人と比較すること

よく「人と比較してしまう」「人と比較するのは良くない!」と聞く。
たしかにその通りだと思うし、実際自分も 比較してしまったときに「自分はなんてダメなんだろう」と落ち込んだりもする。
けど、私は自他共に認める 一周回ってポジティブ人間なので、少し経てばケロッとしてる。

なぜなら、思う存分 羨ましがるからだ。
「ずるい、羨ましい、私も欲しい(やりたい)」
そんな風に、駄々をこねる。
そうやって素直に自分の気持ちをさらけ出すと、楽になる。
「比較してしまった」と落ち込むのではなく、全面に押し出せばいいんだ。
押してダメなら引いてみる。
何事もそうだろう。
この場合は逆かな。
引いてダメなら押してみる。
ちょっと大袈裟に、自分の気持ちを吐露すると、良い意味で諦めがつく。

諦めがつかないときもある。
そんなときは「どうしたら近づけるだろう?」と考える。
完璧にそれを手に入れるのは無理だとして、どうしたら自分の納得できる地点まで近づけるだろう?と考える。
そうやって具体的な方法を考え始めると、案外 人はネガティブなことを忘れてしまう。
極論、ネガティブなことを考えるのは、暇だからだと思うよ。

暇じゃないけどネガティブだよって人もいる。
たぶんそれって、いろんなことを自分で決められない環境にいるからだろうなって思う。
それは結局、脳が暇してるってことだと思う。
家族関係でも、学校でも、職場でも、裁量権が少ないから 脳みそが暇してるんだ。
裁量権の多さで、人の幸せは決まるって 誰かが言ってた。
その通りだと思う。

だからって、ネガティブが悪いことだとは一言も言っていないので注意してほしい。
ネガティブにならないように動き続けてる人がいるけど、そういうのは、臭いものに蓋をしてるだけだと思うから。
私は、ネガティブも好きなんだよ。
とことん自分の闇にしがみつくのも、楽しいっちゃ楽しいんだよ。つらいけども。
なんか、いいじゃん、悲劇のヒロインみたいで。
たまには悲劇のヒロイン気取ったっていいじゃない。

何事も大事なのはバランスだ。
ネガティブ過ぎもよくないし、ポジティブ過ぎもよくないと思う。
そのことに無理をしていないなら いいけど、無理をしてないなんて本当かなあ?と疑ってしまう。
特に、ポジティブ過ぎな人を見てると 疑ってしまう。
まあ、私は明るいポジティブ(?)にはなったことがないから、本当に無理をしてない人もいるんだろうけど。
暗いポジティブだから、どうにも信じられない。

ネガティブ過ぎなのも、無理してると思うよ。
そう言うと「そりゃ、ポジティブになれるもんならなりたいよ!」「ネガティブなのはつらいに決まってるじゃないか!」という声が返ってきそうだけど、そうじゃない。
自分はネガティブという性質を持っているのに、ネガティブをまるで悪いことかのように言ってるのが 無理してるって言ってる。
もう、わけわかんないかもしれないけど。
物は使いようってこと。

ネガティブだって、良い風に働くときはたくさんある。
一番のメリットは、リスク回避できることだ。
そりゃ、ネガティブ過ぎて リスクじゃないものまで回避しちゃうから、悪いことみたいに思えるけど。
「ネガティブも、悪いことばかりじゃない」って思えるだけで、少しポジティブが混ざって バランスが良くなる。

そう思えないから、ネガティブなのかもしれないけどね。
まあでも、正直 私は、本当に嫌だと思ってるなら 少しずつ行動をすると思ってる。
「ネガティブも悪いことばかりじゃない」と思えたことくらい、思い返せば あるはずだもの。
ネガティブであったおかげで、親の機嫌を最小限に損ねずに済んだかもしれない。
ネガティブであったおかげで、浅くも 広い交流関係を結べたかもしれない。
あるいは、友人が少なかったことで 嫌な思いをせずに済んだかもしれない。

こういったことを思い返そうともしないなら……少しも行動しないなら、その人自身がネガティブでありたいんだなと思うようにしてる。
そしたら、他人にはどうすることもできない。
本人が望んでネガティブになっているのだから。
それも一種の、一周回ってポジティブだと思ってる。

話を最初に戻そう。
つまり「人と比較するのは良くない」と思ったり「ネガティブなのは良くない」と思ったりすることが、良くないのだ。
人と比較してしまう……それは仕方ないことじゃないか?
ウン千年と昔から、人は人と比べて生きてきた。
だから競争し、悔しんで 喜んで 分かち合って、進化してきたのではないか。
人と比較するのが良くないなら、なぜ この世に徒競走がある?
なぜ スポーツのほとんどが 人と比べて争うようにできてる?
比較するのは、人間の性だ。
そんなの、一個人の凡人がどうにかできるレベルの問題じゃない。
遺伝子操作かなんかして、人体改造して、ロボットか何かにでもなれば別なのかも。

まれに、競争を本当に嫌う人がいる。
それはたぶん、進化系と思う。
自分がダメなのではなく、周りがすごいのだ。

人がネガティブなのは、わりと普通のことなんだよ。
だって、牙も ろくな爪も持たない人類が生き延びたのは、リスク回避が上手だったからとも言われている。
ポジティブなことよりネガティブなことの方が何倍も影響を受けやすいと言う。
それは、リスクを回避することが最も重要だからなのではないか?

こんなことばかり言って、自分の短所を認めないのも違うと 知ってる。
開き直って、現実から目を背けるのも、あとで必ず痛い目に合うだろう。
やっぱり、大事なのはバランスだ。
短所は、短所として受け止めて、どうしたらカバーできるか考えればいい。
ネガティブ過ぎて、リスクじゃないものまで回避してしまうなら、自分のなかで基準を決めて ルールをつくって それを守るようにすればいい。
線引きしておけば、慣れてくれば 自動的に 仕分けられるようになる。

「これは自分にとってのリスク。これは違うから 怖いけど、ルールだから守ろう」と。
短所に向き合うとき、必ず どこかしらで勇気は出さなきゃいけない。
でも、その勇気を出して行動したときの喜びは、とてつもない。
どんなに小さなことでも、その喜びはとてつもない。
普段挨拶しない人に挨拶をしてみる……たったこれだけのことでも、とてつもなく嬉しかったりする。
「そんなこと」って思われるかもしれない。
でも「そんなこと」すらできなかった自分が、できたのだから 素晴らしいことじゃないか。

結局、害なのは、自分の気持ちを否定し 隠すことなんだ。
自分の気持ちを否定するから、苦しいんだ。
いいじゃないか、つらいものは「つらい」で。
そのあと、動けばいいんだから。
つらいことに無理やり蓋をして、無理やり体を動かしたら、そりゃあ 壊れてしまうよ。
人と比較してしまうなら、思いっきり「ずるい!!」って叫べば良い。
できるなら「どうやったらそうなれるの?」って聞けば良い。
そりゃ、言い過ぎは相手の負担になってしまうから、ほどほどが一番だけど。
鬱憤を心のなかに溜め込むより、一万倍良い。


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