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寝室のトットットちゃん

先日、「ネントレ(泣いてる子をあえてしばらく放置したりして、1人で寝付けるようにもっていく)は虐待か否か」論争を見かけた。
「親への諦めを学習する」という意味で虐待になる、というのもまあ、感覚としては分からなくもない。
でも、ある程度の諦めは学習すべきでもあるし。
難しい。

ただ分かるのは、うちの娘にネントレしたら、本当に虐待みたいになってただろうなってこと。
だってうちの娘は、マンションの一室で一人になるのも嫌がるくらいだから。朝、ママが居ないと泣いて起きるくらいだから。

まあそれも、ネントレを赤ちゃんのときにやってたら寝られるようにはなっていたはず、という話になるのでしょうけど。理論的には。けどそれも今になってみれば分からない。やっていたらどうなっていたかなんて分からない。

ただ言えるのは、現状として娘は「誰もいない部屋で一人になる」のを酷く怖がるし、したがって癇癪を起こしてもどっかの部屋で一人で落ち着くということができず、対人で更にヒートアップしてしまうということ。プラス、寝る時もパパかママに引っ付いていないと起きてしまう、ということも。
(一時期、「ママがいなくても朝一人で寝れる!」と誇らしげに語っていた時期もあったので、本能的な部分以外に、「目が覚めたときにママが居ると思っているかどうか」という本人の「決め」の問題もありそう)


先ほど、「ある程度の(親への)諦めは学習すべき」と書いた。もちろん、親は子どもの要求に応えてあげるべきだし、泣いていたら抱っこして慰めてあげるべき。うん、そう。それはそう。

なんだけど、赤ちゃんからだんだん幼児になっていく過程で、「あ、こいつは自分とは別の生き物なんだな」「コントロール不可なんだな」と理解していくべきものでもある。
そして、そこで他者との境界線が引けないまま大きくなると、精神的に問題を起こしてきちゃう。

だからその、親への期待というのは難しいもので、どこまでが満たされるべきか、どこからが甘えか、というその境界線、「ほどほどの諦め」みたいなのをみんな探し求めているんだと思うのね。

ひとって結局寂しいしね。



ちょっと待って、あれ? なんでこんな話になったんだろう? 違うの、こんな話をしたかったわけじゃなくて、いや、それはそれで話したいし話しだしたら長いんだけど、違うの、今日は娘なの。

癇癪が凄いの。ここ最近また。本当に凄い。すごい大変。すごいむかつく。すごいうるさい。こっちの頭がおかしくなりそう。娘もすごい大変そう。すごいしんどそう。すごいかわいそう。
なのに、一人になれない。

よく言うじゃん。癇癪を起こしたら、一人で落ち着ける安全な場所でカームダウンしましょうって。行けないのよ。
行かないでぇ、置いてかないでぇ、ってもうそれはそれは哀れなほどに必死にしがみつく。哀れなんだけどこっちもほんとしんどい。

で、落ち着いてるときに聞いてみたら、「大人のいない空間に一人でいるのが怖い」と。
まあそうだよね、娘ちゃんは一人で寝れないもんね。
そう言うと、夫に「(就寝時の話と癇癪時の話)関係ある?」って言われた。私はあると思う。

そしたら、そのやり取りを聞いていた娘がなぜか、「今日は娘ちゃん一人の部屋で寝たい!」と張り切りだした。

夫は消極的だった。また癇癪を起こす原因になりそうだと思ったのだろう、そして自分が寂しかったのだろう。娘の寂しがりは夫の遺伝だから。
けれど私は、リビングに布団を持ってくることを了承して実行しようと思った。たぶん、本当に朝まで寝るなんてことは出来ない。でも、やってみたら何かわかるかもしれない。

リビングに布団を敷くと、娘は大はしゃぎだった。意気揚々「この部屋は娘ちゃんだけのものだね」と宣っていた。
けれども。
いくばくか名残惜しそうにおやすみをしたあと、少ししたら、案の定、トットットと寝室に走る足音。

「今日は、娘ちゃんあっちで寝るからね」
「あのね、なんかね、いいたいことがある」
「なんか、変な丸い光があるから、見に来てくれない?」

何往復しただろう。だんだんと最初の勢いが削がれてきたのが分かる。息子を寝かしつけながら夫に声をかけた。
「ねえ。これを成功体験にするべきやと思うねんけど」
「どういうこと? つまりそれは、どうにかして朝までむこうで寝かすってこと?」
「いや、違う。違うやん。それはもう、言い方次第やん。『すごい! こんなに長いことむこうに居れるとは思ってなかったわ〜。怖くなかったん? すごーい』ってさ」
「なるほど、途中で帰ってきても、ってことか」
「きてもっていうか、もうそろそろ迎えに行っていいと思うねんな。元気なくなってきたし。声掛けに行ったら来ると思うで」

成功体験にしたいからこそ、怖くなりきってしまう前に声を掛けたかった。私はほぼ寝かけの息子氏(齢1)の腕枕を外し、パパに預けて娘のリビングに向かった。
娘は頭まで布団を被っていた。戻ってくるかいと声を掛けると、戸惑った様子で「うーん、いい。朝まで寝るから」との反応。意外だった。そっか分かった、と撤退したら、寝室で息子氏が怒り泣きしていた。

「むこうで寝るらしい」
「マジ?」
そんな話をしていたら、トットット。娘、登場。
「やっぱり、今日はこれぐらいにして、こっちで寝たい」
ナンヤソレー、と関西人ツッコミを入れる私のかわり、仕込んでおいた夫がきっちり仕事をしてくれる。
「すごいやん! あんなに長いこといけるなんて思ってなかったわ! どう? 一人でいても怖くなかったやろ? スゴーイ!」
露骨に機嫌がよくなる娘。
「ね???? 娘ちゃんすごいよね!!!」
パパと布団を寝室に戻し、ご機嫌のまま眠りに就かれました。

息子氏は泣き続け、というかもう半分寝ていて、夜泣き状態だったのでにっちもさっちもいかず、私は再びリビングに戻り抱っこ紐でなんとか寝付いていただきました。ママが悪かった。贖罪の抱っこでした。


それが、昨日。
よく出来ましたねチャンチャン、で親としては終わるつもりだったのに、娘は今日も一人で寝ると言い出した。
「だって、昨日と今日、2日やるって、決めたでしょ」
うーわ出たよ「決めたでしょ」……
約束じゃない。われわれ親と決めたことじゃない。娘が勝手に言ってただけなんだけど、それはもう彼女の中で「決まって」いる。理不尽。

(発達特性のある子の「決めたもん!」の強さは、経験者にしかわからない。ねえほんと、どっかの国で「意地っ張りダービー」やってないかな? うちの娘かなりいい線いくと思うんだけど。癇癪の長さって世界記録あるんかな。うち本気出したらすごいと思うの。でもやっぱり、やらせたくはないな。本人もすごくしんどそうだから)

まあ、手順は昨日と同じだし、今日だけならということで実施することにした。

おやすみーといって、娘をリビングに残す。姉依存の強い息子氏のほうが先に泣くのを慰めながら、夫と娘を待つ。
トットット。一回目。
「あのね、トイレ行きたい」
はい、いってらっしゃい。
トットット、二回目。
「あのね、ちょっとこっちで、眠れるかどうか確かめたい」
どういうこと?
「ちょっと確かめたい」
???

娘はおもむろにパパの隣に横になり、「……うん、ねれそう」といってリビングに戻っていった。
なんだそれ、と夫と言い合っているうちに、すぐに三度目はきた。
トットット。
「あのね、今日はね……あっちで寝るから、そのために、こっちで朝まで寝たい」
????
どういう意味? かまいたちのネタ? 夫はわけがわからなくて笑っていた。
「娘ちゃん。もうそろそろこっちで寝たいんやろ? いいやん。昨日あんなに出来たんやし、今日はもうこっちきいや」
「あのね、でもね……」
逡巡する娘。次の瞬間、不思議なことを言いだした。
「娘ちゃんの心にはね、『最後までぜったいやりなさいオジサン』が、いるの」
ワロタ。うざがってるやん。うざがってる象徴としてのオジサンやん。可哀想なオジ……。
「そっか。オジサン、なんて言うてんの。朝までむこうで寝なさい! 言うてんの」
「うん」
「ほう。オジサンはさ、お片付けのときはなんて言ってるん」
「早くしなさい! もっと早く早く!っていう」
「えーじゃあさ、自転車(最近、補助輪なしで乗れるようになった)のときはなんて言ってたん」
「もっと早く!早く走りなさいって」
「www じゃあスケートのときは?」
「もっと早く。早く走れって」
「それもう早くしなさいオジサンやん」
笑いをこらえた夫に肘で小突かれる。
「いやごめん。えっとー、じゃあ幼稚園のときは?」
「……やめなさい。って。やるな。やめなさい、って」
「なるほどね。まあさ、お片付けんときとかは、ママたちが『早くして』って言いすぎなのもあるんかもしれんけど。でも、オジサンも悪いとこばっかりじゃないと思うねん。娘ちゃんの『がんばるぞ! やるぞ!』『ちゃんとするぞ!』っていう気持ち、それも大切なオジサンやと思うねんな。最後までやる、とか。いや、でもお片付けは最後まで出来てへんやん。あのさ、今は出てこんでいいからさ、お片付けのときにオジサン出てきてもらってよ。な?」
「オジサンに言って」
娘が手を器にして差し出してくる。ここにオジが乗っている……のか?
「あのねぇ、今はいいから、お片付けのときに、出てきてよオジサン」
娘、頷いて手を胸に当てる。オジが戻って行く。
「……んでさ、娘ちゃんの心の中にはさ、『やっぱりやめたオバサン』はおらん? やっぱりやーめたって、あ、ほら、聞こえる」
ヤッパリヤーメタッ
「ううん、違う。あのね、あのね。娘ちゃんの心の中にはね、ゆっくりやりなさいの男の子と女の子がいてね。それは双子なの。それでね」
「あー、うん、いるんやね。そんで、やっぱりやめたオバサンは」
「ちがうの、娘ちゃんの心のなかにいるのはね、やっぱりやめたオ、ジ、サ、ン!」
「あ、うん。じゃあオジサン、言うてない? やっぱりやーめたって」
ほんと? 言ってる? と、器にした手を差し出してくる娘。おるやん。
「うん、ほら、言ってる」
ヤッパリヤーメタッ(低)
「ほら。もういいんちゃう? こっちで寝たら」
「うん。でも娘ちゃんの心にはね、ぜんぶやりなさいオバサンもいるの」
それさっきのオジやないけ。
「わかったわかった。ほら、今ならパパと一緒に布団取りに行けるって!」
「やったぁ!」

こうして今日も娘はご機嫌で、親と寝室で寝ることにしたのでした。
「じゃあ、寝よっか」
「あのね? 娘ちゃんの心の中にはね、あのね……えーっと」
「心の中にはさ、そういうのがいるもんよ。でもそれは居たり居なかったり、消えたり増えたりするもんやから」

あんまり人格化しても困るし、でも居ないことにするのはもっと違うし。ほわほわのそいつらをほわほわと捉えながら、きょうもお眠り。おちびさん。

いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!