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ジョブ型雇用が広まった先に待つもの


帝国の経営者たち

項羽と劉邦の争覇の末に建国された漢の初期に次の興味深い逸話が伝わっている。

帝位についた高祖・劉邦を支えたのは第一の功臣とされた丞相の蕭何である。その蕭何と共に劉邦の挙兵から行動を共にしていた曹参は蕭何との折り合いが悪く、首都長安から遠く離れた斉に赴任していた。

劉邦の跡を継いだ恵帝の二年、蕭何が没した。訃報を聞いた曹参は部下に命じた。「急ぎ旅支度せよ。長安に行き、丞相になるのだ」と。部下は不審に思ったが、ほどなく長安から曹参を丞相に任ずる指令が届いた。不仲にも関わらず、蕭何は亡くなる前に曹参を後継に指名していたのだ。

曹参は漢の丞相になると帝国の経営方針はすべて蕭何の頃そのままとし、ただ蕭何の定めたルールに従った。夜には大酒を飲み、まともに政務をとることがなかった。これを怪しんだ恵帝は曹参を責めた。それに対して曹参は、
「帝は父上と自分を比べて、どちらが優れているとお思いですか」
「比較することすら難しい」
「では、私と蕭何ではどうでしょう」
「お前の方が劣るだろう」
「高祖と蕭何の二人が天下を平定して決まりを作り、既に様々な法制は整っています。それを高祖と蕭何に劣る私たち二人がどうしようというのでしょう。私たちは自らの役目を守り、法令に従い、失策がないようにしていればそれでよいのです」
恵帝はこの説明をよしとした。曹参が丞相の時代、漢帝国はよく治まったという。

「史記 曹相国世家」より

秦の行き過ぎた功利主義や法治主義の反動で、漢初期には老荘思想(この当時は「黄老思想」といった)が流行した。
『老子』に有名な
「大国を治むるは小鮮を煮るがごとし」
の文がある。小魚(小鮮)を煮るときにつつき回しては身が崩れてダメになってしまう。「あまり手を付けずじっくりと待つのがよい」の意味だが、大国の経営もそうだという。劉邦の「法三章」と合わせて、恵帝と曹参の逸話も寓話的側面が強いと思うが、大組織の経営方法のある種の真理を示しているといえるだろう。

CEO病という名の病

ひるがえって、現代の組織経営はどうだろうか。創業者や同族で経営する組織を別にすると、いわゆる「雇われ社長」的な経営者には次の特徴があるといわれる。

  • 比較的短い任期で契約している

  • 契約更新は達成した業績次第で、任期中の解任もあり得る

  • そのため、短期の成果創出に固執しがちになる

  • 任期切れを見据え、次の就職に有利に働くよう、経営者個人の名声を高める施策に走りたがる

これらは短い任期で業績評価を行う仕組みが生み出す必然の結果といえそうだ。小鮮を煮るような企業経営は難しい。

また、任期満了後の後継者選びの問題を指摘する人もいる。短期成果で名声を挙げた経営者は、その名声を守るために不適任な後継者を指名し、その後の企業業績の悪化をまねくという。

以前紹介した『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』にそうした指摘が登場し、例えばクライスラーを再建したリー・アイアコッカが代表例だとされる。こうした経営者を「CEO病」と揶揄する向きがあるが、
「自分がCEOのときに業績が向上した」
「自分がCEOをやめると業績が下がった。これは自分が優秀な証拠だ」
と主張するのがこの病の症状らしい。
冒頭で紹介した漢の丞相・蕭何の後継者選びと比較するとおもしろい。

ジョブ型雇用の混乱に備えよ

以前の投稿で、かつて好調だった日本企業が競争力を失った原因が何らかの陰謀によるものではないか?と紹介した。そして、現在日本企業に広がりつつあるジョブ型雇用が次の陰謀ではと思えてならない。
上述した経営者の役割は典型的なジョブ型雇用だと思うが、これが一般の従業員にまで広がりつつある。

まぁ、ジョブ型雇用の導入を陰謀扱いするのは冗談にしても、この施策が企業や日本社会に良い効果を生み出すとは思えない。どうして日本はこうなのだろう。

ジョブ型雇用では短期の目標設定と業績評価の仕組みが一層強化され、評価結果の報酬連動も強まると言われている。これはエドワーズ・デミングが『危機からの脱出』で指摘した欧米流マネジメントの悪癖そのものだ。(詳しくは上記投稿を参照)

従業員は短期的視野中心の思考になり、ジョブに定義されてない業務は重要事項でも見過ごされがちになるだろう。業務では個人目標が優先されてチームワークは軽視され、長期的でねばり強い取り組みが必要な課題は誰もが敬遠するようになる。

負け組サラリマンたる私のキャリアはこの先それほど長くないので、諦念と共に嘆息しながらこの風潮に押し流されるだけだが、10年後、20年後の日本企業が心配だ。この投稿が悪しき予言になってしまわないことを願う。


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