オクジャを観てもわたしは食肉をやめられない

姉の単純さは嫌いではないけど、それでも映画一本観て、エンドロールで開口一番に、もう肉食べない、って言うのは、どうなんだろうと思う。安直すぎやしないか。好きだけれど、姉のこと。


しばらくはそれを守るんだろうけど、でもきっと半年後とかにはふっつーーーーに食ってると思うんだよな、肉。
条件反射的にそう言いたくなる気持ちもわかるけど、そう言わせてしまうような作品をつくれるポン・ジュノがすごいということなんだろうけど、それでもわたしは言い切れない、もう肉食べないとか、言えない。
瞬間計測的な熱に浮かされて、「もう肉食べない」とか言ったりはしない。
ショッキングな映像に感情を揺さぶるストーリーがくっついてるだけで、その場の勢いでそう宣言してしまえる彼女の単純さが羨ましい。


魚も食べないの? と訊いたら、魚は食べるよ、魚はもともと食って食われての生命サイクルがあるけど、牛や豚は人間が食べるために飼育してるから云々。哺乳類だから、とかいうわけのわかんない理由もあった。
魚が鳴いたらぜってー食ってないだろ。泣き声とオクジャの可愛さに持ってかれてるだけだろ。


姉は極端な節がある。
で、だいたいそういう極端な思いつきの発言はだいたい数ヶ月したらもう「終わったこと」になっていて、姉はさらっと、ああもうそれやめた、とか言う。恥ずかしげもなく。


ベジタリアンやヴィーガンを否定するわけじゃない。自分で決めた信条に従って自分をコントロールするのはすばらしいと思う。
実際、映像でだけ屠殺の様子や加工の様子を見たことがあるけど、やっぱりそれなりに凄惨で、きつかった。自分たちが当たり前に食べてるものの過程を知るというのは大切だと思う。何度忘れようが。


ただ、さっきまでおいしいおいしいと言って食していた豚しゃぶを、120分後にはもう食べないと言い切る姉の浅はかさ、まあそれも10年20年と続けば浅はかでもなんでもなくなるんだろうけど、
姉のことは大好きだけれど、こういうときはどうしても、この人ってほんと極端だなとしらけた目で見てしまう。
黙ってやればいいのに。気持ちが一時的にブーストしてる状態で宣言するのは愚かだ。


わたしはおそらくこれから先もヴィーガンにもベジタリアンにもなれない。
食べることは好きだし、その過程が惨たらしくてエグくて直視するのも憚られるものだと知っていても、やっぱり肉は好きだし、魚も好きだ。
もっとちゃんと食肉の実態について学んだら気持ちは変わるかもしれないけど、とりあえずポン・ジュノ監督の感情がしっちゃかめっちゃかになる作品を観ても、さっきまで豚しゃぶ食べてた口で可哀想とか言う権利もないし、食肉は人間のエゴだとわかっていても、ぼろぼろ泣いてエンドロールを見ながら、それでも肉は食べたい、と思った。


一回屠畜場を見学したら、ショックでつらくて、もう食べないでおこうとなるのかもしれないけど。今はまだわからないな。
なんにせよオクジャはおすすめ。作品としてのクオリティがすごい。
から、これを観て姉のように、もう肉食べないと突発的に言う人も出るんだと思う。
やっぱりポン・ジュノはすごい。



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