ひとより幸せそうに生きている私の育てられ方

私はひとより幸福度が高いと思う。
そりゃ生きてれば悲しい日もうまくいかない日も見せていないだけで多々あるけれど、総じて毎日幸せ!

私がどうゆう風に育ったか知りたい!とリクエストを頂いたのがきっかけなんだけど、私ももう26歳。まわりの友人もママになっていく子も出てきたし、サロンのお客様やフォロワーさんに子育て中ママさんも多いので育児について考える機会にしてくれたらと思って書いてみる。

育てられ方で人ってだいぶ変わってくると思うから。

私は超ポジティブの脳内お花畑タイプ。じゃないと、セレブでも芸能人でもない自分の日常をあんなにSNSにぶち込めないと思う笑
「なんでこの人、毎日こんな楽しそうなんだろ?」と思うひとも多いと思う。よく言われる。笑

その理由は母の育児方法がとても大きく関わってくる。

自分のことが大好きであることが基本だと、小さいころから教えられて育った。

母はよく自分を鏡にうつして
「今日もわたし可愛い!いい感じ〜♪」と言っていた。自分で何言ってんの?と幼い私が聞くと
「ひとからの褒め言葉を待つんじゃなくて、自分で自分を褒めなきゃダメよ〜」とか言う母だった。

ちなみに私は0歳児のころから幼児教室に通っていた。母は赤ちゃんの私に毎日何十冊の絵本を読み聞かせ、2歳からクラシックバレエを習い、幼稚園もお受験をして入園した。毎日、色々な習い事をして母の荷物は私の習い事グッツでパンパン!みたいないわゆる英才教育を受けて育った。
そんな英才教育を受けた同級生たちは、東大京大に行き、お医者さんになったり世界で活躍していたりする。

だけど、私はこの通り全然!!笑
0歳から習っていた英語だって全く喋れないし、
バレエも高2で辞めた。高校生活はデートに明け暮れ、私立の女子大に行き毎晩パーティー状態。
就職するもソッコーで退職し、今ものほほんと暮らしている。

それでも母は、なぜじゅりちゃんだけこうなったと笑いつつ
「私の育児は正しかったー♩成功成功!」と言う。

いや、そりゃ学生時代は揉めたし相当悩ませたけどね。(大戦争ばりに喧嘩したことももちろんあるからね!笑)

それでも、母が大成功だという理由は
私が超幸せそうに生きているから。

子の私が言うのはなんだけど、親孝行ってやつは親を旅行に連れて行ったりなにかプレゼントを買うことじゃなくて、いかに幸せそうに生きているかだと思っている!

そんな母に今回は育児のポリシーを改めて聞いてみたので、記事にしてみようと思う。


【子ども扱いせず友達のように褒めてくれた】

私が褒めに褒められて育ったタイプだと、みんな想像できるとおもう。まさにその通り!だけど、多分みんなが思ってるのとちょっと違う。

「すごいねぇー!」「えらいねー!」みたいな、子どもに対しておくる単純な言葉での褒めかたではなかった。

幼稚園児のころ、ただなんとなく描いたお絵かきにも「じょうずねー!」「よく描けたねー!」ではなく、
「じゅりちゃんのこうゆうセンス素敵ね!色合いが可愛い!どこからヒントを得たの?」とかって、とても大人っぽい言葉をおくってくれていた。

「じゅりちゃんはこんなこと出来るのね!私には出来ないから尊敬するなぁ。」とか。母からの褒め言葉はいつも具体的で対等な立場からだった。

あと、親って子のことを謙遜したりするじゃない?うちはそれが一切無かった。

ひとの前で、堂々と私を褒めてくれていた。うちに遊びにきた私の友達にもじゅりちゃんって優しくていいこよねー♪とか普通に言う。
お世辞で「娘さん可愛いわねー!」とか言われても、そんなことないですよーなんて言わない。「ありがとうございます!」って感じで返してる。笑

そんなもんだから、私は幼い頃からひとりの人として自分に自信が持てた。世間に私は通用する人間だし、なにかあってもなんだかんだやっていけて人から認められる存在だと思っている。

これが自分を大切にできる、自分を信じられる力ってやつだと思う。


【私が犯罪を犯したとしても味方でいてくれるくらい信じてくれた】

母は私が何かを間違えたときに正してくれる存在と言うより、私が何かを間違えたとしても唯一絶対味方でいてくれる存在。

極端な話だけど私が殺人を犯してしまったとしたら、じゅりちゃんがそんな事をしてしまうくらいの何かがあったに違いない!娘は悪くない!と母は言うだろう。

これは、親バカとか子どもを甘やかしてるからではない。

あれだけ全力で向き合って自分の全部を注いで育てたんだからと、私を信じているから。なにがあっても信じられるくらい、一生懸命子育てしてくれたんだと思う。

そんな愛が伝わってくるから私はその信頼を守って生きたいなと思う。

そして、絶対味方でいてくれるひとがいてくれることは、私の強さに変わる。何かに失敗してもいい、誰かに嫌われてもいい。だって味方がいてくれるから。

そう思えば、何にでも挑戦して生きていける!

なぜ、結婚したい!ってひとが思うのかっていうのもここに繋がるのかなと思った。みんな、自分の味方でいてくれるひとを求めているよね。多分。


【私が欲しがるものは出し惜しみせず与えてくれた】

オモチャからやりたい習い事まで言えば買ってくれたし、やらせてくれた。

これは経済的な問題もあるし、私の家庭も決してセレブではないので、高すぎるものや本当に買えないものは無理だった。でも、出し惜しみしないっていうのがポイント!

もったいない!とか、そんなの意味ない!とか
どうせ続けられないでしょ?ってのは、言われたことがない。

多少無理をしてでも与えてくれた。

小さいころにあれが買ってもらえなかった!やらせてもらえなかった!っていう悔しい気持ち?って大人になっても残る気がする。それがハングリー精神となって成功するひともいるけれど、稼ぐ力と使いたいお金のバランスが取れないと幸せではない。

大人になってある程度お金を稼げるようになったとき小さい頃の気持ちが爆発して、お買い物依存とかになりかねない。そうなると、もはやそれはコンプレックスであって、生きにくい人生となる。

小さいうちに満たされたことで、大人になってずいぶん生きやすい。小さな幸せに気づける余裕が育ったと思う。


【この世のステキなものを正しく教えてくれた】

高級なものが絶対いい!っていう考えは私にはない。可愛いものが可愛いし。美味しいものが美味しい。私がトキメクかトキメカナイかが判断基準♪お買い物するときも、本当に欲しいものは高くても安くても買う!値段は判断基準じゃない。

母は私のトキメク力を育ててくれた。モノやコトの価値を図るときに大切なのは、どれだけ自分の心が動くかどうかということ。

だから、プレゼントだって大金を使って簡単に買ったものよりも、時間を使って一生懸命選んでくれたものの方がステキだし嬉しいと感じられる!(ちなみに1番嬉しいのは、お金も時間も使って一生懸命選んでほしい。欲張りだから♪笑)

母はお花の先生だったので、家はお花だらけだった。お花は枯れてしまうもの。でも、そこに時間やお金や手間をかけている母を見て、その環境で育った。目に見えないもの、いつかはなくなってしまうものにも価値があることを学んだ。

ステキだと思うコト、モノも育てられかたによってだいぶ変わってくる。私は母のおかげで幸せを感じられる感度が高い。


【幸せに生きていくために必要なマインドを私の脳に刷り込んでくれた】 

母の育児は、マナーや常識はそんなに重要視されていなかった。なんなら、母も常識?からちょっと外れているひとだったから誤解されることも多かった。笑

小さいことで言えば

どうしても行きたい所、やりたい事があるなら
いくらでも学校なんて休めば?って感じでしょっちゅう学校を休ませてくれた。

私は幼稚園児のころにはもう九九は完璧だった。だから、小学校の九九の宿題は別にやらなくていい。もっとその時間をやりたいことに使えば?って言われていた。宿題はやるものとやらないものを自分で決めていた。

私が読書感想文をピンクのペンで書いてても、
きゃー!可愛い!天才!って言ってくれた。
ちなみに、この読書感想文は先生に怒られて再提出になった。不服だったなぁ。笑

とにかく、母から幸せに生きていくヒントをたくさん貰った。

母の生き方か常識外れだなと思うこともあった。それはおかしいんじゃないか、間違ってるんじゃないか?と思うこともあった。私を巻き混むな!と反発もした。色んなことがあった。

でも、結局はいつも母は自分で選んだ道に責任を持っていたし本質は見失ってなかった。
失敗してても、叩かれても、幸せそうにしてた。

母が自身の経験から得た幸せに生きるためのマインドは惜しみなく全部私の脳に刷り込んでくれた。

“誰かに必要とされたり愛されたりする自分になるにはどうあればいいか考えること、そして大前提として必要とされないひとはこの世にひとりもいない。”

とかね♪

これらは私の育てられ方ってだけで、これが正解とかはないものだと思う。私の人格を、良い!と言ってくれるひともいれば、こんな風にはなりたくない、なってほしくないと思うひともいると思う。

ただ、私のこの人格はこの世を生きていきやすい!これだけは言える。

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