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空白を埋めて余りあるクリーム

 いちばん楽しみにしていた夏休みの予定が潰れた。

 臨時休業は仕方ないが、埋め合わせをしないと到底我慢できない。であれば行ったことのない店でスイーツを食べるのがいいだろう。帰りがけにソール・ライター展にも行くつもりだったから渋谷がいい。

松濤カフェ一択……」

 渋谷区エリアに分類されている店は他にもある。だが、最寄り駅が渋谷ではないのである。いやべつに表参道や代官山でスイーツ食べてから渋谷に移動すればいいのだが、その時はそれが嫌だったのだ。
 松濤カフェ本店も正確には神泉が最寄り駅なのだが、先に松濤美術館を訪れて渋谷ヒカリエに向かうのであれば移動中に立ち寄ることができ、無駄がない。

 なにより写真の「山盛りの生クリームが載った筒のようなケーキ」には惹かれるものがあった。

――さて、松濤美術館を出て懐かしいBunkamuraの裏手まで歩くと目的のカフェはあった。
 思いのほか早く到着したので開店前だ。木のベンチに座って待てとあるが、半分閉まったシャッターの内側に入り込むのは気が引けたので立って待つことにした。

開店前の店頭
テイクアウト限定らしいコーヒーゼリーはいつか購入したい

 既にテイクアウトのショーケースにはケーキやコーヒーゼリー等が並んでいる。ホワイトボードにケーキのサイズ表が描かれていたので何を食べるか考えることにする。
 ガイドブックに載っていたのは、ひとつは松濤ロールLに「もりもり生クリーム」とキャラメルソースのトッピングの組合せ、ひとつは松濤ケーキバタートーストである。どちらも捨てがたい。
 タコライスの札が下がっているということは食事も摂れそうだが、昼食にはどうしてもスープカレーが食べたかった。であればここではケーキ類とドリンクだけにしておくのが妥当である。
 松濤ケーキは焼くか焼かないか(ハーフ&ハーフもできる)だが、松濤ロールはSサイズがあるようだ。全体バランスを考えて上に載せるのは「ちょいもり生クリーム」、ソースはガイドブックと同じキャラメルソースにしよう。

 そこまで決めたところで、テイクアウトのカウンターから顔を出した店員に店内ですか、と声を掛けられた。はい、どこに座ればいいのかわからないんですと言うと、開店前ですが暑いでしょうからと店の中に入れてくれた。

自分以外の客がいない店内

 隅のテーブル席に座る。天井でくるくる回るシーリングファン、壁を彩るのはサインの数々。うん、これぞ「オシャレな人気カフェ」の佇まいだ。普段は客たちが交わす会話で賑わっているのだろうが、キッチンからの物音のみの空間は特別な時間が流れている。

これがSサイズと「ちょいもり」……!?

 注文した松濤ロールSとドリンクの冷たいミルクがテーブルに置かれたとき、そのサイズに驚愕した。
 厚さ4センチのロールケーキはずっしりと量感があり、上に絞られた生クリームはケーキの厚み以上の高さでそびえ立っている。ミルクの方も予想以上に大きな容器に入って出てきた。

 意を決してロールケーキにナイフを入れる。詰まった印象の見た目をしたスポンジはナイフを沈めてやわらかく切れる。口に入れるとしゅわりスポンジと生クリームが溶けてキャラメルソースが苦味のアクセントを添える。
 何も付いていないスポンジ生地だけを味見したが、それ自体はあっさりした味わいだ。生クリームも甘さは抑えられている。恐らくトッピングのソースを考慮した「軽さ」ではなかろうか。

 しかし圧倒的な物量はすべてを凌駕する。

 ぱく、しゅわ、ぱく、と無心にロールケーキを食べる。生クリームの旨さが腹に溜まっていく。初手はガイドブック通りにと選んだキャラメルソースが舌を正気に戻してまだ進む。ミルクを飲み干したのは皿が空になったあとだ。

 いつの間にか反対側の壁際のテーブルについていた二人組の女性客に気づく。彼女たちは松濤ケーキを一皿ずつ食べていて、遠目にも判るそのサイズに慄いた。
 ランチセット扱いでドリンクが割引となった代金を支払いながら、次は直行直帰で松濤ケーキを食べに来ようと思う。そして、もりもりのクリームで蓋をされたコーヒーゼリーを買って帰るのだ。

 スクランブル交差点へと続く坂道を下る私の胸中には当初の予定のことは無く、ただソール・ライター展と昼食のどちらを先にすべきかを悩んでいた。

松濤カフェ本店の外観

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