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清華のデモから1週間-起こったこと/感じたこと-

清華大学1年のももこです。

先週、2022年11月27日、清華大学内でデモが起こりました。

それから1週間。
たった1週間しか経っていないにも関わらず、私の日常は急変しました。

このnoteでは、1週間のうちに清華大学で起こったこと、そして自分が感じたことを書こうと思います。

いつか、いつか、このnoteを見返した時に「こんなことあったなぁ」と懐かしく思える日々が訪れますように。

1. この1週間で起こったこと

2022年12月現在、中国は混沌とした状態に陥っています。

11月24日(木) ウルムチの火災

中国の新疆ウイグル自治区ウルムチ市のマンションで火災が起こりました。
その火災によって、10人が死亡、9人の負傷者が出た報じられました。

それを契機に、ウルムチでは政府に対する抗議活動が起こりました。

"政府に対する抗議活動"

中国ではなかなか見慣れない言葉です。
単なる火災では、ここまでは発展しません。

実は、火災が起こったマンションは中国政府のゼロコロナ政策により、部屋のドアや非常口の扉が封鎖されていました。(ネットではその写真も出回りました)
そして、ロックダウンも続いていたため、消防車もすぐにマンションに到着することができなかったのです。

これを受け、ウルムチで大規模な政府批判を叫ぶ抗議活動が起こりました。

11月25日(金) 上海にまで広がる抗議活動

ウルムチの火災による抗議活動は、中国の他の地域にも広がりました。

上海には"ウルムチ通り"という名の通りがあります。
火災の翌日、25日。上海のウルムチ通りで、若者を中心とした多くの人々が火災の犠牲者を追悼しました。そして、同時に抗議デモが起こったのです。

上海のデモでは、”白紙”を持った人が多くいました。
「政府に対する直接的な批判はできない、でも訴えたいことがある」
そのような意味を込めて、彼らは"白紙"を持っていました。

11月26日(土) 一連のニュースへの規制

火災を契機に起こった上海・ウルムチ通りでの抗議デモ。
この様子は中国のSNS上でも瞬く間に広まりました。

しかし、そのニュースや映像、画像は既に政府からの検閲を受け、見ることはできなくなっていました。

規制を受けたニュースページ

11月27日(日) 清華大学でデモが発生

昼ご飯を食堂で食べた帰り、近くにあるもう一つの大きな食堂の前には多くの人がいました。

なんだか、いつもより賑わってるな。
と思った直後に、黒い車が食堂の前に止まり、職員らしき大人たちが学生に向けて何か呼びかけ始めました。

左に蛍光色の服を着たスタッフが学生を誘導している姿が見える

不自然だ。
なにかがおかしいと感じた私は、そばで食堂を見つめていた中国人の女の子に声をかけました。

「何か食堂で起こってるの?」
「数人の学生が食堂の門の前で白紙を持っているんだよ」

ウルムチ火災の犠牲者への追悼?
まさか、政府批判?
清華大学で、、?そんなことある、、?

清華大学は、現在の共産党のトップである習近平の母校です。
中国で最も共産党に近い学校と言っても過言ではないでしょう。

そんな清華大学でデモが起こっている。
それは、日本人の一留学生、中国に到着してまだ2ヶ月も経っていない身でさえも"異例"であることだと分かりました。

食堂の門の前へ行ってみると、数人の学生が門を塞ぐかのように一列に立っています。そして、彼らは”白紙”を持っていました。

私は見ていませんでしたが、最初に抗議を始めたのはたった一人の女の子。
その時から職員から注意をされたそうですが、その女の子の姿を見て、同じように白紙を持った学生たちが隣に立ち始めていつたそうです。

小さいが、奥に白紙を持っている複数の学生の姿が確認できる

周りには、人、人、人。
彼らが抗議活動の参加者なのか、ただの見物人なのかは分かりません。

その人数はどんどん増えていきました。
最終的に、見物人合わせてここまで多くの人が食堂の前には集まっていたようです。

weiboに上がっていたデモ最中の食堂周りの様子(現在は削除済み)

中国のTwitter的存在であるSNSのweiboで"清華大学"と検索すると、多くの人がリアルタイムで投稿していることが確認できました。
しかし、それらは一瞬のうちに見ることができなくなってしまいます。

多くの投稿は学生の行動を賞賛するものでした。
「ついに清華大学が立ち上がった!」
(白紙を持ってデモを先導していた多くが女子学生だったため)「清華女子大学に名前を変えなよ!」
というようなコメントが散見されました。

私が驚いたのは、学生たちの行動だけではありません。

デモが発生した日の夕方には、清華大学が翌日の28日に大学と学生の間で"公開討論"を行うことを発表したのです。

以前から中国政府の意思決定スピードの速さは常々感じていましたが、大学もそうなのかと驚きました。
同時に、この件の"重大さ"も改めて認識させられました。

11月28日(月) 大学の指示により帰省する中国人学生たち

この日からキャンパス内で多くのスーツケースを持った中国人の学生を見かけ始めました。

寮の前でスーツケースを持っている学生

大学側が学生に対して帰省を呼びかけているそうです。

「感染者数が増えて北京がロックダウンになったら、春節の時期に帰れなくなるから今もう帰るんだ」
と彼らは言います。

事実、北京の感染状況はかなり悪いため、清華では26日から学期末まで授業が完全にオンラインに移行しました。キャンパスからも出られません。
帰省しても特に支障は無いでしょう。

でも、これ以上清華でデモを起こさせないために大学は学生たちに帰省を促している、という噂も聞きます。

本当のことなんて、みんな分かりません。

ただ、私にとっては、せっかく仲良くなり始めた中国人の友達がみんなキャンパスからいなくなってしまう、悲しい日々が始まりました。

11月29日(火) 履修中止/成績に関する措置の実施

オンライン授業への完全移行、学生の帰省を受けて、既に過ぎていた"講義の履修を中止にできる期間"が再度始まりました。

また、清華には講義の成績のつけ方が二種類存在します。
"GPA(4段階の全体の成績評価)に加味されるもの)"、もう一つは"GPAに加味されないもの"です。

前者は、A,B,C,Dという形で表されます。
後者は、Pass(合格)かFail(不合格)のみで評価されます。合格すれば単位が出るだけで、GPAには影響しません。

もちろん、学生にとっては"P/F"評価の講義は楽な講義、いわゆる楽単です。そのため、"P/F"評価の講義の数は非常に少なく、必修科目は絶対に"P/F"評価の対象にはなりません。

しかし、今回の措置では、
「履修中の講義の中で、2つまで"P/F"評価に変えることができる。必修科目も対象。」
と通知されました。

履修中止期間の追加、P/F科目の選択に関する成果からの通知

多くの課題に苦戦していた私含め、学生はお喜びです。

これは、公開討論での学生の要求を受けて決まったことと清華は発表しています。

しかし、本当にオンライン授業移行に対する措置なのか、単なる学生のガス抜きなのかは分かりません。

11月30日(水) デリバリー注文の禁止

多くの学生から落胆の声が上がる措置が通知されました。

デリバリー注文が禁止になってしまったのです。

デリバリー禁止に関する清華からの通知

デリバリーを注文すると、それを運んでくる配達員が大学構内に入ることになります。
これまでも、配達員の陽性が確認された時は、それを頼んだ学生とその学生のルームメイトがキャンパス内の寮から離れた場所で隔離されていました。

そして、PCR検査場も変更になりました。
それまでは、屋外にあるバスケットコートのスペースで受けていたPCR検査が広い体育館に変更になりました。

新しいPCR検査会場

体感温度マイナス16度の中、外で並んでいたため、室内に移動になったのは嬉しいことです。
しかし、毎日受けに行けなければいけません。

変更になったのは、場所だけではありません。
学生が住む寮によって、決められた列でPCRを受けることになりました。
(写真に列ごとに看板が立っているのが確認できます)

ちなみに、清華で行われているPCRは日本で行われているものと少しシステムが異なります。
"十混一"と言う、10人の検体をまとめて検査し、陽性反応が出たら個別に検査して陽性者を見つけるというシステムです。

そのため、自分が検査した時に同じグループに入った残り9人の誰かが陽性だった場合は、"陽性疑いのある人"となります。

これだけ聞くと特に問題は無いように感じますが、"陽性疑いのある人"になってしまうと、寮の中で該当者が住んでいる階が封鎖になったり、該当者が働いている建物が封鎖になってしまったりと、余りにも過剰に対処されてしまうのです。
そして、感染が拡大傾向であれば、"陽性疑いのある人"は大量発生し、大量封鎖となります。

12月  1日(木) 無料の食事提供/チャーターバス予約の開始

この日から食堂では、全てのメニューがプラスチックの容器に入ってテイクアウト用になっていました。

テイクアウト用のみの販売

そして、12月1~5日の期間、食堂の一部で無料の食事が提供され始めました。

無料のお弁当。左がサンプル代わりになっている。

微妙に短い期間を考えると、不満が募る学生のガス抜きとしか思えませんが、ありがたく頂いております。

また、帰省する学生のために、無料のチャーターバスが手配され始めました。
空港や駅に向かうバスが毎日発車しているのです。目的地は16つの中から選ぶことができます。

北京西駅/北京駅行きのチャーターバス

デモが起こってから、ほぼ毎日コロナ関連の措置が取られていますが、流石に無料のチャーターバスの手配には驚きました。
どれだけ学生を帰らせたいんだ、、と思わずにはいられません。

12月  2日(金) 北京から離れる留学生たち

帰省する中国人学生の動きは、留学生の間でも見られました。

多くの留学生は中国内に親戚の家があります。
その親戚の家に行こうとしている人もいたり、帰国する人もいたり。

決して、大学側が促しているわけではなく、親戚や家族から「北京から早く離れなさい」と言われているそうです。

寮の廊下にもスーツケースが並んでいます。

そして、今日、私のルームメイトからも親戚の家に行くことになったと伝えられました。

ものすごい仲が良いわけではありませんでしたが、
共に朝型で生活リズムが似ていて、たまに恋愛トークで盛り上がったり家族の話をしたり、
とにかく居心地の良い存在でした。

二人部屋から一人に、、寂しくなります。

12月  3日(土) 寮の一部が封鎖

午前中、寮のアナウンスが鳴りました。

"陽性疑いのある人"が出たため、寮の3階、7階、10階の一部の部屋が封鎖になった、とのことでした。

この封鎖がいつ解除されるのかは明確には分かりません。

私が住む寮が封鎖になったのは初めてです。
ついに来たか、と思うと同時に明日は我が身だとも感じました。

2. 自分の中の変化

それでも日本には帰りたくない

清華でデモが起こった27日、私は「なんだか大変な時に中国に来てしまったようだ」と思っていました。

ロックダウンになるかもしれない深刻な感染状況、デモに揺れる北京。それでも、

やっと始まった中国留学、清華に到着してまだ1ヶ月。

日本に帰りたい気持ちは1ミリもありませんでした。

みんな、みんな帰省しちゃう

28日、自分が清華で一番仲良くしていた中国人の友人(H君)が帰省することを知ります。

彼はスペイン語の講義のクラスメートでした。
彼と、もう一人の中国人のクラスメート(M君)、マレーシア人の留学生、そして私の席が近く、よく4人で話していました。

M君が、H君が帰省する日の昼に火鍋を4人で食べに行こうよ、と提案してくれました。
中国人の友人と火鍋を食べられるなんて!嬉しい!
舞い上がっていたのも束の間、なんと数時間後にM君の近くで陽性者が出てしまい、次の日にM君が先に帰省することになってしまったのです。

その次のスペイン語のクラスの時は、既にM君が北京を発ってしまった後でした。
(H君の最終日に残った3人で火鍋を食べに行こうとしましたが、キャンパス内の火鍋のレストランも営業停止になっていました。。)

彼ら以外にも、wechatのモーメンツ(タイムライン機能)で立て続けに帰省を報告する友人たち。

流石に、これは予想外でした。

中国にいる意味、ある?

オンライン授業になっても、キャンパスから出られなくなっても、キャンパスには中国人の友人が多くいました。

清華に到着して1ヶ月しか経っていませんでしたが、

授業終わりに毎週ご飯を食べる友人もできて、
お酒に付き合ってくれる友人もできて、
「桃子と出会ったから日本語を学びたい」と言ってくれる友人もできて、

課題がどんなに辛くても、彼らがいるから頑張れていました。

彼らが帰ってくるのは、春節を越して、大学が始まる来年2月末。
3ヶ月は会えません。

元々冬休みに帰省することは分かっていましたが、その間は中国国内を旅行しようかと思っていました。

しかし、今はキャンパスからも出ることはできません。

キャンパスからも出られない。
"陽性疑いのある人"に自分/周りがなったら、寮からも出られない。
中国人の友人はいない。

中国にいる意味、ある?

と流石に思ってしまいました。

もう、私は日本に帰りたい気持ちでいっぱいです。
清華でデモが発生し、「それでも帰りたい気持ちなんて1ミリもない」と思ってから3日後のことでした。

メンタルを回復させる方法が分からない

ここから、少しずつメンタルが弱っていくのが自分でも分かりました。

課題をやっている最中も、突然悲しい気持ちに襲われて涙が出てくる。
1日に何回も泣いてしまう。

暴食してしまう。
まだ胃に残っているのを感じたり、既にお腹がいっぱいで苦しいくらいなのに、脳が食べ物を欲する。
食べすぎて、苦しくなって、鏡を見るたびに「また太った」と落ち込む。
お腹は空いていないのに、ご飯の時間になると食べずにはいられない。

全ての課題に対するやる気が失われる。
やらなきゃいけないと分かっていても、一切やる気になれない。
放心状態になってしまう。

完全に負のループに入っていることが自分でも分かりました。
分かっている、分かっているけど、どう抜け出せるのかが分からない。

日本の友人には弱音を吐きたくない。
到着して1ヶ月、清華に自分の弱みを完全に見せられる友人も少ない。

メンタルが安定している時は、
「どうしたものかなぁ」と他人のことのように考えるのです。

今は、回復方法を模索中です

流石にこのままではまずいと思い、これまでは「頼ったら負けだ」と思っていた存在に頼り始めました。

  • 日本人の友人をご飯に誘う

留学中なんだから中国人と仲良くするんだ!と思っていた私。でも、日本人の友人とご飯を食べると心は軽くなります。

  • 日本にいた時の友人と電話をする

頑張ってこい!と送り出してくれた日本にいる友人たち。今まで、どれだけ辛くても彼らに頼ってはダメだと頑なに自分から連絡するのを拒んでいましたが、「電話してもいいですか」と連絡しました。
「もち!何時が良い?」とすぐに返事をくれた時は、思わず涙が出てしまいました。夜遅くまで付き合ってくれて、ありがとう。

  • モヤモヤとした気持ちを言語化する

SNSには、弱音を書かないようにしようと決めていました。決して自分だけが辛いわけではないので、それを不特定多数の人に公開するのは如何なものかと思っていたからです。
でも、弱みを見せることにしました!このnoteもそうです。
清華で起こった事実だけを最初は記録しようと思いましたが、改めて自分のモヤモヤとした気持ちを言葉にすると少しクリアになります。

楽しいことないかな〜?

これまでは、中国人の友人とのコミュニケーションを楽しみにしていました。
彼らとの会話を通して、中国を理解すること、日本の話をすることが本当に楽しく、嬉しかった。

何よりも、中国に留学している意義を見出せました。

そして、彼らの方言訛りの中国語を段々と聞き取れるようになったり、少し深い話ができたり、酔っ払った状態で中国語で愚痴を言えたり、

自分の成長も感じられました。

今は、他に楽しいことはないかな〜??と模索中です。

もっと留学生の子たちと仲良くなろう!
何かコミュニティに入ろう!
くらいしか思いつきませんが。。

中国語の本を読むことにもチャレンジしたいなぁ。
冬休みに入ったら、今まで見る時間が取れなかった映画も見たい!
あと、自分が達成したい目標も見つけられたので、その分野のリサーチもしたい!(noteでアウトプットしようかな〜!)


感染状況が良くなる見通し、自分の生活がキラキラと楽しいものになる見通しは立っていませんが、
上手にメンタルコントロールしながら生活していきたいと思います。


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