あなたの短歌よみます!!(第2回)

Xで行ったスペース「あなたの短歌よみます!!」第2回の文字版です。
「読み解いてほしい一首」を募集し、16首を紹介させて頂きました。
ありがとうございました!

1.眠れない人だけ見れる空際の明るさ僕は海を知らない/マミヤミレイ

そらぎわ、くうさいとも読むそうで、はるか向こうの、土地が空に接して見える所だそうです。
主体、「僕」は、眠れない人側の人間なのでしょう。
主体の目に映るのは、土地と空の境が分からない暗い夜から、ゆっくりと明るくなっていくさまでしょうか。
主体は海を知らないそうです。
「海」とは何を指すのでしょうか。
私は、人への信頼と考えました。
他人に心を開くことを知らない主体。
常に不安と共に生きています。
安心して眠ることもできないでしょう。
たった一人で見る空際の明るさはどうしようもなく美しく、切ないものでしょう。
眠れない時の、世界に拒絶されているような感覚を思い出すお歌でした。

2.ぬる水にひかりも腐りぼうふらはメメント・モリのかたちで眠る/T・G・ヤンデルセン

ボウフラは蚊の幼虫です。
蚊が卵を産み付ける場所として一番の条件となるのが、水が溜まっている場所です。
バケツ、空き缶、鉢植えの水受け、ちょっとした水が溜まっているところにボウフラが発生します。

ボウフラは体が小さいのと、泳ぎはそれほど得意ではないという特徴があるそうです。
そのため、水の流れがあると流されてしまうため、流れのない静かな水辺を好んで生息しています。

このお歌では、どこかにちょうど良くぬるい水がたまり、ひかりも届かない、ボウフラに適した環境が出来上がっているようです。
ひかりが届かないということは人間の目も届きにくい場所なのでしょう。

水の流れもなく、静かに成長していくボウフラたち。
メメント・モリは「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味だそうです。

人間から見れば迷惑な存在ですが、彼らは彼らなりに生存競争を生き延びようと必死に生きています。

すべてのボウフラが蚊の成虫になれるわけではないでしょう。
ボウフラにとって安定した静かな場所で、選別されるような気持ちもありながら、生きるために眠っているのでしょう。
そこには確かに「メメント・モリ」という警句が似合うような気がしました。

3.君が君の恋の話をしてるときずっとほんのり寂しくて、すき/藍元

主体と君は友達同士ではないかと思いました。
「君の恋の話」は、主体とのことではなく、別の相手への想いの話だと思いました。
君は今目の前にいる主体ではなく、想い人の話をしています。
主体は聞き手に回っているようです。
君と君の想い人の話は、主体とは関係ないところで進展していきます。
目の前にいる自分とできることをしようよ、私たちの話をしようよ。
どこかで主体はそう思っているのではないでしょうか。
でも、主体は恋の話をするきみのことがすきなのだそうです。
きっととても楽しそうに、きらきらと君は話しているのでしょう。
自分以外の話をされるのは少し寂しい、でも楽しそうな君を見られるのはとても嬉しい。
相反する感情がそっと両立している一首だと思いました。

4.国境に雪ふりしきる 何者にもなれないとしてそれがどうした/姿煮

国境に雪が盛んに降っている。
何かの比喩でしょうか。
「何者にもなれないとしてそれがどうした」
下の句はずいぶんと挑戦的な主体の感情が吐き出されています。
国境も、雪も、ひとりの人間にはどうしようもできないものです。
国境は歴史・政治が決めてきた。雪は自然に降ってくる。
主体は自分には動かせないものをあえて見つめているようです。

「何者にもなれない」のは、大半の人間がそうです。
自分や家族を生かし、生活し、笑ったり泣いたり怒ったりしながら生きて死んでいく。
そのことに抗いたい、何者かになりたい、そう思っていた時期も主体にはあったのではないでしょうか。
ですが今は、国境にふりしきる雪をただ見つめることを容認している。
何者にもなれずに生きていく自分を肯定しようとしている。
過去の自分が作り上げていた理想の自分像を崩し、地に足をつけて生きていこうとしている主体像を思い浮かべました。

5.マイルスのレコード鈍く珈琲とともに飲み干せ香ばしき雨/錦木 圭

マイルス・デイヴィスというジャズのトランペット奏者がいらっしゃるのですね。
マイルスのトランペット・プレイは、ミュートを使用し自身の特性を考慮し、ヴィブラートをあまりかけず、跳躍の激しい演奏などといったテクニックにはあまり頼らない面が挙げられるそうです。
ハイトーンを避け、中音域がトランペットにおいて最も美しい音が出る、として多用します。

主体はそのレコードを聴いている。
ミュートのかかったくぐもったようなトランペットの音が鈍く響きます。「飲み干せ」という言葉から、主体は少し鬱屈を感じているように思いました。

お気に入りのレコードを聴いてもなんとなく落ち着かない日。
せめて晴れていればいいのにあいにくの雨。
なんだかすっきりしない主体。
本来は珈琲にかかるはずの「香ばしき」が雨にかかっています。
雨が止むことを祈って、いや、自分が雨を止ませてやろうと勢いをつけて、珈琲を飲む主体。
きっと休日の出来事でしょうね。
珈琲を飲み終えた主体は、これから外出するのではないかなぁと思いました。

6.アンタークチサイトが混ざる血液が抱き合わないと凝固して死ぬ/ナクキザシ

アンタークチサイトは、ハロゲン化鉱物の一種です。
約25度で融点に達し、液体化する鉱物です。

さて、なかなか読解が難しいお歌です。
アンタークチサイトが混ざるとは、何と混ざるのでしょうか。
混ぜることができるということは、25度以上の環境で液体化しているということですね。

アンタークチサイトを相手への愛情と考えてみましょうか。
相手に輸血するように、愛情をそそぎます。
相手にも愛情の「型」がありますので、抱き合わなければ、適合しなければ、血栓ができてしまいます。
また、相手が冷めてしまってもいけません。アンタークチサイトが鉱物になって固まってしまうからです。

愛情を注ぎこむのはよいことばかりではなく、命の危険を伴う行為だという警告ともいえる一首ではないでしょうか。

7.出身は何処かと訊かれ答えるが波打ち際に頽れた椅子/桜庭紀子

初対面の人との会話のとっかかりでよくありますよね。
出身はどちらですか?とかずっとこちらにお住まいなんですか?とか。
そこから会話のラリーを続けていくのかと思いきや、会話はそこで途切れてしまったようです。
相手がどういう気持ちだったのかは分かりませんが、少なくとも主体は肩透かしをくらったような状態になりました。
頽れるには、「気力が抜けて、その場に崩れるようにして倒れる」という意味があります。
主体の心境としては、それくらい、辛い場になってしまったようですね。
でも表面上は何ともないように装っている様子が想像できます。
切ない情景ですが、よくある光景でもあり、共感することができるお歌だと思いました。

8.散々にこすり倒されててもパンダ 見れば愛らし大家都喜欢《ダージャードゥシーファン》/Aya_Ohhara(大原史)

「こする」はネットスラングとしては「同じ話題やネタを何度も繰り返す」という意味です。
「こする」に「倒される」までついているので、主体にとってはパンダの話題は見飽きているのかもしれません。
今年の2月にはシャンシャンの中国への返還が話題になりましたが、そういうニュースを主体もきっと見たのでしょう。

それでも、主体は動物園に実際にパンダを見に行きます。家族など誰かと一緒に行ったのでしょうか。
ちなみに、日本でパンダを見られるのは現在2か所です。
東京の上野動物園、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド。
(兵庫県の神戸市立王子動物園は飼育はしているのですが、観覧が中止されているそうです。)

食傷ぎみだった主体も、実物のパンダには相好を崩してしまいます。
大家都喜欢《ダージャードゥシーファン》は、中国語で「みんなそれが好き」という意味だそうです。
パンダのためにあるような言葉だと言わんばかりの結句です。
主体もすっかりパンダのかわいさを認めてしまったことが分かる、強い結句だと思いました。

9.腐り落つと知るや知らずや蛞蝓の這い跡みだらにひからせよひら/案山子

情報のぎゅっと詰まったお歌だと思いました。
ひとつずつ読み解いていきましょう。

結句の「よひら」は紫陽花のことですね。
「腐り落つ~みだらにひからせ」までが「よひら」にかかっていると読みました。
「知るや知らずや」は「知ってか知らずか」という意味なので、紫陽花が腐り落ちると主体は予期しているようですね。

推測として、この紫陽花は、根腐れを起こして、枯れてしまいそうになっているのではないかと思いました。
紫陽花が根腐れするのは、水の与えすぎと土壌の水はけが悪いことが大きな理由として挙がるそうです。
この水分たっぷりの土壌に、ナメクジがやってきて、追い打ちをかけるように花や新芽を食べているのではないでしょうか。

この弱っている紫陽花を見て、主体は「みだらにひからせ」ている部分に着目しています。
「みだらに」は「性に関して、乱れてしまりがない様子。」という意味があります。
主体は紫陽花が何かを誘っているように見えているようですね。

紫陽花は自分の運命を知っているのか。
知っていてまるで何かを誘うようにそこにあるのか。
どこか客観的に紫陽花を見ている主体に残酷さも感じるお歌でした。

10.だがそれはきみの意見で羊にも聞いてみないとわからないです/小野小乃々

「だがそれはきみの意見で」までは強気なのですが、「羊にも~」からだんだん弱腰になっているように感じました。
最後は「わからないです」とですます調になってしまいました。
声もだんだん小さくなっていっているのではないでしょうか。

主体は「きみの意見」に反対したい。
しかし反論する言葉はすぐに出てこない。
そこでなぜか出てきたのが「羊」です。
なぜ羊なのでしょう。
羊が好きだから。羊年だから。牡羊座だから。
苗字が「羊」さんという方が実際にいるとか?
どれもしっくりきません。

でもそんな実際はいいのかもしれません。
これは主体の苦しい、というかかわいい必死の言い逃れです。
突然の羊の登場に、相手も思わず笑ってしまうのではないでしょうか。
そこで空気が緩和すれば、主体の有利な方向に話を持っていけるかもしれません。
前半と後半の落差が面白いと感じる一首でした。

11.前髪を切っても気づかれない街で左右対称三つ編みを解く/山葵

左右対称の三つ編みは、真面目さ、よいこの象徴という感じがしますね。
主体は、規則や親の目があって、したい髪型に出来なかったのでしょう。
前髪をちょっと切っただけでも「どうして切ったの?」と聞かれたり、場合によっては「似合ってないよ」と言われたり。
前髪をちょっと切っただけでいろいろ言われるということは、身なりはもちろん言動も細かくチェックされそうですね。
そういう過干渉な環境に主体はいたのではないでしょうか。

気付かれないことが心地いいというのが、通常と逆のようで、主体のいた窮屈な環境を思いました。

主体はこれから好きな髪形で、好きな服を着て、そして自由な表情で、新生活を満喫してほしいと思います。

12.廃墟・廃港・廃線・廃市・廃病院・廃家・廃井 あぢさゐのはな/秋月祐一

「廃」という漢字の繰り返しが特徴的な一首です。
名詞だけで一首が構成されています。
「廃」で始まる言葉たちは、失われたけれども、荒れたまま残っているものが羅列されています。
機能しなくなった、人間には用済みとなったもの。
「壊す」という動作が行われないこれらは、再生することもかなわない。
ただそこにあり続けるます。
作った人間がいた、使った人間がいた、関わった人間がいた。
この歌には「人間」という言葉は出てこないが、人間が生きていた気配がとても濃厚だと思いました。

最後のあぢさゐのはなは主体が現実に戻ってくるキーではないでしょうか。
「廃」で始まる言葉たちは、主体が実際に目線で追うには大きなものがありすぎます。主体の想像なのではないでしょうか。
夢見るようにすたれたものを唱えていく主体が、ふと現実に目を戻すとあぢさゐのはなが咲いている。
そういう景ではないかと思いました。

13.ブランコを押して午後五時 今日もまた公園だけが社会であった/美郷

子育てをされている景だと読みました。
こどもは同じことを何度も繰り返して遊ぶイメージがあります。
主体のお子さんも、きっと「もっともっと」とブランコを押してもらって楽しんだでしょう。
主体は、育児をきっかけにお仕事を休まれているのでしょうか。
下の句から、主体にとって本来「社会」はもっと別のものだと言いたいように感じました。
子供はかわいい。今しかない時間を大切にしたい。
そういう気持ちもあるでしょう。
ですが、下の句に断絶された寂しさをどうしても感じてしまう、少し苦しい歌だと思いました。

14.上着には中国の川がついていてあちこちにぶつけてしまってる/井口可奈

さて、この歌をどう読み解いたら良いのか。
中国の川で一番長いのは長江であるなど、調べてみたものの、この歌とはどうも繋がりませんでした。
なので、このままこの歌を読み解くほかないようです。
上着には中国の川がついている。
主体が着ている服の一番外側には、中国の川が流れている。
私は、主体が、帰国子女で中国から日本に帰ってきた人であると想像しました。

帰国子女とは、親の仕事の都合などで海外で長く過ごして帰国した子供です。
【基準①:理由】親の都合による海外滞在であること
【基準②:期間】連続して1年以上滞在していること
【基準③:年齢】学齢期であること(義務教育)

さて、歌にもどりましょう。
主体自身は短くとも1年以上中国で生活していたとします。
外では中国語を話し、家では日本語を話す。そんな生活を送ってきたのかもしれません。
もし主体が中国のコミュニティで育ったとすると、日本に戻ってきてから、学校や職場で日本の独特の文化に触れて戸惑ったかもしれません。
場合によっては、言語化されないルールを破ってしまって、周囲と険悪になってしまったかもしれません。
それが「あちこちにぶつけてしまってる」状況なのではないでしょうか。

「ぶつかって」だったら中身ごと体当たりしているイメージですが、「ぶつけて」だと上着だけが暴れているように感じます。
主体はもしかしたら自分で制御できない上着を脱いでしまいたいと思っているのかもしれないなと思いました。
あくまで私の勝手な深読みになりましたが、とても読み解きがいのあるお歌だと思いました。

15.かなしみは灰色の海空の灰軋む流氷遠いかなたへ/水の眠り

大切な方が亡くなったうたではないか、と「空の灰」という言葉を見て思いました。
とてもきれいな歌ですよね。
そして寂しさを呼ぶ歌でもあると思います。
主体にはどうしようもない「かなしみ」がある。
「灰色の海、空の灰、軋む流氷」
寂しく美しい情景を主体は思い浮かべます。
そして、かなしみを「遠いかなたへ」放ってしまおうとしているようです。
でも、かなしい時は悲しいです。
どうしたって悲しみに浸ってしまう日はあります。
主体の事情が許すのならば、感情が自然に浮上してくるまで、自分自身を待ってあげて欲しいな、と思いました。

16.仕事場でのどかに柘榴を喰む我も今夜は仁義を切りに行くのだ/寺山梛

ざくろは、果実を割ると中に小さな赤い粒がたくさん入っていて、それを手で取り出して食べます。
取り出したざくろの粒は、そのまま食べてもいいですし、サラダに散らしたり、果汁をしぼってジュースにしても良いそうです。
主体は仕事場でざくろを食べているようですね。
おやつタイムでしょうか。
比較的自由な雰囲気の職場なのかもしれないですね。

上の句では「のどかに」過ごしている主体ですが、今夜何か勝負のようなものがあるようです。
「仁義を切る」は、業界特有のルールやマナーを守りながら相手に対して挨拶をすることや、筋を通すことを意味する言葉です。
転じて、裏でこそこそするのではなく、正面からきちんとした言動を心がけたり、申し入れたりすることの意味もあるそうです。

主体はどこの誰に仁義を切りに行くのでしょう。
今夜ということは、仕事が終わった後に何かがあるのでしょう。
私は、恋人の親に挨拶に行く景を思い浮かべました。
結婚を視野に入れての挨拶でしょうか。
「挨拶」とは言っても、勝負どころです。なるべく好印象を残したい、しかしあまりにも普段の自分からかけ離れたキャラクターを演じては後々苦しくなる、塩梅が難しい場面です。

仁義を切るという言葉のチョイスが、主体の気合いを表している一首だと思いました。

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