【小説】 住所

 妻は、僕のストーカーだった。

 僕は三十代のころ、ラジオパーソナリティの仕事をしていて、その時から妻は僕のファンだった。何度も僕宛に、「結婚してください」と書かれた手紙を送ってきては、スタッフを困らせていた。僕は、声が個性的である以外はこれといって特徴のない、凡庸な人間であったので、そんな僕に熱心なファンがいることが不思議で、そして嬉しかった。
 彼女は僕よりも一回りも年下で、手紙ではしきりに僕に、どこに住んでいるのかを尋ねていた。もちろんそんな手紙に応えられるはずもなく、彼女の手紙は永久に不採用のまま、数年が過ぎた。
 僕はラジオパーソナリティの仕事を辞めることになり、その最後の放送にも、彼女の手紙は届いた。そこには、「どこに住んでいるのですか。一緒に住みましょう」と書かれていて、相変わらずスタッフの顰蹙をかっていた。

 それから数ヶ月。
 ラジオパーソナリティから一般企業に転職し、東京の片隅でしがない一人暮らしをしていた僕のところに、とつぜん彼女は現れた。ある日、家の扉を開けると、僕と同じくらい、いやもしかすると僕以上に、凡庸を絵に描いたような、二十歳そこそこの女の子が立っていた。彼女は偶然を装うでもなく、あの手紙を送り続けてきた人物だということを隠すこともなく、「会いに来ました。探しましたよ」と言って、ためらいもなく僕の部屋に上がり込んだ。そして、彼女はそのまま僕の家に住みつき、以来、二十数年、彼女は僕の側にずっといる。

 それは、夏のある夜、二人でベランダに出て、星を眺めていたときだった。
「正孝さんは、きっと私より先に死にますよね」
「うん、そうだね」
 僕たちはこれまでも、二人の年齢差についてよく話していた。
「だから、聞きておきたいことがあるんです。正孝さんはどのあたりの星になるつもりですか」
「どういう意味?」
 質問の意味が分からなくて、僕は彼女のほうを見る。
「人間、死んだら星になるでしょう」
「うん…そうなのかな」
 正直、僕はそういった類のことは信じていない。けれど彼女は本気のようだった。
「だから先に聞いておこうと思って。死んだら、どこらへんの空の星になるんですか」
 彼女が、西の空から東の空に向かって、ぐるりと指し示す。
「こんなに広かったら、端から端までを探すのも骨ですから」
 そう言う彼女がなんだかおかしくて、君なら簡単に見つけられそうだけど、と茶化してみたら怒られた。
「簡単じゃないです。あのときも、あなたを見つけるまでも大変だったんですから」
「それでも君は僕を見つけたじゃない」
 僕がそう言うと、ストーカーを舐めないでください、と、彼女は自信たっぷりの笑みを浮かべた。

「それで? どこに住むんですか」

 それは、聞き慣れた質問だった。
「死んで、星になって、また君は、僕を追いかけてくるの?」
 改めての僕の問いに、もちろんです、と答える彼女の声を聞いて、僕は死ぬのが怖くなくなるのを感じた。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!