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わたしはそうは思わない

「このローテーブルはみんなの机でしょ? ちゃんと片付けないとだめでしょ?」
夫が娘を叱っている。そんなとき、父母は子どもが混乱しないよう態度を一にすべきであるという風潮がある。あるいは、父親の威厳のために「お父さんを立てる」、だとか。
しかし私は反論する。
「わたしはそうは思わない。この家に娘ちゃんの居場所が出来るのは悪いことじゃないし、もうこれは娘ちゃんの机ってことでいいんじゃない」

私には、忘れられない母の姿がある。
「ボヤボヤしてんとさっさとせえ。はよせえ」
それは、当時小学生の私が父に叱られていたときのこと。叱られ急かされた私は意固地になって、言われたことをせず、固く口を閉ざしていた。そこへ母が割って入った。
「ぼーっとすんのかって大事やろ。なんでもかんでもセカセカすればいいわけやないと思うで私は」
衝撃を受けた。それまで私は、ぼーっとするのは悪いことだと思っていた。だからこそいま父に叱られているわけで。しかし母は強い口調で言い切った。ぼーっとするのだって大事だ、と。

助けてもらえた、という感覚もあっただろう。しかしそれ以上に、「一般的に良くないと思われているであろうこと」を自信満々に発言する母の姿がとにかく印象的で、もう20年以上も前のことなのに未だに胸に残っている。


「アーギュメントを恐れない」
これは、10年付き合った夫からの私への評価である。言いたいと思ったことは有耶無耶にせず、ストレートに真正面から発言してしまう自分は社会不適合でコミュ障だよね、という私の発言を受けてのものだ。
「だからといって社会不適合とかコミュ障だとは思わないけど」
そう夫は言い添えた。

アーギュメントを恐れない。
それはあの日の母の姿に感銘を受けたからか、はたまた、遺伝という恐ろしい病によるものだろうか(母はじゃりン子チエに出てくる「遺伝という、おっそろし〜い病気」というフレーズが好きでよく口にしていた)。

あの日、母が父に対立意見を述べなかったら、いまなお私は「ぼーっとするのは悪いこと」だと思っていたかもしれない。父の言うことはすべて正しい、と思い込んだままだったかもしれない。

大人が対立意見を恐れていたら、子どもはどうなるだろう。
社会は、世界は。
対立意見のない世界に、多様性はあるか。

考え方はひとつではないということ。自分の考えは胸を張って発言してよいこと。私が娘に伝えたいそれらは世界への願いでもある。

いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!