように、主体は、相手が付き合って笑ってくれているとどこかで思っているんですよね。
そこに冷静さがあって、へんてこな靴下を心底愛好している人間だから履いている、というわけではないんだろうなぁと想像させます。
こんなほっこりするコミュニケーション、今後も続けていってほしいですね。

15.好きなものいくつかあってそのうちのひとつ 自炊をした日のわたし/藍元

共感しました。
わかります。
家事ができるかどうかってボーダーラインの一つですよね。
特に料理なんて、自分を生かすためにやっているものですからね。
自分一人を生かすために料理をする主体、えらすぎますよね。
好きなものがいくつかあるのもいいなぁと思いました。
主体を支えるものはそれだけではないというのは安心できます。
これからも、大丈夫な日は自炊をして「わたし」を好きになっていってほしいなと思いました。

16.人生に無駄なことなど何もないグリンピースを次々に置く/桃園ユキチ

主体はたぶんシュウマイの上にグリンピースを置く仕事をしているのでしょうね。
同じ動作を何度も何度も繰り返していると、ゲシュタルト崩壊のように、「私は一体何を…?」と考えだしてしまいますよね。
でもそこで主体は「人生に」という大きな括りを出して自分を励まします。
落ち込んでいた、迷っていた、悩んでいた主体が歌の前に居て、そこから「人生に無駄なことなど何もない」と割り切った主体になる。
そして、またいつものように手際よくグリンピースを置いていく。
共感性や普遍性のあるお歌だなぁと思いました。

17.感情のフォークボールもこぼさずに優しくすくいあげる女房/アサキキシ、ウミ。ツキトカゲ。

フォークボールは野球の球種です。
ストレートの軌道から、打者の手元で急激に落下する変化球だそうです。
感情のフォークボール…打者にとっては恐ろしいボールですが、主体が目指して投げているのは、キャッチャーのミットなんですよね。
フォークボールを投げるピッチャーはもちろんすごいですが、実は受け取るキャッチャーも技術を持っている。そこにフォーカスしているのが素敵だなと思いました。
難しいボールも「優しくすくいあげる」ように受け取ってくれる。
そんな女房役がいる主体は幸せだなあと思いました。
投げるボールはキャッチャーが指示を出して決めているイメージがあります。
実は、二人とも難しいボールを受け取り合えるのを楽しんでいるのではないかな、とも思いました。

18.翌朝の一杯残った豚汁を分け合い外の雪を眺めた/桜庭紀子

生活が見える素朴なとてもよいお歌だなと思いました。
一杯分の豚汁と分け合うということは、恐らく二人暮らしなのでしょうね。
昨夜も食べた豚汁を仲良く分け合っている。
そして「外の雪を眺めた」がいいですよね。
「降ったね」とか「積もったね」とか、そんな他愛ないことを話している二人が想像できます。
特別なことがない日常があたたかに感じました。
好きなお歌です。

19.信号のひかりがすこし淡いから「すすめ」は「すすんでいいよ」みたいね/逢

主体はその日、いつもと違うことがあったのではないでしょうか。
あたりまえに見えていた景色が、違って見える。
それは、風景が変わったのではなく、主体の心に変化があったからでしょう。
考えてみると信号の「すすめ」は命令形です。
それを「すすんでいいよ」とやさしい投げかけに感じている。
きっと、主体の中でよい変化があったのでしょうね。
やわらかく、やさしいお歌で好きだなと思いました。

20.後戻りできない恋は耳冷やしピアスを開ける行為に似てる/∠ちさめ

主体は後戻りできないと思うほどの恋に落ちたようです。
ピアスの穴を開けるときは、痛みを感じないようにするために冷やすといいと言いますよね。
この歌は耳を冷やすことも恋に含めているのが面白いと思いました。
痛みを感じないようにする、麻痺させることで、「後戻りできない恋」の苦しさを緩和させているのでしょうか。
ひんやりとした耳たぶの感触と、バチンっという音を立てて穴が開くのを想像し、この恋は主体にとっては自傷行為にも近いものなのではないかと思いました。
穴を開けたあとは、穴が安定するまではファーストピアスをつけっぱなしにする必要があります。
主体はピアスをつけ続けるのでしょうか。
それとも途中で外してしまうのでしょうか。
この恋の行方がどうなるのかが気になる一首です。

21.君はそう、神さまからの使者だろう寂しいときに抱きしめられて/まつき

「神さまからの使者」は、神様に所属して、神様の命令を伝える使いであるといわれる動物だと考えられます。
「君」は主体が飼っている動物なのでしょう。
主体は寂しくなると、その動物を抱きしめます。
柔らかく、温かい生き物は、きっと主体にされるがまま、大人しく抱きしめられるのでしょう。
主体の寂しさを癒し、安心させる存在。
主体にとってはまさに神様が使わしてくれたものです。
守り守られて、ひとりと一匹が生きていってくれることを願います。

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