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どんな感情だって、思っちゃったんだから仕方ないよ


別の投稿でも書いたが、Netflixの『ラブ・イズ・ブラインド』というリアリティーショーが好きでちょくちょく見ている。

番組の説明はそこで書いたので今回は省略するとして。


スウェーデン版を見ていて、ちょっと考えたことがあったので忘れないうちに書いておく。


まだプロポーズはしていないしお互いの顔も見ていないけれど、中身を好きになり恋人同士になったアマンダとセルギオ。

婚約を見据え、もう少し深い話をしようと、アマンダがある告白をする。

実は 脊柱側彎症なの 馴染みがないだろうけど
背骨がまっすぐじゃないの
手術やコルセットで治療をするの
高校の頃からそうで その頃いじめられてた
でも後になって思うと自信になったわ
何でも乗り越えられるって

Netflix『ラブ・イズ・ブラインド』SWEDEN
エピソード2 アマンダの発言


それを聞いて、セルギオはこう答える。

俺だったら怒りや憎しみでいっぱいだったと思う
でも君はそれを受け止めてくれたんだね
つらい経験から学ぶことが大切だって

セルギオの発言


ここまでは別に何も違和感なかった。

しかし、彼女が部屋から去ったあと、
なぜか深刻そうな顔のセルギオ。

おいおい、どうした?

彼女は素晴らしいんだから 不安になることはない
なのに なぜか不安なんだ
自分が上辺だけの人間みたいで怖いんだ

セルギオの心の声(インタビュー)


メンズルームに戻っても様子がおかしいセルギオ。

おい、どうしたんだよ?
周りのメンズも彼に声をかける。

「彼女の見た目が不安なのか?」と誰かに問いかけられ(※壁で仕切られた部屋で会話をして外見は知らないままプロポーズする番組)

セルギオ:
迷ってるんだ ずっと考えてる
メンズ:
彼女に話してみたら?正直に伝えるんだ 
"実はこう思ってて…"って
セルギオ:
"過去の話で冷めてしまった"と?
メンズ:
最低だな そんなことを言うなんて
セルギオ:
だから言えない
メンズ:
本人には絶対言うな
セルギオ:
言わない


いや、カメラにばっちり映ってるけど。
いつか本人にその会話見られるかもしれないのにそれはいいの?笑

セルギオの本音に、メンズも私もドン引き。
しかし、みんなに軽蔑されながらもセルギオの告白は続く。

メンズ:
もし自分の子がいじめられたら?
子供に幻滅するか?
セルギオ:
(そんなわけない!と否定のリアクション)
そう感じてしまったんだ どうにもできないよ
メンズ:
最低な奴だな

(中略)

セルギオ:
最低な感情だと分かってる
自分の考え方を正当化したい訳じゃない
恥ずかしいよ
メンズ:
どうするんだ?
セルギオ:
それが分からない
彼女は打ち明けてくれたのに
俺が思ったのは
自分でなくてよかったっていうことだけなんだ
こう思うなんて最低だよな
メンズ:
いじめられるほどひどい見た目だと?
セルギオ:
そうじゃない
少しはあるかもしれないけど


いや、あんのかい。
セルギオよ、ちょっとバカ正直すぎるだろ。

思うのは自由だけど、それをカメラの前で言葉にしちゃうのがすごいわ。

「最低だな」とみんなに軽蔑されても、本音をぶちまけるセルギオ。赤裸々〜

(この後の展開については本筋からそれるので書かないでおく)



私も最初は、「うわ、そんなこと思ってたの?最低…」と軽蔑した。

だけど、ちょっと時間をおいて冷静になったらジワジワと、こういう考えも出てきた。

どんなに最低な考えだろうと、そう思っちゃったんだから仕方ないよね。
どんな感情を抱いたとしても、それはその人だけの自由だし、「そんな感情は抱くべきじゃない」と誰かの心の中まで他人が否定したり判断したりすべきじゃない気がする。

私の頭に浮かんだ考え


そういえば、これに似たような言葉が、最近読んだ朝井リョウの、多様性がテーマの小説にも出てきた。

あってはならない感情なんて、この世にはないんだから

朝井リョウ(2023)『正欲』(新潮文庫、p.455)


セルギオが思ってしまったことは、確かに最低だった。
だけど、そう思ってしまったこと自体は、罪ではないはずだ。

それに、これは本物の愛を試す実験番組。
出演者が「正直」でいてくれるからこそ成り立つ。
嘘をつかれたら、なんにも面白くない。


その中で、自分の気持ちに正直でいたセルギオ。

みんなに最低だと言われようと、自分を正当化することなく本音を打ち明け、その最低さごと受け止めて一人で乗り越えようとしていた。

彼がとっさに抱いてしまった感情や、それを言葉にした勇気を、「最低だ」の一言でバッサリと否定していい権利なんて、誰にもないのではないだろうか。


自分の価値観や常識を押し付けて、安易に彼の感情を否定してしまって、私はただの偽善者だったのかも、と反省した。



そしてふと『マザーウォーター』という映画の、とあるシーンを思い出した。

夜のバーで、ある若者が「一緒に仕事してる人が帰ってこない」と言う。

なんか、心配してるっていうより、むしろ楽しいっていうか。いや、こういうことまるで期待してたみたいでそれってまずいよなって思うのに、なんか妙にワクワクするっていうか。(中略)なんでこういうこと思うのか、自分の思考回路が自分でもさっぱり分かんなくなっちゃって。

と、後ろめたそうに打ち明ける。


それを聞いた店主(演・小林聡美)は、あっけらかんとこう言う。

だめなんだ?
そういう想像とか、瞬間走る心の中のそういう感覚とか、きっとそんなに変なことじゃないと思うよ。人には誰にでもあるんじゃないの?
(中略)
思っちゃったんだから仕方ないよ。ヤマノハさんが思ってしまったことなんだから。「ああ、こういうこと思ってしまったんだなぁ」って、シンプルに事実を受け止めればいいのよ。

映画『マザーウォーター』(2010)


やっぱり小林聡美のかもめ食堂シリーズ、すごいや。

小林聡美の役が、常に悟ってる。
悟り系映画。


「思っちゃったんだから仕方ない」

ほんとにそうだ。
「思う」のは自由だ。


それをバカ正直に「言葉」にしてもいいのかどうかは、それが許されるTPOなのかどうかによるんだろうけれど。


今は多様性の時代なのに(だからこそ?)
自由に発言するのがどんどん怖くなっている。

軽率な失言をしたらどうしよう。
誰かを傷つけたらどうしよう。
加害者になったらどうしよう。

と、誰もが常に怯えている。


「ハッピーな言葉はOKだけど、ネガティブな感情や発言は慎重に!!言葉やTPOはちゃんと選んで!傷つく人がいるかもしれないから常に配慮を忘れずに!」

って感じで、なんか、完璧な優等生を常に求められすぎているような、自分で自分の首をどんどん絞めているような気がして、多様性の時代が逆に生きづらく感じてきた。



どこへいっても、配慮、配慮、配慮!

「お・も・て・な・し」の国じゃなかった?
いつから過剰配慮の国になったの?
(ネトフリの番組はSWEDENだけど)



仕方ないじゃん、思っちゃったんだからさ。

「嘘はダメ」とか「正直でいなさい」って言うくせに、本音の本音を言ったら「そんな感情は抱くべきじゃない!最低!」って、よく考えたら勝手だよね。

都合の悪い感情は全部アウトなんですか?
多様性って、そういうことじゃないんじゃないですか?


もちろん、言葉は一度出してしまったら、二度と取り消せない。言葉にした瞬間から責任が伴う。

傷つく誰かがいると気づいた以上、誰かの不適切な発言に対して厳しくなってしまうのも分かる。

だけど、こういう番組とか、大前提として「正直でいるべき空間」での、ありのままの本音くらいは許してあげてほしい。

もちろん、大人として言葉は慎重に選ぶ必要はあるけれど、都合の悪い本音は心のうちに隠していつも良い人ぶってる方がよっぽどルール違反で、不誠実だと思う。卑怯だよ。

最低で、(ある意味)勇気のあるセルギオを見ながら、
そんなことを思った。

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