美しいだけじゃない、世界の色を知る

少し前まで、#100日間連続投稿マラソン という企画に参加していた。
その企画に参加する前から、連続投稿は続けていたし、今現在も続けている。
もともと連続投稿を続けていた私だったけれど、こうやって改めて「企画」として参加したことで、明らかに自分の意識が変わった。

参加する前の連続投稿は、自分自身に向き合っているとは言い難かった。
過去に書いたものをリライトしただけのときもあったし、日記をつらつらと書いただけのこともある。
そのときの私は、それでもいいと思っていた。言葉でそのときの自分の想いを綴ることに意味があると思っていた。
もちろん、意味がないとは今も思っていない。
毎日何かを書き続けることができるのも、ひとつの自分のチカラだと思っている。

私がずっと、連続投稿にこだわっていた理由は、一度休むと自分自身の糸がぷつりと切れてしまいそうだったからだった。
それは今でもそう思っている。私は、書かなくなったらきっと、次に書くまでにかなりの時間を要すると思う。それが3日でくればいいけど、半月かもしれないし、1年かかるかもしれない。

だから私はずっと走り続けていた。
書きたいことが見つからなくても、テーマを決めたマガジンを作っておけば、そこからテーマを探してなにかを書けばいい。

100日間連続投稿マラソンを始めて、書きたいことが見つからない日がなくなった。
むしろ、書きたい気持ちで溢れて、時間が足りないくらいだった。

丁寧に自分自身と言葉に向き合う。
それはとても時間と労力を要する。
だけど不思議と、書きたい気持ちは止まらなかった。だからマラソンを完走できたし、完走を終えて、今だって書きたい気持ちで溢れている。

自分の気持ちには、旬がある。
いつ公開してもいい感情もあれば、今すぐ公開したい感情もある。
そんな気持ちを大切にしながら、言葉にするタイミングを選ぶ。
それが私にとってのリライトだった。

私はまだ、なにも手にしていない。
ゴールだと思って切ったテープは、ゴールなんかじゃなかった。
だって私は、まだ書きたいのだ。
ずっとずっと、書いていたいのだ。

きっと私は、これからもまだ走り続けるだろう。
何に選ばれなくても、書きたい気持ちは止まらない。
誰に認められなくても、言葉が溢れ出して流れて行く。
それを私はひとりでは抱えられない。
だから言葉を抱えたまま、言葉の海で泳ぐのだ。

溺れてもがいて、苦しんで。
それでも知っている。
私が生きる意味。言葉を紡ぐ意味。

泳ぐのは楽しい。
月が浮かぶ空は美しくて、太陽がのぼる世界は眩しい。
私が見つめる世界はきっととてもちっぽけだけど、空から見た大海原はどこまでも続いている。
夢の彼方まで。

2020.11.14

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#名付け親企画 #Koji心象風景

いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。