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私はやっと自立できたようだ

お久しぶり過ぎて土下座どころではすまないレベルですね。こんばんは、もぬんこです。

まさに「人生の岐路」という日々を送っています。そんな中、今日ふと思ったことがあり、この気持ちを忘れないようにnoteを書こうと思いました。

自分がワガママということを受け入れる

思えば私は誰かに振り回されっぱなしの人生でした。それが良いとか悪いとかではなく、事実としてそうだったと感じています。

私はとても卑屈で「誰からも本当の意味で愛されない」と感じ生きてきた人間でした。離婚時にそれを強く実感し、「それなら一人で楽しく自分のために生きてやろう」そう思ったのです。

どこか「世の中が悪い」と決めつけていたようにも思います。

「こんなに頑張っているのに何故理解してもらえないのか。」
「私を少しでも楽にしようと思ってくれないのか。」
「どうして人のことを考えて動けないのか。」

今思うと自己中心的な考えだなと思います。

私は誰かのために何かをすることが好きで、最終的に行き着くところは「社会貢献」です。これは最近気づきました。

しかし「社会貢献をしたい」というのも欲望であり、私のワガママで自己中心的な考えです。

私がやりたいことというのは、【誰かに認めてもらうことではない】それがハッキリと言えるようになった今、私は初めて「自分がワガママだということ」を受け入れられた気がします。

すべては感謝である

誰かに好かれたいから何かをするのではなく、ただ、私のことを好いてくれる人がいてくれたら良い。実際にそう言ってくれる人がいて、ただただ「ありがとう」「私も大好き」なのです。

私のやっていることを応援してくれる人がいます。何をしてくれでは無い、背中を押してくれること、力をくれることに感謝なのです。

「少し休んだ方がいいよ」という言葉も「心配してくれてありがとう」です。「大きなお世話」でもなく、「私の何がわかるんだ」でもないのです。相手は私に対して思っていることをぶつけたいだけ。それがどんな感情であるかは判断する必要はなく、私が受け止められるなら「ありがとう」で良い。受け止められる余裕が無いなら受け止めなければ良い。否定も批判もいらないのです。

「きっと無理するんだろうし、それを止めたりしないよ。心を保てなくなったらいつでも連絡してね。」という言葉も「私のことを理解してくれてありがとう」「本当は無理しないでって言いたいだろうに優しさをありがとう」なのです。

お仕事がたくさんある。「私が成長するための機会をありがとう」です。
※「そうは言っても」というのは別のnoteとして書こうと思います

世の中は感謝に溢れている。それを感謝するかしないかも自分の意志であり、自分が決めること。感謝しなければならないというわけではありません。感謝できるタイミングや心持ちというのがあり、べき論や正解を求める考えではないのです。ただ、当たり前のことを当たり前と思わない気持ちを持てば、あらゆることに感謝ができる。それをどこかに留めておいてほしいなと思います。使うタイミングは人それぞれです。

自分がワガママだと誰かのワガママも許せる

私はワガママなんだなと受け入れた時、誰かのワガママも受け入れられるようになりました。「私は誰からも愛されないんだ」という人がいたら前の私なら「そんなことないよ」という声をかけていたと思います。今の私は「そう思うならそれでいい。少なくとも私は好きだけどね。でもそう思う考えは否定しない。ただ、そう思って欲しくないという意見は私のワガママとして述べさせてもらうね。」というニュアンスになるでしょう。

私自身、誰からも愛されないんだと思って、人生を振り切ることにしたので、感情そのものを否定したくはありません。ただ、今だからこそ思うのは「誰かから愛されるために生きるより、楽しく生きていたら誰かに愛された」の方がシンプルだと思ったのです。

「こんな私を好きになってくれる人はもういない」ではなく「こんな私を好きになってくれる人が現れたらラッキー」の方が、私には向いています。

求めれば求めるほど、失う衝撃は大きく、だからこそ固執してしまう。愛も友達もお金も…です。

だから好き勝手に生きて、自分のワガママを認めて、「ワガママ最高じゃん!」って肯定できた現在がめちゃくちゃ幸せです。

幸せだけど欲望は否定しない

今が幸せならそのままで良いというわけではないのが私で、これまたワガママなのです。

私はずっと成長していたいし、より幸せの器を拡げていきたい。だから今のままで満足したくないし、少しずつモヤッとする事柄を少なくし、可能な限り私自身が何かを否定することはなくしていきたいと思うのです。

こんな気持ちも全部ワガママです。

好きにしてりゃついてくる人もいるし、嫌う人もいる。

それが摂理であると感じました。嫌われたくない人、ずっと好きでいて欲しい人がいます。私はそのために何かをするという考えは捨てようと思います。私が何かを共有したいから、一緒に楽しみたいから…好きでいて欲しい人のために何かをすることそのものが私には合わないのです。

好きかどうかを決めるのは相手であり、私ではない。

それを言語化できたから本当の意味で主体的になれた、【自立できた】と感じる今日この頃です。

あなたに伝えたい言葉

やりたくないなら辞めちゃおう!

思い切って全部捨てちゃおう!

やりたいことがないなら、やりたくないことを捨ててみる。すると見えてくるものが必ずある。

棄てることは得ることよりも難しいけれど、あなたの人生を蝕むほどの事柄はあなたにとって必要なものではない可能性だってある。またやりたくなればやればいい。

選択肢はいつだってあなたにある

あとがき

言葉が積み上がりすぎて大幅に削りました。もっと細かなものは別で書いていきたいと思います。

長文を読んでくださり、ありがとうございました。

140文字以内にまとめたのはこちら。





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