見出し画像

この少年は弱くない 侮辱するな / 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』


前回、ある人の冷たい態度で自分が嫌われていることに傷つき、それが次第に怒りに変わり、最終的にはどうでもよくなったという話を書いた。


書きながら、『鬼滅の刃』に出てくる煉獄(れんごく)さんのセリフが浮かんできた。

この少年は弱くない 侮辱するな

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第8巻(2017,集英社)


煉獄さんは、鬼殺隊の最強幹部である柱の一人で「炎柱」を名乗る、とにかく熱い熱い、それはもう熱すぎる男だ。

対する上弦の鬼・猗窩座(あかざ)は、武の道を極めた「至高の領域」に踏み入れること、つまり肉体の強さこそが最も重要だと主張する。

俺は弱い人間が大嫌いだ
弱者を見ると虫酸が走る
話の邪魔になる

同著

そんな身勝手な理由だけで、すでにボロボロで起き上がれない炭治郎から先に殺そうとする。(間一髪で煉獄さんが守ってくれる)

さらには、「お前も鬼にならないか?俺と永遠に戦い続けよう」と、敵である鬼殺隊の煉獄さんを鬼にスカウト。

もちろん煉獄さんは拒否。

強さというものは 肉体にのみ使う言葉ではない
この少年は弱くない 侮辱するな
何度でも言おう
君と俺とでは価値基準が違う
俺は如何なる理由があろうとも 鬼にはならない

同著


煉獄さんの価値基準は、若くして亡くなったお母さんの教えに基づく。

なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか
弱き人を助けるためです

生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は
その力を世のため人のために使わねばなりません
天から賜りし力で人を傷つけること 私腹を肥やすことは許されません
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です
責任を持って果たさなければならない使命なのです
決して忘れることなきように

私はもう長く生きられません
強く優しい子の母になれて幸せでした
あとは頼みます

同著、回想シーンより


煉獄さんのお母さんは、病弱で肉体こそ弱かったが、その精神はとてつもなく強い人だった。その強さが、煉獄さんの心にも受け継がれている。

老いることも 死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ 死ぬからこそ
堪らなく愛おしく 尊いのだ

同著

これが、たった20歳の、煉獄さんの言葉だ。
(精神年齢は80歳くらいかな?笑)


激闘の末、煉獄さんは猗窩座から致命傷をくらって瀕死状態になってしまう。夜明けがきて、日の光が命取りの鬼は、暗い森へ逃げる。その背中に向かって刀を投げ、炭治郎はこう叫ぶ。

逃げるな卑怯者!いつだって鬼殺隊はお前らに有利な夜の闇の中で戦ってるんだ!生身の人間がだ!
(中略)
お前なんかより煉獄さんの方がずっと凄いんだ!強いんだ!煉獄さんは負けてない!誰も死なせなかった!戦い抜いた!守り抜いた!お前の負けだ!煉獄さんの勝ちだ!

同著


確か映画でも同じセリフを言っていたが、その迫力に泣きそうになった。映画館では実際泣いている人もたくさんいた。

ただのアニメだ。虚構だ。実際に起きたことじゃない。全部、大人によって計算されて作られた話なんだよ。

なのに、こんなにも心が揺さぶられるのはどうしてだろう?と、感動しながらも私は冷静に考えていた。

昔からあまりアニメにハマるタイプじゃなかった。アニメよりはドラマが好きだし、ドラマよりは映画(邦画洋画)が好きだった。そんな私が、不覚にも泣きそうになった。

静止画の漫画が動き出し、声優によって画に命が吹き込まれ、心情を表現した音楽の相乗効果もあって、とにかくすごい迫力だった。




致命傷でもう立ち上がれなくとも、みんなを守り戦い抜いた煉獄さんは負けてなんかない。勝ちだ。

炭治郎も、身体はもうボロボロだけど、みんなのために必死に戦い抜いた。弱くなんかない。勝ちだ。

自分のためだけに戦い、人を傷つけ、都合が悪くなると逃げるなら、たとえ不死身だろうと弱い。負けだ。


煉獄さんの生き様が本当にかっこよくて、大好きになった。

この少年は弱くない 侮辱するな


「侮辱」の意味を調べると「相手を軽んじ、はずかしめること。見下して、名誉などを傷つけること」と出てきた。

侮辱というと犯罪レベルの大げさなものに思えたが、意味だけを見ると、この世界には侮辱が日常的に、そこらじゅうにあるんだなぁ、と思った。本人も無自覚に、ナチュラルに人を見下す人はたくさんいる。うじゃうじゃいる。


前回書いた話の人は、私の挨拶だけいつも無視して私にだけ冷たい態度をする人だった。

「嫌われている」ということ以上に「見下されている・舐められている」と感じる、上から目線な態度がどうしても許せず腹が立った。今思えば、あれは私への侮辱だと感じたからなんだと気付いた。

私は、侮辱されてもいい存在だったんだろうか?

そんなことは決してないと思う。私だけじゃなく、侮辱されてもいい人なんて、この世に一人もいないと断言できる。

いくら私のことが気にくわなかったとしても、私が仕事をする上で本当に邪魔だったとしても、それを態度に出してまで見下していい理由にはならないと思う。

もちろん私も、相手に侮辱されたからといって、その相手を侮辱し返すことは許されない。それはルール違反だ。その一線だけは超えてはならない。そもそも、同じ土俵に上がりたくもない。

もう、あの時のことはどうでもいい。水に流した。
ただ、過去の自分の感情を振り返っているだけだ。


煉獄さんの言葉を借りて、私はたまに心の中でつぶやいている。

「私は弱くない、侮辱するな」

他人にちょっとバカにされた気がしたり、雑な扱いをされて悲しくなったり、自分に非がないにもかかわらず自分自身を責めすぎたりしたときに。

自分が自分を軽んじて傷つけようとするならば、それも「自分に対しての侮辱」ではないかと思う。鬼と同じ。侮辱し傷つけようとする鬼が、自分の心の中にもいるということだ。

だから、まずは心の中に煉獄さんを召喚して、「君は弱くない!自分を侮辱するな!」と熱く応援してもらうか、「私は弱くない、侮辱するな」と自分で励ましの声をかけている。

そうすると、少しだけ勇気が湧いて、元気が出てくる。


鬼滅の刃に出てくる鬼は、みんな臆病者で弱い。強さばかり誇示し、自分のために他人を平気で傷つけ、もっともっとと強さだけを求めようとする。鬼は、人間の敵ではなく、人間が持つあらゆる残念な面を象徴しているのだと思う。

心優しい炭治郎は、その鬼にさえ同情していた。鬼も、元は一人の人間だったからだ。敵にさえ同情する主人公設定に私は驚いた。家族や友達が鬼になって殺すのを躊躇うなら分かるが、初対面の、炭治郎を容赦なく殺そうとしてくる鬼だ。

「炭治郎、どこまで優男なんだ!殺されるぞ!ためらわず首を切れ!」と見ていて何度も思った。笑



煉獄さんをはじめとする鬼殺隊最強の柱たち、煉獄さんのお母さん、炭治郎たちの言葉に、私はいろんなことを考える機会をもらい、勇気をもらった。

『鬼滅の刃』はただのグロい鬼退治の話じゃない。
子供向けの戦隊モノなんかでもない。

「世の中や自分の中にいる鬼」と戦う勇気をくれる、大人たちへの応援メッセージが詰まった物語だと思う。改めて、少年ジャンプの『友情・努力・勝利』という三原則はすごいと思った。


偶然にも、煉獄さんの『劇場版無限列車編』が公開された2020年、世界中で感染症が蔓延し、当たり前の日常が奪われるという予想外の出来事が起きた。先が見えず誰もが不安なタイミングでこの作品が世に出たことすらも、なにか運命的な不思議なことに思えた。


煉獄さん、ありがとう!
あなたのように私も心を燃やし続けます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?