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04 タレントを目指したきっかけ-02

これ最初に読んでからきてね👶🏻

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どんな話で終わってたかというと、

なんやかんやあって、新卒で大阪のテレビの制作会社に入社しました。

ほんじゃ✋🏻じゃないのよ
そっからめっちゃ日にち経ってるし
なんならもうnoteの存在忘れてた笑

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就活やる時に自分が何が1番やりたいのか考えた時に
1番やりたかったのがマネージャーで
結局なれず、妥協して制作会社に入った感じやけど意外とそんな事なくて
自分がなりたい像の軸は、

『自分がなれんかったタレントの夢を叶えてる凄い人たちを下から支えられる仕事がしたい』

だったから、制作会社に入ってADになったけど
超理想的な仕事で、毎日忙しくも楽しく仕事してた。

ADって聞くと"忙しすぎて寝れない"とか"家に帰れない"ってイメージあると思うけど
私が担当してた番組とか、先輩Dとか、誰の下につくかによってハードさ変わるけど、正直1年で5〜10回ないぐらいかな😑
これは、他の職種でもっと忙しいとかあると思うから、制作会社って忙しいって正直イメージやと思う笑

自分より上の代の人たちが働いてた時はもっと理不尽で、無駄なことがいっぱいあって、コンプラなんてなくてめちゃくちゃやったと思うから
その時代の事を考えると、意外と私にはADはすごい合ってたなって、今転職しまくって気づいた🤫

芸人さんのバラエティ番組から、就活に関するイベントまで
色んな映像とイベントのお手伝いをさせていただいて
関西地方を中心にめっちゃ色んな場所いって、ロケやけど旅行みたいに現地でご飯食べて宿泊まって
めっちゃ楽しかったなあ〜



働いて3年弱の12月に、同居してた母の病気が酷くなって
もう最期が近いからって在宅療養になるタイミングで
私も休職させてもらいました。
その後すぐ、母は亡くなってしまって(また詳しく残したい)そのまま3ヶ月ぐらい休ませてもらって、また復職させて貰ったんやけど
母の事がきっかけで、自分のこれからをすごく考えるようになって転職を決めました。

この制作会社で、いろんな先輩に面倒見て貰ってめっちゃ迷惑かけて
いろんな後輩に教えて、急に辞めちゃったりして笑
カメラとか技術の会社の人とも関係良好で
いろんなタレントさんともお仕事させてもらえて
楽しくて、おもろくて、大好きな人いっぱいでした。

そんないい会社と、故郷と、実家と、親戚と、友達を置いて
転職でマネージャーになるために上京しました。

ロケ地1
仕事で自然を感じられるのが幸せだった💘
ロケ地2
大雪降って寒かった日
こういう日の撮影は色んな意味でめっちゃ大変🥺
ハイエースで移動寝てたからボサボサ+私が飲み食いしてないものたち
持たされて食いしん坊にさせられた私

頑張って撮ってくれてる仲良しカメラマン📷

撮影者仲良くしてくれてたディレクター🫶🏻


この続きはWebで👋🏻
うそです、ちゃんと更新するね、、、

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