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大量消費を脱するためウォーキング

おはようございます。

鎌倉にある円覚寺の管長日記を聞くと、本日1月20日は暦の上では大寒、一番寒い時期とのこと。

沖縄はここ数日、春のようにあたたかい日で大寒を実感することはできませんが、管長日誌を拝聴しながら季節を味わっております。

この官長日誌の中で、横田南嶺老師の新書『はじめての人におくる般若心経』のことがふれられておりました。

この中の『法句経』講談社学術文庫を引用して次の言葉が紹介されていました。

「禅の教えでは、禅の喜びや、坐禅をすることの喜び、これが自分の食べ物、糧となっていくのです。

ですから、何もないところからあふれてくる豊かな喜びというのでしょうか、このようなものが、般若心経から学べるところです。

物を集めて増やそうという発想からは、一八〇度の転換です。

物を集めよう、増やそうということは、もう限界ではないでしょうか。

資本主義的な大量生産、大量消費というような洗脳からは、いいかげんに離れないと、地球環境も破壊されるばかりではなかろうかという気がいたします。」

これは私が共感するところです。

いまは資本主義では「経済のため」というと何でも許されてしまう。原発も経済には必要だといって推進してしまっています。

これは合理主義、効率主義、そして頭で考える私たち現代人が陥っている病であると思うのです。

わたしが、ウォーキング道を追求し、ウォーキングの楽しさを人に伝える原動力は、この合理主義、資本主義洗脳社会に挑戦するためでもあると気づかされました。

歩くことは、不便でつまらない、非効率的です。ここ10年のブームの筋トレでは、筋肉をつけるための糖質オフの食事でと肉と野菜を食べる、プロテインをのむことで、たくさんの消費が生まれます。逆にウォーキングは少ない食事で運動ができるので、経済的にみるとメリットはありません。

そんな、非効率的なウォーキングは新しい時代に必要であるとあらためて感じたのであります。

Be Walking! 





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