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岩倉曰『ハンチング帽のエビ』

岩倉曰さんの『ハンチング帽のエビ』を拝読しました。
印象に残った歌を引きます。

声量も速さも変えずもう一度言われてもう一度聞き取れない

「開いて閉じる」

あるある!と嬉しくなりました。
私もこの間、「コーヒーミルク」が聞き取れなくて聞き返したんですけど、同じ声量と速さで返されて、一拍置いて脳が追いついて理解しました。 
マニュアルっぽい対応だと、起こりやすい気がします。
伝わるように言っていると思っている人と、聞き取りたいのに聞き取れない人。
すれ違いは切ないものですね。

旅だけどほとんど健康診断の感覚であちこち回っている

「Ah」

こちらも分かる〜!と思いました。
旅って自由なイメージですが、特に観光地に行くと、ある程度ルートが決まってくるんですよね。
限られた時間の中で、いかに効率よくたくさんの場所を周るか。
深く味わう間もなく、ただただ予定を消化する旅になってしまったりして。
健康診断は、自分の感情に関係なく、指示された部屋を順々に巡って行きますよね。
主体にとっては、慌ただしいけれど機械的な印象の旅になってしまっているのでしょうね。

ほじくったあとのキウイの皮くらい頼りない助け舟だけど出す

「鳥は留守番」

自己評価が切ないお歌ですね。
半分に切ったキウイをスプーンで食べたあとの皮のことですよね。
確かにへにゃんとして頼りない…。
一応、器っぽい形になっているのがポイントだなと思いました。
穴が空いていなければ、漕ぎ出せば浮くかもしれないんですよね。
状況にもよりますが、どんな強度であれ、「助け舟を出そうとしてくれた」というだけで、相手は嬉しいのではないかなぁと私は思いました。

かなしみを知らない人に打ち明けて有料になる手前でやめた

「あるかのように」

「かなしみを」で切れるのか、「かなしみを知らない人」と掛かるのか迷いましたが、切れていると読みました。
主体の「かなしみ」を、初めて会った人に打ち明けている。
深く話そうとすると、「有料」になってしまうと思った主体は、キリのいいところで話を引き上げます。
この「有料」は、本当にお金がかかってしまうのではなく、これ以上話すと何か対価を払わなければならないような負担を相手に強いてしまうという、主体の危機管理能力なのではないかと思いました。
また、「やめた」という言い方が、自分の「かなしみ」を他人が本当に理解してくれるはずがないのだという諦めも感じさせました。

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