メモ#4保育士の給料をあげるには ベーシックインカムとウーマン・リブ

人間が(これから)生きていく上で必要な活動を、すべて有償にすればよいのでは。
すべての人間(すくなくとも家庭)が、ハウスキーピングしていくために必ず家事労働が必要=その労働分のお代をもらう=実質、ベーシックインカム

てか労働に対する対価、
でお金を得るシステムに社会がなってるなら、(資本システムは別)
家事労働だけ「無償が当たり前」とみなされてたのは、
ガーナでほぼタダ働きでカカオ作らされてた子供たちへの人権侵害と同じ意味で、家事する人(仮に女性が多いとする)の人権を侵害している

*人間(←でかい方の主語、a personではなくhuman being)が生きていく上で必要な活動とは
→①この社会を維持していく②未来をつないでいく
①企業とか、いわゆる経済活動一般
②子育て、介護とか家庭内レベルで各自負担になりがち←こっちも経済活動に含めろよ!

だから、保育士の給料を上げるには、
子育て・家事が労働だと社会が認めること。それらの価値を公平に金に換算できるやり方にすること。

家庭で子育て、家事労働を行なっている人(女性がマジョリティ)に、何かしらの対価を払う(一旦、お金だとする)→その分の支出を国が経済活動をしている企業などから吸い取る→(男性が多いため、相対的に子育て、家事の必要分をこなしていない男性たちは、対価を払わなければならなくなる)→彼らの所得がへる。→その分、「無償労働」を行わなくてよくなった女の人たちが、労働に対して対価をもらえるようになる=標準の家庭では、男性が減った分の所得を補う形。

→保育や介護に対しても、見合う価値の対価が払われるようになる。

冷徹に経済面だけ考えてもさ、
将来花咲く子供達を育てる、その育児コスト(保育士、母親の仕事とされる)は働き盛りまですくすく育ってくれたら何倍かになって社会に還元されると考えられるはずだし、
介護は、(経済面から)一時的に切り捨てることはできても、人の生命が循環型であるかぎり、いつかは(コストをかける側として)自分の番がやってくる、全ての人にとって自分ごとであるはずだから、ここのコストを計上しないのは不自然、というか必要事項でしょう、と。

まあつまり何がいいたいか、ちょっとずれてきてしまったけれども、
ベーシックインカムはウーマン・リブとか、ケア業界賃金是正において有効かもよ!って思ったってこと。

論拠となるデータとか、そういうんなくて肌感覚よりの話だから、
ただの自分メモ。

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