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大切なのは、目に見えない時間を意識すること ー コルク佐渡島庸平さんにきく自分の時間のつくり方(前編)

漫画『宇宙兄弟』を手がけたのち、2012年に作家のエージェンシーである株式会社コルクを立ち上げ、数多くのヒット作を世に送り出し続けている佐渡島庸平さん。今年5月には、その著書『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ』が出版され、大きな話題になりました。

実は、過去の取材記事の中で、幼少の頃からエンデ作品を読んできたと語っていた佐渡島さん。今回、『モモ』が主題とする「時間」をテーマにお話を伺う機会をいただきました。この記事はそのインタヴュー前編です。

エンデ作品の特徴は、作品の緻密さと世界観の豊かさ

— 本日はお時間をいただきありがとうございます。今回の企画ではミヒャエル・エンデの名作『モモ』をとりあげます。佐渡島さんは、著書や公開されているインタヴューなどで幼少時からエンデ作品にふれてきたことを語られていますが、『モモ』についてはいかがですか?

佐渡島:
実は『モモ』を手にするのは小6以来なんです。中身については、実はほとんど覚えていないですね(笑)。

—『モモ』をテーマにしたインタヴューとしては、いきなり厳しい返答ですね(笑)。

佐渡島:
エンデ作品の中では、『モモ』よりも『はてしない物語』が好きで。『はてしない物語』の赤い装丁が好きだったのと、ストーリーの展開もとても面白くて、何度も読んでいます。

それと比較すると『モモ』はそこまで印象に残っていないのかもしれません。ただ、「時間どろぼう」という言葉はずっと覚えています。その言葉だけは、今でも残っていますね。

— 佐渡島さんのエンデ作品全体に対する印象を、もう少し教えていただけますか?

佐渡島:
僕にとってのエンデ作品は、ファンタジー世界への入り口でしたね。エンデ作品をきっかけにして、『指輪物語』とか『ナルニア国ものがたり』のような他のファンタジーに入っていったんです。

作品として捉えると、他の作家の作品と比べて、エンデ作品は圧倒的に世界観が豊かだと思います。

— 世界観が豊かとは?

佐渡島:
イメージしているものが緻密なんだと思うんです。人って、想像の中だと抜け漏れがいっぱいあるけれども、エンデはそれが少ない印象を受けます。

エンデは、作品を書くときにそのイメージとして一緒に絵も描いていますよね。これは私見ですが、エンデ本人が絵を描いているので、自分が表現する世界に対して考えている量が多いんじゃないでしょうか。絵を描くことで緻密にイメージできる。だから描写がうまくいくんじゃないかな。

— 確かに、エンデが描く物語は具体的なイメージがしやすいし、想像力が膨らみますよね。

佐渡島:
『モモ』の場合でいえば、最初の一文で「むかし、むかし、(中略)りっぱな大都市がありました」と出てきて、その次の文には細かい都市の描写がある。「大都市」という言葉だけであれば、そこに宮殿があるのかもしれないし、高層ビルが立ち並んでいるのかもしれない。これは表現していかないとわからないわけです。

彼が作品の中で描く都市しかり、現実にはない世界がエンデの頭の中にはあって、彼にはそれがくっきり見えているわけですよね。その描写が緻密で、私たちの頭の中でも想像できる。それが彼の物語の強みだと思います。

ー なるほど。佐渡島さんのお話を伺いながら、改めてエンデ作品の描写の緻密さと、そこに想像力を受け入れるゆるさのバランスが絶妙だなと感じました。

時間は必ず何かとトレードオフになっている

—「時間どろぼう」という言葉についてもう少しお話を伺いたいです。佐渡島さんのnoteの記事などを読ませていただくと、「時間」に関する記述が多いなと感じます。
『モモ』の主題の一つも「時間」ですし、佐渡島さんも「時間どろぼう」という言葉は印象に残っているとおっしゃっていましたが、佐渡島さんが普段「時間」について考えていることを教えていただけますか。

佐渡島:
「時間」って普段意識しづらいものですよね。目に見えないというか。

例えば6時間あったらやれることはたくさんあるけれど、何もしないこともできる。多くの人は、6時間なら6時間という時間を自分自身でコントロールしようとしない。それによって成果が出ていない人がとても多いと思います。

— 自分の時間になっていない、ということでしょうか。その6時間が誰かの時間になってしまっている、と。

佐渡島:誰かの時間にもなっていないですよね。例えば、体調を崩してしまってベッドで寝ている時間って誰のものにもなっていないわけです。体調を回復するために使っている時間というのが、もはや自分で自分の未来の時間を奪っている。

睡眠のとり方とか、休み方とか、お酒の飲み方とかで未来の時間は大きく変わるのに、そこに気を遣わないで、次の日だったり、1週間後だったり、数年後だったりの自分の時間を奪う行為を平気でやっている人がすごく多いと思います。他人の時間だけじゃなくて、自分の未来の時間を奪うことに対してすごく無関心だな、と。

— とても耳がいたい話です(笑)。

佐渡島:例えば、高校3年生のときに夏まで部活をやっていたとして、そこからの半年間で本気で受験勉強するのかしないのか。それによって、大学4年間の時間のあり方が圧倒的に変わるわけです。

この半年間の使い方によって、少なくとも目に見える形でその先にある時間の質が変わる。半年間はそのための投資の時間ですよね。その時間の過ごし方によってトレードオフにしているものが明確にある。それをみんな全然意識していないんじゃないかなと思うんです。

— 時間は何かとのトレードオフになっていることを意識できていない、と。

佐渡島:お金との比較でいえばわかりやすいと思います。例えば、「ありがとう」の気持ちを表したくて誰かにお金を払うとする。そのときに「僕のありがとうの気持ちは1000円です」と言って1000円払っても、意外と相手の納得感はなかったりする。「俺って1000円の価値なのか」と(笑) 。お金であれば、トレードオフになっている自分の交換価値を考えますよね。

でも、時間については、何かとトレードオフになっていなくてもそれでいいと思ってしまう人が少なくないわけです。確実に何かとのトレードオフなんだけれども。

時間のような目に見えないものに対してどれだけ考えられるか。それによって後々に手にするものが違ってくるのではないでしょうか。

                              (後編に続く)

 2018年11月3-4日には、佐渡島庸平さんらのゲストを招いたプログラム「物語とわたしをめぐる旅ー秋の黒姫で、モモを語る2日間」を長野県信濃町で開催します。詳細はこちらから。

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