カタチのないものに、強く惹かれる

テンプレートって、なにかを創作するという場面では、必要なのか?

もちろん、素人がなにかを作るとしたら、見本だったり、やり方のマニュアルだったりがあったら、挑戦しやすい。

でもそのテンプレートって、最近世界を狭めているものなんじゃないかなって思ってしまう。

好きな絵を描きなさいと言われたとき、テーマが与えられない状況では、なにを描けばいいのか、それを決めるまで、とても悩むだろう。
それは、小説やエッセイでも同じだ。好きなものを書きなさいと言われて、すぐに取り掛かれる人は多くはないと思う。
テーマがあれば、少なくともなにを書こうか、描こうか、とっかかりがある。だから、一歩を踏み出しやすい。

だけど、それはあくまで、テーマだった場合。
テンプレートになってしまうと、また世界が狭まってしまう。
求められているものの過程や答えが決まっているテンプレートに、その人らしい個性はいらないものでしかない。あくまでも、私自身の考え方だけど、あらすじという名のテンプレートが決まってる状況で、なにかを書いても私は楽しいとは思えなかった。

りんごを渡されて、りんごをスケッチする。
そのりんごが、どんなに絵の上手な人だったとしても、写真と比べ物にならないくらい、美味しそうだったとしても、私はそのりんごの絵の中に自分らしさを残したいって思う。
たとえば、ほうきに乗った魔女がりんごをかじっているところとかね。

私が書く物語は、ハッピーエンドが多いけれど、ハッピーエンドのカタチはひとつじゃない。だから、私は私らしく、私の世界を描きたいし、テンプレートじゃない作品を作りたいと思っている。

カタチのないものに強く惹かれる。
次の瞬間に、簡単にカタチを変えてしまうものに強く惹かれる。

見たままじゃない、心象風景。
そういう感覚を大切にしたい。

だからきっと、Kojiちゃんのイラストに強く惹かれるんだって思う。

そして、それはきっと一言では言い表すことのできない感情に、丁寧に向き合い、言葉を紡いでいくということでもある気がする。
その感情には、少しずつ、言葉で色を塗っていけばいい。ときには重ね塗りをして、自分だけの色を感情に塗っていく。

カタチのあるものは美しい。けれど、カタチのないものに色を塗っていくのは、自分を表現すること。

私は、私の感情に丁寧に向き合う。
そして言葉を綴っていきたい。
テンプレートにはまった物語なんていらない。私には私だけの人生の色とカタチがある。


2020.10.23

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いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。