「評価」と「見出すこと」の価値は違う

まずわたしは、「評価」による価値も「見出すこと」による価値もどちらも大事だと思っている。

その前提で書く。

「評価」って、人によってはドキドキする印象ある(まさしく私がそう)けど、自分の表現をどんな形で反応されようが、認知される瞬間がある。

それは本人にとってはとても大事なステップであり、そこから成長できるいいきっかけでもある。

しかし、評価はだいたい「外側」のものであり、常に「良い」のか「悪い」のか。そこにある意味では振り回される。

自分のスペックを変えるきっかけになっても、自分の奥深くの内面には触れづらい。

例え内面に触れたとしても付随するきっかけはおそらく「良い」か「悪い」かの外側のもの。


一方「見出すこと」って、一生自分で見つけていく作業。

誰に何に言われようが、されようが、関係ない。

全く関係ない。

完全に「内側」のもの。

きっと他人はとやかく言う。言いたいことを言う。その人の正しさをただ主張してる。

でも、わたしは「それ」ではない。

例えば、

「あの子のダンスは覇気がない」「あの子のダンスは繊細だ」「あの子のダンスはなぜかセクシーだ」

と他人は言ってるとする。

でも本人は

「私はこの身体の本能でしなやかに動く感じ、この感じがたまらないんだ」

と思っている。

そりゃHIPHOPが好きな人にしたら下手に見えるのかもしれないし、

普段ダンスしない人にしたら妖艶にしか見えないのかもしれないし、

普段自分に価値を見出せない人にとってはなぜか釘付けになるのかもしれない。

でも踊ってる本人は、自分の中に見出している永遠の「その価値」をただ表現し続ける。

わたしたちが社会の中で生きていくのに教えられてきたことは、前者の「評価」による価値がほとんどだろう。

最初は成長の段階にいて、みるみる変化を遂げていくけど、きっとどこかで行き詰まる。

その時にぶち当たるのは

「自分の価値って?わたしってなに?」

だと思う。

その時には、もう自分で見つけるしかない。

でも、やり方を教えてもらってないんだよね。だから、分からない。

そうなるのは仕方ない。けど、その時が来たら初めてほんとの自分に出逢えるチャンスだと思う。

そして、わたしみたいに今までずっと「内面」のほうにフォーカスを当ててきたタイプは

ちゃんと外に出て認知してもらって、評価されることが大事。

分かりやすくまとめると、

「評価」は一瞬、

「見出すもの」は永遠

って感じかな。

きっとこのバランスが大事なんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?