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『落研ファイブっ』第一ピリオド(33) 「ふたり」

〔仏〕「何でまた大山阿夫利神社おおやまあふりじんじゃに。どうして俺の周りは大山おおやまに行きたがるんだ」

 落語『大山詣おおやままいり』の舞台にもなるぐらいに昔からの観光名所ではあるが、観光名所化した神社は他にいくらでもある。
 仏像はいぶかし気な顔もあらわに、父親をじっと見る。

〔父〕「へえ。五郎君のお友達も大山おおやまに行くの。そりゃマーベラスだね」
〔仏〕「そうらしいよ。こっちは行ったことないけど」
 多良橋のような口ぶりに、そう言えば二人は日吉ひよし大同期で学部違いだったと思い至った仏像は、改めてうんざりとした。


〔父〕「だったら行こうよ。父と息子、二人で夏の大山詣おおやままいり。素敵なひと夏の思い出になるじゃないか。今まで仕事にかまけて五郎君を遊びにも連れていけなかったから。罪滅ぼしもかねて、ね」

〔仏〕「罪滅ぼしのつもりなら、一人で行ってほしいんだけど。俺は朝の四時から飯を食うライフスタイルじゃない。暑い中山登りをするぐらいなら、家で勉強の遅れを取り戻したいんですけど」

 むうと口をとがらせた父の表情が多良橋たらはしそっくりで、思わず仏像は深いため息をついた。

〔父〕「今なら宿に空きが一部屋だけあるんだよ。値段も無職に優しいし温泉だってあるし、良いでしょ。鶴巻中亭つるまきあたりていだって」
 きらきらとした目でスマホを差し出す父に取り合わず、仏像は眠そうに生返事をした。

〔父〕「ほら、二〇二号室の和室から見る神奈川県下。すごい絶景だよ。ここに今夜五郎君と泊まって、夏の朝日を浴びながら父子二人で大山詣おおやままいり」

〔仏〕「一人で行ってよ。俺二度寝する」
〔父〕「五郎君、本当に行かないの」
 父の懇願こんがんに負けず、仏像は自室でタオルケットをかぶった。

※※※

 たったの一泊だと言うのにバックパックに荷物を詰め込んだ父を玄関先で見送ると、仏像は深い深いため息をつく。

〔仏〕「本番前の忙しい所を済まねえが、ちょっと一緒に飯でも食わねえか」
 『生き地獄』の異名を取るコンクールを控えた松尾を、仏像は松尾と初めて外食をした町中華の名店へと誘った。

※※※

〔松〕「弟さんねえ。それは一大事じゃないですか」
 チャーシュー麺をすすりながら、松尾がため息をつく。

〔仏〕「マミー、えっと母さんだって女なんだよな。ちょっと生々しいっていうか、あんまり考えたくなかったって言うか。俺の存在はちょっと邪魔だろうな」

〔松〕「絶対そんな事は無いって」
〔仏〕「でも離婚して二年経つか経たないかぐらいなんだよ」
〔松〕「そうですか……。だったら今夜うちに泊まりましょう」
 パイコー麺をもてあそびながらうつむく仏像を、松尾はじっと見つめた。


〔仏〕「何で俺にカナダ人の弟が出来たからって、そっちに泊まることになるんだよ。そもそももうすぐ本番だろ。それに家主の千景ちかげ先生は泊っていいとは言っていないぞ」
〔松〕「今夜は泊り出張なので大丈夫です」

〔仏〕「家主がいないすきに泊まるなんて卑怯ひきょうだろ」
〔松〕「ちゃんと事情は伝えておきますから」
 松尾が一度言い出すと聞く耳を持たないタイプなのは、ここ数か月の付き合いで嫌というほど痛感している仏像である。
 
〔松〕「ゴーさんって、ため込むタイプですよね」
〔仏〕「そんな事はねえ」
〔松〕「重症だ。自覚がない」
 松尾は仏像に悩むすきを与えないように素早く会計を済ませると、コンビニで二人分のジュースを買い込んで自室へと向かった。


※※※

 勝手知ったる松尾の自室に通されると、いきなり松尾が仏像の背中に両手を回した。

〔仏〕「俺はこういう趣味じゃねえ」
〔松〕「こっちだって」
〔仏〕「だったら何のつもりだよ」
 仏像が身をよじると、松尾は両腕をほどいて仏像を解放する。

〔松〕「今のゴーさんに足りないのは、オキシトシンとセロトニンだと思ったので」
〔仏〕「何じゃそりゃ」
 ペットボトルを手にしつつ、仏像は定位置となったゲーミングチェアに陣取った。

〔松〕「リラックスや幸せ感をもたらす脳内ホルモンの名前です。抱きしめあったり頭や背中を撫でると、大量に分泌されるのです。友人やペットにぬいぐるみ相手でもちゃんと出ますよ」

〔仏〕「もしかしてお前、ずっとさみしかったのか。そりゃそうだ。両親と離れて慣れない土地で下宿中だものな」
 松尾は仏像の本心を見抜いた上で、仏像の発言にあえてうなずく。

〔仏〕「さびしいならさびしいってちゃんと言え」
 仏像はペットボトルを机の上に置くと、松尾をお手製の如意輪観音にょいわかんのんのように抱きしめた。
 
〔仏〕「そう言えば俺はマミーに抱きしめられた記憶があんまりねえ。マミーはいつも仕事で忙しかったし、ぐずったり甘えすぎると機嫌が悪くなったからな」
 仏像は松尾の肩に頭を乗せながら、訥々とつとつと話し始めた。

〔仏〕「たまにダディが帰ってきたと思ったらキャンプだボールパークだって。ただでさえマミーは慣れない日本暮らしに疲れ果てていたのに」
 だからダディと俺を見捨てたのも仕方ないとは思うんだけどと、仏像は自嘲じちょうする。

〔仏〕「俺、マミーとダディにひどい事した。日本に移住した時にスノボを辞めなかったからマミーとダディは」
 無言で仏像の背中をさすりつづける松尾を如意輪観音にょいわかんのん像代わりに話しているうちに、仏像をかつてなく強い睡魔すいまが襲った。

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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