小笠原

小笠原諸島の野猫の運命にみた生き直し

生き直し・育ち直しをテーマにいろいろと書いていこうと思って始めたnote

徒然なるままに初投稿をしたい。テーマは「小笠原諸島の野猫の運命にみた生き直し」である。

私は、自分育てのため、旅好きの夫と定期的に旅行をして、普段経験しないことを経験したり、自分の興味をより深めたりして、アイデンティティを描き直そうとしている。

平成最後の夏、私たちは、日本、しかも東京でありながら、とっても遠い小笠原諸島に行ってきた。2011年に世界自然遺産に登録されたあの小笠原である。

冒険心が旺盛な夫にとっては大学時代からの夢。私は、島旅が好きなのと単純に好奇心が旺盛なので、ぜひ夏は小笠原に行こうと夫婦で決めた。そして、年始から計画を練り、行きは台風と追いかけっこしながら、ついに先日上陸し、母島・父島と両方に滞在し、無事東京に帰ってきた。


色々なエピソードがあるが、今回は私が一番シンパシーを感じた「小笠原の野猫」のエピソードを話したい。

小笠原諸島では、捨てられた猫やその子猫が繁殖し、人間から十分な食べ物やケアが与えられない野生化した猫たちが、貴重な鳥であるアカガシラカラスバト等を食べてしまい、鳥の生態系を破壊していることが問題となっている。

それに気づいた島の方々が猫をよもや殺処分するしかないかと悩んでいたところ、東京都の獣医師会の方々の協力を受け、猫を保護し、獣医師が人間との生活に慣れさせた後、里親家庭を探し、猫が人間と暮らせることになったとのこと。


私はこの話にいたく興味を持った。もともと、猫好きというのもあるが、改めて強く興味をもった理由は、猫たちの運命だということに気づいた。

帰りの船を待つ間、父島の図書館でずっと野猫の本を読んでいた。

家猫は、もう大昔から人間と一緒に生活するために進化してきたので、人間と一緒に暮らしてこそ幸せな生活が送れるということ。

野猫たちは、本当は自分より体の大きい鳥を襲うのは怖いという気持ちもあったけれど、餌がなく、生きるために必死で鳥を食べていたこと。

保護された野猫たちは病気をたくさんもっていたり、怪我をしていたりするケースが多いこと。

保護されて間もないころは、人間に慣れず、でも、人間から絶えず愛情を受け続けることで、段々と人間になつき、餌をもらい、人間の膝の上で安らげるようになっていったこと。


心に傷を抱えている方は感じたのではないだろうか。野猫の運命は、虐待サバイバーが安心できる居場所を得て、そこで一生懸命生き直そうとする姿に重なるということを。

もちろん種の違いはあるし、人間は「社会」で生活していかなければならないから野猫と違う問題もある。

ただ、私たち生き物は共通している。食べ物があって安心できる安全な場所があって、初めて自分らしく生きていけるということ。そして、その過程では、できれば愛情を変わらず注いでくれる誰かが必要であるということ。

虐待サバイバーは、せっかく何かを獲得しても、自分で壊してしまう傾向にある。安心できる場所が信じられない。

真に愛情を向けてくれる人に巡り合っても相手を試してしまう。相手の愛情や親切が信じられない、いや、信じてもまた裏切られる、裏切られた時生きていけない弱い自分になる…という危機感がそうさせているのだ。

だって、これまで安心できたことがないから。常に銃弾が飛び交うような家で生きてきたのだから、銃弾が飛び交わない場所に安らぎを覚えるまでは時間がかかる。

だから、相手に無理な要求をしたりして、自分への愛情を試してしまう。当然、相手は戸惑う。が、それでも必ずいる。虐待サバイバーの背景を理解しようと歩み寄り、絶えず愛情を与えてくれる人が遅かれ早かれ現れるのだ。


私は結婚した時、まったく落ち着かなかった。夫はとても穏やかな人である。争いを好まないし、きちんと「生きる」ことが身についている人だ。穏やかな生活、安心できる家、優しい夫、私は、そのすべてがとっても幸せだと頭では理解しつつ、一方で心ではとても恐怖を感じていた。逃げ出したくて仕方のない衝動にも駆られた。とにかく怖かったのだ。

それまで一生懸命勉強をして仕事をして頑張って生きてきたんだ、何とか心のバランスを保ちながら、時には危ないことをして命を削りながらも、何とか一人で生きてきたんだ。

いつもアンテナを張り巡らして、家の中で飛び交う銃弾を避けてきた。何をすれば喜ばれるか、何を言ったら怒られるか、誰かと一緒にいるときは一挙手一投足気を遣わなければ生きていけない。一人暮らしをしてからも、家は仮住まいという感覚しかなく、自分が生きているという実感なんて、薬の過剰服薬をしたときくらいしか得られなかった。

そんな環境に適応していた私は、家で安心していい・安全な家・安定した関係ということが体で覚えられるまで1年半近くかかった。いや、本当はまだ覚える過程に過ぎず、最初よりはずっと慣れてきたというだけである。

そんな私自身と、家猫として生き直す小笠原の野猫の姿が重なった。一方、懸命に変わらず愛情を注いでくれる夫と、野猫を決して見放さなかった獣医さんの姿が重なった。


そうだ、私は家で安心していいんだ。安心できる環境が今あるんだ。

里親家庭で愛情を注がれながら一生懸命生き直す野猫たちが、決して自分の命を投げないのと同じように。私も今ここから一生懸命生きよう。

そんなことを強く感じたエピソードだった。

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