ことばに宿るチカラと優しさ

ことばのチカラを自分なりに考えてみようと思ったのは、ポエムの価値をあげようという、だいすーけさんのこちらの企画がきっかけでした。

書き手として、誰もがことばを大切にしています。
ことばを発することの意味、その重みを考えています。
対面で誰かと話すことばは、その目の前の相手に紡がれたことばですが、note含むWEB上で発することばは、誰もが目にする。だから、誰かにとっては薬となるようなことばも、誰かにとっては、毒になってしまうこともあるでしょう。

ことばを大切にすることは、受け取った相手の存在を大切にすること。大切にしたいという想いから発したことばが、優しくないわけがない。
noteの街の人たちが優しいのは、誰かを大切に想う気持ちで、ことばを綴っているからだと思います。

たとえば、大好きで大好きでたまらない人がいたとします。だけど、なんらかの理由で、叶うことのなかった、大切な恋。

その恋を自分なりに消化して、恋愛小説を書く。もしくは、辛かった事実も含めて、エッセイを書く。抱えきれない想いをポエムの中に込める。
もちろん、直接会って直接伝えることが叶うなら、話は違ってきますが、この「大好き」と想う今の気持ちは、簡単には消滅しない。

消滅しない想いを、書くことで消化できる可能性があります。きっと、小説でもエッセイでも、ポエムでも、それよりも短い呟きであっても、想いをきちんとことばにして吐き出すことの意味。だから私は、そんな想いを大切に、ことばに変えていきたいと思っています。その想いは、不変じゃないから、いつか消えてしまうことがあるかもしれないし、もっともっと深くなるかもしれません。大好きで大好きでたまらない人に伝えたい想いが、たとえ本人に届かなかったとしても、その想いを読んだ誰かのチカラになったのなら、書いていることが報われる気がします。

読み手が受けることばのチカラも、受けるときのタイミングだったり、コンディションだったりで、大きく変わることがあります。
なにもないときには、毒にも薬にもならないことばに、救われるときがあります。人との出会いが奇跡で一瞬のできごとなのだとしたら、ことばとの出会いも同じく奇跡で一瞬のできごと。
そんな人との出会いを大切にするように、自分にチカラを与えてくれたことばとの出会いも、大切にしたい、そんな風に思っています。

ことばは、長ければいいというわけではなく、かといって短ければいいというわけでもないです。
その中に込める想いが真剣なものなのかどうか、そこに愛があるのか、それが大切なことだと思います。

私は、私のことばのチカラを信じたい。
私の想いに、救われたよと言ってくれた彼のことばに、私も救われました。相手を想うことばだからこそ、きちんとその想いは伝わっていく。そしてそれは、何年経っても、心の中にちゃんと残っています。

短さの中に想いを込める。ポエムだからこそ、伝えられる想いがあります。
「月が綺麗ですね」ということばのように。

だいすーけさんの企画に、私もスタッフとして参加させていただくことになりました。
ご参加お待ちしております。

2020.5.16

画像1


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。