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「人が好き」が原点。

堺 典子さん
高校卒業後、20歳で結婚。現在72歳。
25歳からもみじ台団地で暮らしている。
3人の息子さんの子育てを終え、40代から60歳ごろまでヘルパーの仕事を行う。現在は自治会の棟幹事長や小学生の見守り隊などで地域を支えている。
趣味は写真を撮ること。

堺さんが準備し持参してくれた、写真の数々。


なにを話したらいいのかわからなくて(笑) 過去から現在までの写真を持ってきました。昔から写真が好きで。60歳の時、還暦祝いということで旦那から一眼レフをプレゼントしてもらったのをきっかけに本格的に始めました。
 笑顔の写真展っていうのをやったときには、480人のスマイル写真を撮りました。近所の人やその家族を撮ることが多かったですね。その写真を、ご遺族が遺影に選んでくれることもありました。幸せそうだったり、その人らしさが出ているって、選んでくれたみたいです。スマイル写真を撮るときは、声をかけて笑わせながら撮るの。息子には、笑わせてるんじゃなくて笑われてるんでしょって言われたけどね(笑)

苦悩した学生時代

 昔はコンプレックスの塊だった。自分は可愛くないって。だから若いときの自分の写真はほとんどないです。
 中3から高校卒業まで、病気で寝たきりになってしまった祖父の介護を4年間しました。学校に行く前にも一通りお世話をして。自分の青春なんてなかったです、そうでしょ?今でいう「ヤングケアラー」。学校では明るく振舞っていたけれど、一人ぼっちだった。周りの大人に意地悪を言われることもあった。そんな中で少しずつ「大人って信用できない」っていう思いも大きくなっていきました。

人生が変わった一枚の写真

父は私が幼いころに亡くなりました。私は父のことが嫌いだったんです。父を憎んでいたんです。でも、(父が幼い自分を抱く写真を見せていただきながら)この一枚の写真で私の人生が変わった。小さな私を父さんが大事に抱えたこの写真を見て、「父さんは私のことを愛してくれていたんだ」って思えたんです。
 今では両親にとても感謝しています。
 そこから少しずつ、「自分は自分」というのがわかってきたんだと思います。

「人が好き」が原点

自分に自信が持てないでいた18歳の時、兄さんは私に「笑顔で生きろ」って言ってくれたの。私はそれを守り続けて72歳!(笑) 昔は悪口を言われて傷つくこともたくさんありました。でも私は絶対いじわるなことは言わないと心に決めて。尊敬できる人から教えてもらったことをずっと守ってきた。少しずつ経験も増えていって、成長して、気づいたら容姿のことなんかどうでも良くなっていました。自分を理解してくれる人や尊敬できる人に巡り合えたことが、私の人生の中で大きかったです。
写真を撮るようになったとき、はじめはリスとか風景を撮っていました。人を撮るようになったのは、やっぱり「人が好きだから」。みんな写真を撮られるのを嫌がるんですよ。しわがあるとか、老けたからって。だから笑顔の写真を撮って、私自身も若いころに抱いていたコンプレックスを取り除いてあげられたらって思うんです。

これからの目標

今日一日のベストを尽くす。一瞬一瞬を大切にしていきたいです。そして、若者に対して何ができるかなって。自分で終わりじゃなくって、つないでいくこと。
自分自身も「新芽」を出していきたいです。今日この取り組みみたいに、新しいこと。「なんだろう!?」って思うようなことに挑戦していきたいです。地域で暮らしている中で、「新芽」を出している人が少ないって思ったんです。いくつになっても、年は関係ないですよ。古木であっても新芽を出しつづけていきたいですね。

若い人へのメッセージ

苦労したことは全部肥料になりました。だから、失敗してもはみ出しても、自分の思った通りに生きてほしいです。
同世代だけではなく、いろんな世代の人とつながることって大切だと思います。「異なる」ということによって知ることもあると思います。


スチューデントアンバサダー 編集後記 杉田 実優(北星学園大学 北星学園大学 心理応用コミュニケーション学科 4年)


エネルギーのある方だなぁ!と、お会いしたその瞬間から感じました。堺さんは笑顔がとっても素敵で、芯のある方。そしてお話ししているうちに、普段人に話すことをためらってしまうような悩みや本音が、自分でも驚くほどすっと言葉にできました。それは堺さんが、人の気持ちをまっすぐに受け止められる心の持ち主だからなんだと思います。私のことも、「あなたの笑顔がどれほどの人を幸せにしているか」とほめてくれました。堺さんのエネルギーが言葉を通して私に届いた瞬間でした。勇気が湧いてきて、何でもチャレンジしてみよう!という気持ちにさせてくれました。私もいつか、人に何かを与えてあげられる人になりたいです。


スチューデントアンバサダーもみじ台コーディネーター 林 孝之

杉田さんと一緒に堺さんのお話を伺いました。中高生の頃、介護で辛い思いをし、自分に自信が持てなかったそうです。堺さんの素敵な笑顔は、お兄さんが彼女の笑顔をほめてくださったことがきっかけだったのですね。
 堺さんは25歳の時にもみじ台へ転居。自治会、ボランティア、ヘルパー、写真、最近は留学生のお世話など、新しいことにチャレンジし続けています。特に写真は、自分の思いを伝えるツールとして大切にしています。
 大学生の杉田さんも、笑顔が素敵な方です。今回は、素晴らしいインタビューをしてくださいました。堺さんの明るい人となりがとても伝わりますね。
 杉田さんは、SNSでいろんな人の活動にふれる中で、自分に自信が持てず悩んでいました。今回の対談で堺さんのお話を聞いて、「もっと自分を発信していきたい!」とおっしゃっています。堺さんも、そんな杉田さんに触れ、「古木に吹く新芽のように、自分ももっと新しいことをしていきたい!」と話されています。
 もみじ台は、造成されてから50年近く経過しました。新しいまちづくりを始めようとしても、二の足を踏んでしまうことがあります。今回の対談のように、世代間で刺激し合って、地域全体で、新しいことにチャレンジできる雰囲気をつくっていきたいですね。


もみ・あお FACES ディレクター 山屋 恵嗣

(札幌市スマートシティ推進協議会 まちプロワーキング・グループリーダー)

もみ・あおFACESの第一弾を、もみじ台の堺さん、北星学園大学の杉田さんで実施できました。このプロジェクトの目的は、地域を愛し、地域のために様々な取組みをされている尊敬できる魅力的な方々を学生が取材し、お人柄、人生、そして、地域の実情を伝えることで、地域活動と実情を地域に知ってもらいながら、学生にとって学びとなることです。今回は、その点で、思い描いた内容でスタートがきれました。お二人に本当に感謝です。私も、今回の堺さんのインタビューから、謙虚であること、感謝をすること、挑戦すること。それらが、人の縁をいただける人になることかと感じました。堺さんが素敵な笑顔で「若い人に頑張ってほしい、応援したい!」と励まし、真摯に堺さんの言葉に向き合う杉田さんの関係はとても新鮮でした。
 前向きでポジティブなお話しばかりの堺さんが、唯一地域への心配としてコメントがあったのが、「自治会が今後も存続していけるんだろうか?」ということでした。棟幹事、役員の担い手がみつからず、現在の役員が励ましあいながらなんとかやっているとのことで、2〜3年後が限界かもしれません…」ともおっしゃられていました。
もみ・あお FACES を通じて、このような縁作り、そして、地域全体が共助するきっかけになればと思っております。この記事を読んで、地域活動に参加したい、貢献したいなどご興味をもって頂いた方いましたら、是非この「もみ・あおLINE」にご連絡ください!

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