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悪について

フロムの『悪とは何か』を読みました。

左足の手術後、向こう1週間は足を心臓よりも上の位置に上げていないといないと言われてしまい、最低限の家事でちょこちょこと動いている以外はソファで安静にしているつもりです。

ただし、最低限の家事といっても、動物が4匹もいるため、清潔に快適に生活するためには日々結構やることがあります。

傷口が鬱血するのを防ぐために足を上げる必要があるとの理解で、家事をする際にもなるべく左足は心臓よりも高く上げるということを意識して作業しています。

ほぼヨガか、体が硬めのバレリーナのようなポーズで常に家事をしているという。コミカルですよね。

左足は心臓の位置よりも高くしているし、しかも安静にしているよりも、動けるなら少し動いた方が血流にいいと考えています。

怪我以外は健康なので、入院でもさせられない限りソファで一日中じっとしていることが出来ません。

昨夜は左足スクーターで家の中をクルクル回って家事をしていたら、ピントが食べずに放置して置いた犬用ミントガムが車輪に絡まって左側に転倒するという軽い事故まで起きました(転倒していくプロセスがスローモーションで見えました)。

まずい!と相当な痛みを覚悟したのですが…。怪我した左足で軽く着地してしまったのがちょっと痛かっただけで済みました。

ということは、骨折も手術の傷もかなり回復していると思います。

回復期に深刻な本はやめといた方がいいのでは、と思う自分がいる反面で、お笑いだけでは脳に刺激がなさすぎて、すこし難解な本を改めて取り出してきました。

まず、自分と自分の家族のことに照らし合わせて読むと、家族の病理が書いてあったというか。明晰に分析されて言語化してあるので、脳の整理になってかなりスッキリしました。

私が理解したのは、病理的なナルシシズム、共依存関係(本には近親相姦的と表現してあった)、そしてネクロフィリアな傾向(生よりも死に惹かれること)が悪と定義されているということです。

善とは、生存に必要な適度なナルシシズム、自立、自由、バイオフィリア(生を好むこと)と定義されていました。

人間にはこの2極どちらの要素もあり、完璧に善とか悪とかに分別されるわけではないようです。

悪に限りなく近い存在は歴史上の独裁者とかが思い浮かびますし、それをサポートした群衆や黙認した市民だって一人一人のなかの悪の傾向が強かったからでしょうか。

善に限りなく近い存在は歴史上の聖人と言われるような人たちですね。慈愛に溢れる人格で人や動物や植物や地球に善をなして世を去った人たち。

私が18歳まで過ごした家族は悪の要素がとても強かったな、と、知っていたけど再々確認しました。

スターウォーズのダースベーダーのような一家でした。

人間を生を謳歌するクリエイティブな存在として総合的な観点で見るのではなくて、機能として見てしまうこと、楽しみよりも罪悪感とか悲しみに支配される日々を送っていたこと、規則とコントロール、もしくは暴力で人に対して操作的だったこと、自他の区別なく、他人を尊重する生活態度ではなかったこと、それでも父に社会的な地位があると言うただ一点から、自分たちが1番正しくて清廉で倫理的だと勘違いして優越感を持っていること。

そんな家だったので、もちろん私にもそのような最低最悪な傾向が多々あったわけですよね。

ただ、私は家族と同調して同じように酷くならずに、独立することができたのは、健康だった祖母に懐いていて、祖母には愛されていることを実感していたからなのかな、と思います。

そして中高生の時に英語大好きになって、素敵なボーイフレンドもできて、そのジェットストリームに乗って病的な家族から距離を置いて海外にまで転居して一人でやってきたという感じです。

また、20代前半から離婚で早々と躓き、セラピーとか種々のワークに取り組めたおかげで、今は大分改善しました。

自尊心(今的に言えば自己受容)とかの改善ワークは20代前半から始めて、まぁ継続的ではなくても、飽き性の自分にしてはそれなりにやめずにやってきているし。

おかげさまで、それまでは全くちんぷんかんぷんだった自他の境界線も引けるようになっているし、何よりも、快か不快かの感覚さえ壊れていたのが修復して、嫌なことは嫌と感じてノーと言えるし。心が躍る楽しいこともあるし(動物たちと戯れること)。まずまずの安定感で落ち着いて暮らしています。

家族とは18歳で一人暮らしして以来縁遠い生活で、今46歳なので、私はあの病的な家族と長年関わっていたことで受けるダメージよりも、ずいぶんマシだったと思います。

生真面目な私はそれが罪悪感になって、40歳くらいまでは離れているのに悪夢にまで家族が出てきて苦しんだ時期もあったのですが、今は「親不孝」とか「自分だけ幸せになるなんて勝手にもほどがある」という自責の念に潰されず、踏ん張ってよくやった、と思っています。

ただ、これだけ離れていても、やっぱり育った家で培った物の見方が明らかに病理的だ思うようになるには長年の歳月を費やしました。

スターウォーズのダースベーダーが仕切っているような家だったうえに、祖母の家から夜逃げ同然で父が家族を連れて飛び出してから完全な核家族になって、病理がすごいスピード加速、悪化したと思います。

祖母の家は田舎にあって、公民館で寄り合いもあったし、村人全員が何らかの血縁で繋がっていて仲良かったし。戸建てで自然も身近に豊富にあったし、家で祖母が育てた野菜とか果物とかお米とか味噌とかお漬物を家族で食べて、健康的でした。

物心ついた時から一緒に野原を駆け回って大きくなった友達も何人もいたし、母にも近所付き合いがあって、近所のお母さんたちと集まって話したりして憂さ晴らしをできたし。

それが引っ越した先は、天井の低い高層マンションで、神戸のベッドタウンで開発されたので緑も少なければ、何かの活動をともにするコミュニティもなくて。

私と姉には気兼ねなしに駆け回る野原もなく、友達もいないし。母は日中喋る友達も一人もできず、階下の人からは生活音のことでしょっちゅう苦情を言われるようになり、それが原因で近所の人に会いたくないので外に出なくなり、父は仕事のプレッシャーと、シングルマザーで育ててくれた(祖父は42歳で病気で他界しています)母を捨てたことに対する罪悪感を背負って、お酒を飲んで暴力的になり。

そんな状態で親戚付き合いも一切なくて、核家族化して孤立したら危険だと今の私なら分かりますが、私の育った家では、自分たちが時限爆弾の上にいるのも知らず、おかしくなり始めているのにも気付かないまま病的になって硬直していったと言う感じですね。

父母の暴力とか、家が人を上げることも出来ないほど散らかり放題だったとか。母が鬱病か何かの精神疾患なのに治療も受けず家で寝たきりみたいになっていたこととか。姉の度重なる家出自殺未遂とか精神疾患も悪化しました。

あの家で11歳から18歳までどうやって暮らしていたんだろうと不思議ですが、私は英語に夢中で、高校も楽しくて休みたくないので毎日行っていたら皆勤賞でした。

愛する祖母にも家族の中で私だけ自転車で2時間弱の道のりをかけてよく会いに行っていました。祖母は自分のことよりも父のことを思って、父の好きな土筆を積んでおいてくれたり、お漬物とか野菜や果物を大量に持たせてくれたり。

高校生の時ベランダで市の結構盛大な花火大会を見てコーラなんか飲んで、オヤツを食べて浮かれていたら、家事を放棄してずーっと寝たままの母が這うように出てきて「あんたはこんな狂った家から絶対に出なあかんで、出るんやで」と真剣に言ってきて、私はただ花火を楽しんでいただけなのに、突然そんな深刻なことを言った母にびっくりしたことがあります。

今思えば、母の愛情だったに違いありません。

幸い私は動物や植物が大好きで、何か美味しいものを作って食べたりするのも好きという取っ掛かりがありました。

好きなことや心から楽しいことが人間性の回復に繋がるってわかる気がします。そうすることで、生きることが苦痛ではなくなると言うか、罪悪感から、生を感謝して享受できるような心的態度に自然となっていくからです。

そしてネクロフィリアな自分からバイオフィリアな自分に変わっていくことで過程で自然と愛するキャパシティや愛や優しさを感じるセンサーも回復してくるのかな、と思っています。

『悪について』の次には『愛すること』も今日から読み返す予定です。



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