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『落研ファイブっ』第一ピリオド(32)「政木家の朝」

 政木まさき家の朝は早い。
 外資系金融機関を渡り歩いた父は、餌も真っ青のショートスリーパー。
 ミトコンドリアが異常なほど活発に働いているらしい父は、朝も早よから包丁をリズミカルに操っている。

「五郎君起きて。ご飯だよ♡」
「これがこれから毎日続くのかよ。地獄だ」
 枕もとの目覚まし時計は朝四時。
「一人で食ってろ」
 仏像はタオルケットを被ると二度寝を決め込んだが――。

「五郎君。ダディ特製のフレンチトーストだお」
「熱い熱い熱い熱いっ。何すんだっ」
 タオルケットをはぎ取られ、出来立てのフレンチトーストを口元にあーんされた仏像は、思わず飛び起きて猛抗議もうこくぎした。

「だって五郎君はマミー特製のフレンチトーストが大好きだったでしょ。メープルシロップで小さなお手々をベタベタにして」
「いつの話だよ」
 ため息をついて父を見やると、目に悲しみをたたえた中年男がそこにいた。

※※※

「で、このメニューのどこに包丁を使った。とんとんとんとん夜明け前から何のつもりですか」
「リズム運動的な」
「何にも切らずにとんとんやってたの。迷惑すぎでしょ」
 だって、と父は肩をすぼめて上目遣いで仏像を見る。
 ちなみにかわいらしさの欠片もない。


「急に会社を辞めることになって、平常心でいられないのは分かるんだけど。頼むから毎日朝四時に俺を起こして、朝飯に付き合わせるのは止めてくれる。ずっとこんな感じなら、俺マミーの所に家出する」
 仏像は、不満もあらわに父を見た。

「そりゃ無理だ」
「分かってる。マミーの家はトロントだし飛行機代だって高いし、どうせ仕事だし」

「いや、そう言う事じゃなくてだな。あのな、落ち着いて聞いてくれ」
 ただならぬ父の様子に、仏像は大きく深呼吸した。


「五郎君にね、弟が出来たんだ」
「はああああっ?! まさか、マミー」
「もう何も言えねえ」
 父親はスマホを仏像に差し出すと、ダイニングテーブルに突っ伏した。

「ハイスクールの同級生の高校教師と交際五か月で『出来ちゃった』と。はいそうですかオメデトウってなるかああああっ」
 仏像も父よろしくダイニングテーブルに突っ伏した。

「ダンボールごと会社から追い出された直後にこの怪文書。ダディはこのダブルコンボで、完全にハゲタカ人生から足を洗うって決めたんだ」

「足を洗う洗うとは言うけど、まさか本当に毎日が夏休みのアーリーリタイヤコースに突入する気なの。さすがに早すぎでしょまだ四十七歳だよ」

「元々ハゲタカ生活に飛び込んだのも、若いうちにガンガン稼いで元気なうちにリタイアして、人生エンジョイ組に転職するつもりだったからだし」
 父はごくりとコーヒーを飲んだ。

「だったんだけどね五郎君。ダディにまたまたショッキングな出来事が起こりまして」
「まだあんの」
 仏像はフレンチトーストの空き皿を洗いながら父親にたずねた。

「ブラックカードが切れなくなる事に気が付きまして」
「ああ無職だもんな。さっさと手続きしないと、電気水道ガス全部止まるよ」
「何でそんなに冷静なの五郎君。ショックだよ。ダディは懸命けんめいにハゲタカ化してお金を作ったのに、無職ってだけでカードが使えないんだよ。そんなのってアリ」

「ぼやぼやしてるとブラックカードからブラックリスト行きだ」
「今のダディが使えるブラックカードは、スーパーのポイントカードだけ」
「無職に優しいEDLPエブリデイ・ロープライスのスーパーな」
 仕立ての良い長財布を開きながら、父はがっくりと肩を落とした。

「そう言うことがあるから、早めに転職するなり起業するなりした方が」
「ダンジョン配信と美容は儲かるって。インスチャグラミュっでイケオジ美容法ってどうかな」

 ちなみに中身はともかく、見た目と経歴はロイヤルストレートフラッシュ級の渋イケオジである。
 実に腹立たしい。


「どうせやるなら金融系の情報発信は。餅は餅屋って言うでしょ」

「絶対拒否。ハゲタカ稼業かぎょうとはすっぱり手を切るの。と言う訳で、五郎君。明日山登りしない」
「海外生活が長すぎて日本語怪しくなっちゃったの。『と言う訳で』の前後が全くつながってないんですけど」
 呆れたようにセミロングヘアに手をやった仏像とは対照的に、父はいたって本気である。

「四国にお遍路へんろに行こうとして宿泊情報を調べたんだけど、時期的に満員でね」
「本当に四国にお遍路へんろに行くつもりだったの」
 父はこくりとうなずいた。

「で、四国はまたの機会にするとして。ダディはハゲタカから普通のオジサンに生まれ変わるためにも、一度心をしっかり清めようと考えた」

「リストラに元嫁の妊娠発覚のダブルコンボが一日で来たんじゃな。弱った所に」

「五郎君、大山阿夫利神社おおやまあふりじんじゃって知ってる」
 落研メンバーにおなじみの神社の名前を、父は実に神妙そうに口にした。

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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