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『あの子のこと』(55)「黄昏時の不審者」

 二十年ぶり以上に名古屋の父の墓に参り小平の家の片付けをし、出張ヨガ教室を開いた上にファミレスの夜勤とインストラクター稼業も行えば、体に疲れも溜まるもの。
 私は休日をセミダブルベッドの上でしかばねのように過ごした。
 拓人さんはテスト期間中で、あんなにくっつきたがりのくせに私の部屋に顔を出しもしない。
 スマホの時計は午後四時を指していた。

「いい加減起きないと……」
 十六時間も寝ていた事に気づき、私は声にならない声を出しながらもぞもぞと伸びをした。
 SNSには三時間前に送られた拓人さんからのメッセージが残っていた。
〈うちちょっと散らかってるからそっちに行っても良い?〉

 後三十分で帰ると言うので慌ててシャワーを浴び、クリーム色の厚手のニットにフレアスカートを着ると、ありあわせの食材を見繕みつくろう。
 冷凍庫から豚バラ肉の薄切りを引っ張り出していると、玄関のチャイムが鳴った。

「ただいま。ずっと連絡戻ってこなかったから心配した」
 拓人さんはグレーのダッフルコートにニット帽で耳まで隠した完全防寒仕様だ。
「ごめん、十六時間眠ってた」
 驚いた顔をした拓人さんに豚肉と玉ねぎにブナシメジを押し付けると、私は味噌とサーモンの南蛮漬なんばんづけが入ったタッパーを持って部屋を出た。

「俺の部屋も大して片付いてないけど、許して」
 拓人さんが言うほどではないが、机の周りにはプリント類が乱雑に散らかっていた。
「豚汁とサーモンの南蛮漬なんばんづけで良いよね?」
 選択の余地は無いと言わんばかりに聞くと、拓人さんはそれで良いよとだけ言ってプリント類を片付け始めた。

「そう言えば、つくしさん三日前に停学になった」
 玉ねぎを切っているそばでさらりと拓人さんが告げたので、私は危うく聞き逃す所だった。
「停学、って誰が?」
「だからつくしさん。無期停学処分むきていがくしょぶん食らって張り紙出された」
「そうか……。大野君もついに知ったって事ね」
「結局つくしさんが大野を振った形で収まった後に、停学処分になったんだ。大野なりにつくしさんを大切に思おうと努力はしていたし、大野とつくしさんが付き合ってるのは皆知ってたし、大野はいい迷惑」

「ええっ、つくしさんって大野君に執着しまくってたよね。どうして急に振っちゃったの?」
「俺にも良く分からないんだけど、一般教養のテスト前に二百人以上いる前でいきなり大野に切れて。『つくしに指一本触れようともしない男は無価値だ』だってさ。ひどくない?」
「そんな子には全然見えないのに……」
 私はあっけに取られながら玉ねぎを雪平鍋ゆきひらなべに入れた。
「見た目を裏切る暴れ馬だからね。大変だよ」
 プリント類をまとめてゴミを捨てた拓人さんは、手を洗いながらため息をついた。

「今回の一件で確信した。つくしさんは何やってもどこにいても絶対に生き残る」
「結局イニシャル入りのドッグタグは用無しになった訳だ」
 私は洗濯機の下をもぞもぞと探った時の、ひんやりとした感覚を思い起こした。
「そうだね。陽さんは結局まだつくしさんと会ってるのかな。正直勘弁してほしいんだけど」
「どうだろうね。陽さんって昔っからあのタイプの子に弱いんだけど、性格的には合わなさそうな気がする」
 つくしさんと合う奴なんているのかと露骨に大野君の肩を持ちながら、拓人さんは炊飯器のスイッチを入れた。
 
 拓人さんは作り置きのサーモンの南蛮漬けに豚汁を嬉しそうにお代わりした。
 雪平鍋ゆきひらなべから豚汁をよそう後ろ姿を見ながら、私は今の生活が長くは続かない事を隠しているのに罪悪感を覚えた。
「すぐ冷たくなっちゃう」
 もうもうと湯気を立てる豚汁も、ものの二分もしないうちに温くなってしまうほど冷え込む夜だった。

 インスタントのほうじ茶を飲みながらどちらからともなく肩を寄せ合うと、拓人さんは寒いねと言って厚手の毛布で互いの背中をくるんだ。
 この後のお決まりのコースに相変わらず高鳴る拍動を感じながら、互いにほおを寄せ合うと――。

「たっくん、いるんでしょ! 話がある」
 チャイムの連打と玄関ドアを叩く音の合間に、きんと良く響く声が玄関越しに聞こえてきた。
「居留守だ居留守」
 つくしさんの呼びかけを無視して、拓人さんは私をぎゅっと抱きしめた。
 しばらくすると諦めたのか、玄関ドアを叩く音がしなくなった。

「やっと行ったか……」
 ふうとため息をついて改めて私の頬に顔を寄せた瞬間。
「ほらいたし! あ、邪魔だった?」
 き出し窓をがらりと開けて、ベッドの上につくしさんが顔をだした。
「勝手に入ってくる奴があるかよ」
「鍵ぐらいかけなさいよね。不用心じゃない」
 つくしさんは靴を専用庭に脱ぎ捨てると、ベッドの上にどさりと座った。

「なあ、ちょっとは遠慮ってものは無いのかよ!」
「そんなものはとうに捨てた」
 つくしさんは明らかに酔っぱらった様子だった。
「私、帰るね」
「帰る必要はない。何でゆいさんが遠慮するんだよ」
 立ち上がろうとする私を、拓人さんが引き留めた。
「へえ、大人しそうな振りして結局若い男食ったんだ」
 つくしさんは値踏みするように私をじろじろと見まわした。

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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