さらりと流れゆく水のように

普段、言葉を当たり前のように使い、noteの世界でも、当たり前のように言葉を綴っている。
生まれてから、ずっと言葉と共に生きてきた。誰かを優しい気持ちにさせる魔法でもあるけれど、誰かを傷つける鋭利な刃物にだってなるのが言葉だ。

今は、SNSなどで誰もが自由に言葉を発信する時代だ。私もnoteを含むWEBの世界で、たくさんの言葉を綴ってきた。
ときに小説。ときにエッセイ。ときにポエム。ときに日記。
さらりと流れゆく水をイメージするような言葉のときもあれば、誰かの心に残ってほしいと熱量を込めるときもある。

小説とエッセイ、ポエム、日記。同じ言葉でも、受け取り方は人それぞれだろうなと思う。

小説は、読むものによって、たくさんのいろいろな世界を見せてくれる。ノンフィクションが好きな人もいれば、恋愛小説を好む人もいる。
私は、書くのは恋愛小説ばかりだが、読むなら断然ミステリー小説だ。なんならいつかミステリー小説を書いてみたいと思っている。だけど私の脳内で生まれたミステリーは、きっとミステリーにさえならないだろう。
妄想が生み出す小説だけど、誰かの心に残るような、そんな小説を書いてみたいと思う。たったひとりの君に捧ぐラブレターのように、想いをこめて。

エッセイは、日常の生活を垣間見ることができる。エッセイで人を惹きつける文章を書くことができる人は、すごいなと思う。
誰にも訪れる平凡な日常の中で感じたこと、私が書くとしたら、きっとそんなテーマばかりだ。誰かのためになることが書けるわけでもない。だけど、小説を書く以上に、私にはそれが難しく感じてしまうのだ。
もっと気楽な気持ちで、日記を綴るように書けたらいいなと思う。でも決して、さらりと流れゆく水のようではなく、手のひらに残る砂のような。

まだ小学生低学年の頃、学校の課題で詩を書いたことがある。今読んだら、特に伝えたいことがあるとか、深い想いがあるとか、そんな意味のある詩ではない。
空に浮かぶ月や星たちを見て、感じるままに書いた詩だった。
ポエムは、私にとってはさらりと流れゆく水のようなイメージだ。
決して、簡単に書いているわけではないのだけれど、すっと心に入り込み、すっと溶けだすような、そんなイメージなのだ。

小説の中のワンフレーズ、エッセイの中のワンフレーズが、心に入り込むことがある。
そのワンフレーズが、ポエムのようだな、と思うことがある。
そういうワンフレーズがある小説やエッセイに、より魅力を感じてしまうのだ。

さらりと流れゆく水のようで、でもそれは消えてなくなるということじゃない。
心の中に抱えているなにかを、浄化させてくれる。

noteでも、ポエムを書いている人はたくさんいる。
短い文章の中で、募る想いを綴り、その想いを許している。
短いからこそ、ギュッと想いを込める。
大切な想いを込めることは、自分自身にしかできないことだ。

ポエムの価値をあげたい。
そんな風に思っている。

明日を笑顔で過ごせるように。
大切な人に、きちんと想いを伝えられるように。
さらりと流れゆく水のように、私は私の恋を許してあげたい。


2020.4.28

画像1


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。