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『ぼっち・ざ・ろっく!』のストーリー展開の基本構造

ぼっちちゃんが銀座に進出!というので行ってきたアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」展、いや~、すげ~人出だった。展示を見ながら『ぼっち・ざ・ろっく!』の人気についてつらつらと考えたのだが、なぜこんなにも多くの人を引き付けるのだろうか?ここで1つの分析例を紹介したい。


ぼっちちゃん大人気!

松屋銀座で開催のアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」展(2024年)、ゴールデンウィーク隙間の平日だし、そんなに混んでないだろうとの読みが甘く、想像以上の混雑ぶり。正直いうと展示を見ているよりも待ち時間が長かったが、あらためて作品の魅力を味わうことができたので良しとしよう。

入場待ち列(のごく一部)

『ぼっち・ざ・ろっく!』の人気を身をもって再確認したわけだが、どうしてこれほどまでに見る人の心をつかむのだろうか。

1つは下記エントリーで紹介したように、主人公・後藤ひとりへの強い共感があげられる。魅力ある作品には魅力ある主人公が必要で、その主人公は視聴者の共感を得られる人物であることが必須条件だ。

『ぼっち・ざ・ろっく!』は共感を呼ぶ主人公を軸に、軽妙なストーリーを生み出す基本構成を作品中にうまく組み込んである。それを参考文献(『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』フィルムアート社)をもとに分析してみよう。

作品中で大事にされている価値観は?

『ぼっち・ざ・ろっく!』は主人公・ぼっちちゃん

  • 内面的葛藤:コミュ障を克服したいが会話を切り出す勇気が出ない、初めてのバイトに行くのが怖い、など

  • 個人的葛藤:バイト中にお客さんの目を見られない、初対面の人とうまく話せない、など

が多く描かれている。
これら描写の背景として大事な価値要素に位置付けられているのは「人との開かれたコミュニケーション」だ。そして、物語中でこの価値が変動する様子は次の図で説明できる。

参考文献『ストーリー』をもとに作成

人とのスムーズなコミュニケーションが実現・維持できている状態をプラスの価値要素とし、その対極にある「孤立」がマイナスの価値要素だ。加えて、プラス状態ではないが対極まで悪くはない価値要素として「疎外/誤解」がある。

主人公(後藤ひとり)はプラスの価値=人との開かれたコミュニケーションを求めて行動するが、その結果が期待通りであったら視聴者にも容易に予想がつくためストーリー展開の面白みに欠ける。そこで、主人公のアクションに対するリアクションは予想を裏切る結果とするのが肝で、それが相反や対極の状態だ。

例えば、クラスメイトに声をかけてもらいたくてギターを持ち、バンドグッズを身に付けて登校するが、期待に反して誰からも何のリアクションもない。これが対極の「孤立」状態だ。

「孤立」(アニメシリーズ第1話より)

また、ライブハウスの店長に演奏を認められ「お前のことを見てるぞ」と激励されたのを「目をつけられた!」と誤解したり、自宅に遊びにきたバンドメンバーが妹と仲良くしていることで疎外感を感じたりしている。

このように主人公はプラスの価値要素を獲得するためにある種の期待に基づいて行動を起こすが、その期待とは反した思わぬ結果になってしまう。これがストーリー創作の妙で物語を推進する力になるのだが、作品の面白さを高めるために主人公が経験しうる極限までストーリーを展開しつくすには相反や対極に留まっていては不十分だ。主人公の直面する葛藤を描き切るにはマイナス中のマイナス状態が必要で、参考文献ではそれを「正気を失う」と表現している。

正気を失え!ぼっちちゃん!!

コミュニケーションという価値観を中心に主人公・後藤ひとりを物語で描き切るためにはマイナス中のマイナスである「正気を失う」状態までストーリーを展開する必要がある。参考文献に確かにそう書いてある。ここで説明されている内容は『ぼっち・ざ・ろっく!』と完全に符合している。

参考文献『ストーリー』をもとに作成

ぼっちちゃんが正気を失う様子は作品中に繰り返し登場する。この表現は作品構成の基本原則を忠実に守ったもので、ほぼ人類の歴史と等しい物語の歴史の中で作り上げられてきたストーリーテリングの手法だったのだ。

「正気を失う」(アニメシリーズ第9話より)

『ぼっち・ざ・ろっく!』ではバンドメンバーや家族、ライブに来てくれたファンとの間で良質なコミュニケーションが達成される一方で、疎外や誤解、孤立といった状態を変遷しつつ、時には正気を失う様子が入り混じることでストーリーが展開されている。
こうしたストーリーテリングの原則をまもった構成が作品の面白さの源になっていると思う。

私はアニメシリーズしか見ていないので、この先の原作マンガの展開は知らないが、主人公・後藤ひとりの成長度合いからすると、上述したストーリー展開(人とのコミュニケーション~疎外/誤解~孤立~正気を失う)はしばらく続くだろうと予想する。
そうしたストーリー展開での様々な葛藤に直面してぼっちちゃんが確たる成長を遂げたとき、作品がさらに進歩するためにはストーリーの新たな軸を設定する文字通りの新展開が必要になるはずだ。

とはいえ、当面は後藤ひとりが成長していく様子を作品と共に見守る展開が続くことになるだろう。彼女の成長過程を楽しむためにもシーズン2が待ち遠しいのである。

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