もろてん。

オーストラリア・メルボルン在住 \\ 人生の半分が豪州暮らしの日本人のような人 \…

もろてん。

オーストラリア・メルボルン在住 \\ 人生の半分が豪州暮らしの日本人のような人 \\ 2013年生まれ娘の母 \\ 社会的企業で世界中から来た移民達と一緒に勤務 \\ 地産地消の食 \\ 世界の料理や食にまつわる話が好き \\ 大阪キタ出身

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子育ては自分のインナーチャイルドを満たす事

私と夫は似ている。 育った国や環境は違えど 共に両親が仕事で忙しかったので鍵っ子だったし 両方に妹がいて面倒を見ないといけなかったこと。 ある程度の習い事もさせてもらえていたけど 全部自分で行って、帰ってきて「あそこのとこ上手にできたね!」とか誰にも褒めてもらえることやフィードバックは親からはなく、ただ淡々と習い事のルーティンをこなしていた子供時代。 今、夫と私には10歳の娘がいて週に4日の習い事の送迎はもちろんのこと、娘のこなす習い事を見学したり(携帯ばっかりを見てい

    • 生きるとは変わること

      生きるとは変わること 2024年版の舟を編むを見て、 とても心に残った言葉です。 モノ等については【形あるもの絶対壊れる。一生ではない】と思っていましたが生きる事が変わるということ。というコンセプトは初めて聞いて、とても印象に残りました。 今日は2年ちょい続けている運動部で、過去最高に一番よく動けて自己ベストを記録したので、頑張った自分を褒めてあげたい! 普段【変わる】事というのは少しばかり恐れも感じてしまいますが、自分も何回も変わらざるを得ない事が多々ありました。や

      • 【40代後半】運動部で気づいた自分の身体

        メルボルンに来てからの私の運動の歴史を少しばかし紐解くと2006 年ぐらいからビクラムヨガにハマった私はその後 2007 年にビクラム/ ビンヤサ/ハサ等のヨガを初めていった。 当時、まだそこまでインフレにもなっていなかったメルボルン。 ヨガスタジオは1ヶ月行き放題で150ドル(感覚的に15000円)とかそんな感じの価格帯だったし、徒歩5分圏内にヨガスタジオがあったこともあって、当時一緒に住んでいた友達や、夫も巻き込んで最低週3ぐらいは行っていた記憶がある。 その後、2

        • 50歳からの自分

          こんなクリスタルのようにキラキラと輝けるのかな?w 50歳まで後数年。 人生100歳時代での折り返し地点だ。 ソーシャルメディア等で周りの50歳の女性を見ていると 活発に行動されている人達が多くて元気で素晴らしい〜〜と 関心してしまう。 でも今年に入ってなんでそうなるのかが分かった気もする。 育児が本当に一旦落ち着くからだと思う。 今、自分も娘が小学校6年生になって それこそ後3タームが過ぎれば中学生、 いわゆるハイスクールが始まるわけだが 現在の6年生でさえもチャ

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          2024年にやりたいこと

          2024年も、もう2ヶ月が過ぎようとしている。 日本から帰ってきて1ヶ月以上が経とうとしている。 メルボルンに帰ってきた!と思ったら何故か 家電製品色々が壊れたり(パワーボード、 電気ケトル、スティックブレンダーなど)、 車が故障したり、外の通りに面しているポストが 壁のオーナメントごと誰かに引っ剥がされたり、 強風で木が倒れたり。 それこそ全てが壊れようとしていた破壊の2月だった。 日本に行く前にいろんな方面の人達から助けられて 日本に行けた、という感謝の思いはあった

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          ピンピンの青ネギと年収8桁世界の居場所を見つけた人達

          私が今朝こんなアジア人のおばちゃんのピンピンの青ネギを見て それなっ!!!!買いやなっ! と心の中でガッツポーズをしていた。 袋から元気にはみ出している青ネギ、 (んなもん、青ネギはピンピンしとかんでどないすんねんなー。)と ピンピンしている青ネギを見ると嬉しくなる私だ。 あのおばちゃん、これから家帰って小口切りに 刻みはるんやろか。いや、ベトナム系っぽいから、 多分斜めで長めに切って添えはるんかもな・・・。 そんな青ネギの事を考えながら、5日ぶりに行ったジムで 打

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          職場のインドネシア人同僚に習った本場の美味しいテンペの下処理の仕方

          いつも職場で食べ物の話をする同僚がいる。 生きることは食べること。が本来の造語なら、 私らの場合、食べる為に生きている。という方が相応しいのかもしれない。 美味しいものを食べる為の努力は惜しまない同僚C。 食オタの私と台頭に渡り合えるのは今のところ彼しかいないと思っている。 職場からの帰り道に彼の家があるので、ふらっと帰りに寄れるという 便利さと、私が特に世界の料理を好きだというのを知っていて、 Cがたまにインドネシア料理を振る舞ってくれる金曜がある。 (なんといい人!

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          THIS IS US / ディス イズ アスにめっちゃハマっている。アラフォー世代は死ぬまでには絶対見よ!なドラマに出会った件。

          何年振りかにこんな毎話毎話泣くドラマも早々ないやろ!というものに巡り合った2023年下半期。 (メルボルンではアマゾンで日本語字幕で見れます) 遅ればせながら梨泰院クラスも見て家族全員でめっちゃハマって送迎中はGAHOのテーマソングを流したりもしていたけど、w(歌われへんのが辛いよね、韓国語やと。最後ら辺のクーニーカーーーーのとこだけ娘と歌える事象になっている。笑) んでもって、それ以上にハマってしまっているのが、この THIS IS US。 【これが私達】といったと

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          多国籍な人達の集まる職場で気づいた・自信がないのか私?事件

          勤続8年になる私の職場はアフリカや中東、東南アジアから来た 亡命希望者や学生を豪州社会やコミュニティに馴染めるようにトレーニングする場所を含めた社会的企業、ソーシャル・エンタープライズだ。 亡命希望者とは、一昔前の言い方で言ったら難民。 ここ数年は難民とは亡命希望が認められた人のみが難民、という カテゴリーになる風潮で、滞在許可のないあやふやな立場になっている人達のことは亡命希望者、アサイラムシーカーというのが世界基準のようです。 イラン、ソマリア、マレーシア(タミル)

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          海外暮らし/旅行を円満で楽しいものにさせるたった1つの魔法の言葉

          コロナの影響も終わってまた海外に出始めた人も多いかと思います。 そして、英語圏では特にこの言葉さえ言えたら 英語が出来なくてもきっと円満に物事が進むのではないかな、という 魔法の言葉があります。 それは・・・ P L E A S E (プリーズ、〜ください) プリーズです! そう、これ一択。 英語、西洋圏では特に魔法の言葉です。 このプリーズ、英語圏等では特にそれこそ言葉を話し始めた時から徹底的に教え込みます。 なにかをしてもらうとき、プリーズがついていないと、

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          いきなり去られる事。

          月曜日の娘の習い事場所に着いて 腰をおろしていつものように携帯でニュースをチェックしていた。 そしたらマスターシェフのジョックという スコットランド出身のMCのシェフが急逝した、という ニュースを見て、思わずえー?!と呟いた。 見間違ってる?と二度見したほどだ。 別にそこまで憧れていたシェフでも、 作る料理が素晴らしいから、とかは全くなかったものの、 まーTVによく出てるアデレードベースのシェフ。ぐらいな認知度は あった気がする。 そこまで思い入れや、つながりはなかっ

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          親業10年目にしてやっと書く気が戻ってきた

          今年は娘が10歳になって、自分も親になって10年記念! Yaassssssss!!!! よく頑張った自分! こんな言い方ひどいのかもしれないが、 【育児・親業】の“呪縛”から少しずつ開放されて、 遠くに出払っていた自分が元に戻ってきた感覚がある。 呪いが解けてきたところで私って何が好きだったかな?これからまだ少しの間続く育児の合間をぬって自分には何ができるのだろう。とこれまた否応なく自分って・・・の質問の刃が向かってくる。 わい、何が好きやったっけ。昔、何してたっけ。

          親業10年目にしてやっと書く気が戻ってきた

          3年振りの帰国で気づくネオ日本人Ver.0のワタシ

          大阪に3年ぶりに1.5ヶ月帰っていた2023年。 夫はメルボルンにお留守番でいないけど、 自分の血縁家族はみんな周りにいる。 アウェイ感のないお正月を過ごせてとても嬉しかった。 2022年12月半ばから帰国していたので、クリスマスと大晦日も、 しかも家族とお正月が過ごせる!と、娘もとても楽しみにしていた。 数年ぶりに見る紅白はけんだまの人?これが今の 氷川きよしなのか!とか全く自分の中で知らない人に なっていて、90年代に聞いていたリンドバーグ等も リバイバルされていて

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          マグノリア/木蓮の花ピクルスを作ってみました

          メルボルンでは今現在(8月末)、 木蓮の花があちこちで咲いています。 英語ではマグノリアと言って、名前にしている人もまれにいたり とてもゴージャスなお花で庭先でよく見ます。 春の訪れの花として日本でも冬の終わり頃から 蕾が大きくなり始めていたのを覚えています。 木蓮のちぎり絵の栞 木蓮には少し思い入れがありまして、 木蓮を知ったのは私が小学3年生の時。 当時の担任の木村先生が転向されることになって、 可愛がってもらっていた私は木村先生が最後に、とくださった 栞のモチ

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          すみれの花シロップを作ってみました

          今まで観賞用としか見ていなかったものが “食べられるもの”になる発見は、私にとって なぜかとても魅力的に映るのです。 そしてそれがもし色彩的にもかなり魅力的なものなら 作って食べてみたい!と思うプライオリティ度急上昇になります。笑 一緒に暮らす家具や寝具、服などにはなるべく ダルなくすんだ色を求める癖に、一度【食べる】となれば なぜか色のあるものに惹かれてしまう自分。 元々はすみれの砂糖漬けをたまにインスタ等で見ていて 去年頃にシロップを作っている人もいてこれはぜひとも

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          都会暮らしをしてた人はメルボルンは住みにくいのかも

          私はルー(娘)が生まれて1歳になった時に ようやくメルボルンで初めて車の免許を取得しました。 運転遅咲き派です。 当時、仮免は随分前にとってから10年近く経っており、笑 いやーーーもうすぐ仮免期間終わるーと焦って、 切れる2週間前に無事に免許を取得という、 オージーの友達に言わしたら、 WHAT THE HELL HAPPENED?! なんで?と よう言われていた曰く付きの女です。笑 実際の運転テストの前に2ヶ月詰め込みで VIC ROADS(免許を発行するところ)の

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