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ハッとさせる声の届け方

3月24日で放送が終了した「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)。日常生活にとけこんでいたので、終了のお知らせを聞いたときは落胆した。

でも、こういうとき、知人の名言を思い出す。
友だちを一人失うということは、新しい友だちができるということ

ラジオを聴いてた時間が自由になると思えば、それもまたよし。

代わって始まった「パンサー向井の#ふらっと」も気が向いたとき聴くように。新しい番組や出演者をいいなと思う。これもまたよし。

と、時間と気持ちは移ろっていますが、伊集院さんが2時間半ある番組の冒頭で語りかける「お時間許すかぎり、お付き合いください」というフレーズが好きでした。

聞く人の都合にまかせた(それは当たり前のことなんだけど)無理強いしないその言葉が好きでした。

学生時代や一人暮らしをしていたときはよく眠る前にラジオを聴いていた。何年か前、身体の調子が悪くなったとき、気を紛らわせたくて夜中のラジオが復活。ずいぶんと助けられました。

画面につい拘束されてしまうネットやテレビと違って、ラジオの、何かしながら情報に出会える雑誌感覚なところがいいなと思ってます。

あと、ラジオの距離感。テレビは、画面の向こう側にいる不特定多数の人に向けて届ける媒体。スタジオも広そう。ラジオのスタジオは部屋(一室)のイメージ。雑談やおしゃべりを近くで聞いているような心地よさがある。

演出家で作家の鴻上尚史さんの『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』(講談社)の中に、「自分の声を視覚化する」という話が出てきます。

声のベクトル(向き)を矢印に例えてみるというお話。

目の前の人に話しかけていても、その人に届く前に足元でストンと落ちていたり、シャワーのように散漫に放射していては、届かない。大勢の前で話していても全体を包み込むような届き方もある。

私は話し声が小さいので、この「矢印」を意識して話すことで、届き方がちょっと違ってくるなと思っているんです。

先日、コメダ珈琲店で会計を済ませようとしたとき、前に会計した人がレジのカウンターに上着を置き忘れてお店を出ようとしていた。

その方のお名前はわからない。その方の背中に向かって「すみませーん」と声を発したら、すぐ振り返って気づいてくれた。咄嗟のことで声のベクトルすら意識していなかったけど、ダイレクトにその人に声の矢印が届いていたんだなと妙に納得した。

10年ほど前、立川志の輔さんの「志の輔らくご」を聴きに行ったときのこと。

会場は定員500名に満たないこぢんまりしたホール。それでも志の輔さんが500人近くの観客に向かって、まるで半径数メートルにいる人たちに語りかけるような話しぶりで、その声に包まれて耳を傾ける心地よさがありました。しゃべりのプロとはこういうことなんだなと思った。

たとえば、政治家の福島瑞穂さん。大勢の方を前にした街頭演説でも、囲み取材に応じるときも、話し方のトーンが常に同じに聞こえる。

状況に応じて、声のベクトル(向きと量)を意識するだけで、ずいぶん印象が、届き方が変わるんじゃないかと思う。

今はフリーで活動されている元アナウンサーの堀潤さんが、テレビ局を辞めて間もない頃、ラジオで話しているのを聴いたときも、同じことを思った。

堀さんの声の響きが端正なだけに、話す言葉はスーッと頭の上を通り越していく感じがした。それは、テレビという不特定多数に向けた媒体で、正確な情報を届けるために使っていた話し方を、ラジオという媒体でそのまま使っているからではないかという気がした。

伊集院さんが朝のラジオ番組をお休みしていたとき、ピンチヒッターのアナウンサーが「お時間許すかぎりお付き合いください」と言っていた。同じフレーズでも、そのアナウンサーは台本に書かれている言葉を正確に伝えているという感じがした(実際に台本に書かれていたかどうかはわかりません)。

伊集院さんはいつも、ラジオを聴いているリスナーに向けて語りかけている感じがしていた。これもまたしゃべりのプロなんだなと思った。

声と話し方は、容姿やファッション以上に、その人の印象を形づくるもの(あ、表情もね)。

持って生まれたものと思ってそのままにしておいてもいいけれど、声や話し方は、ちょっとした視点・コツを得るだけで、確実に印象が変わる。

人前で話す仕事をしている方にも、そうでない人にも、鴻上さんの『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』、おすすめです。

ようこそ。読んでくださって、ありがとうございます。