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生き急がなくていい、たまには空飛ぶ鳥を見てアスファルトに咲く花を見よう

東京都新宿。
前から来る人々とぶつからないよう歩く。
すると後ろから先急ぐ人に押される。
と思いきや横からくる人に突進。
道がわからず止まろうもんならどこからか舌打ちが聞こえてくる。
私は急いでいないのになぜか急がないといけない気持ちで気づけば足早になっている不思議な場所。

迫り来る障害物を瞬時に避けなければレールから外されてしまうゲームのようだ。

「東京の人は生き急いでいる」
ここにくる前よく耳にしたフレーズ。
生き急ぐとはなんだろうか。
当時はのどかな田舎で育ち、土日であろうと商店街は静かで年に一度のお祭りのときだけ人の多さに圧倒されるような場所で育った私からしたら東京での生活なんて想像もできなかった。

東京に来てから、通勤で毎日電車を使いぎゅうぎゅうの圧迫される箱に詰められて移動する日々を過ごして1ヶ月で思ったことは「こんな時間を長く経験したら人間じゃなくなっちゃう」だった。
なんかここにい続けたら性格が悪くなりそうとも感じた。
最初の頃は左右に揺れ動く電車内で何にも掴まずに立っているのは困難で、余裕そうにスマホを見ている人が不思議でならなかった。
何度もバランスを崩しそうになり、ほぼ密着していると言ってもいいくらいの距離の人たちに迷惑をかけた。
それも慣れとは怖いもので、1週間も経つと私もスマホに目を落としている。
東京の電車に乗ると嫌でも体幹は鍛えられる。
そして目的の駅に着くと、みんなスーパーの特売に急いでるのか?という勢いのスタートダッシュ。
エスカレーターの右側に入ってしまった矢先には長蛇の列の横を颯爽と歩いて上がり続けなければならない。(エスカレーターは歩いちゃダメだぞ☝️)
少しでも歩みを止めようものならため息や舌打ちが聞こえ、当たり前のように押される世界。
最初はこの歩みを止めたら罪のようなこの環境が怖くてたまらなかった。
しかしこれもまた次第に「これが都会の普通なんだ」という脳になっていく。
駅の改札付近でスマホを見ながらゆっくり歩いている人に目の前の歩みを遮られると少しイライラしてしまう自分に気づいた時に自分が怖くなった。

みんな険しい顔をして労働に向かう。
生活のためにそれが当たり前になっているんだよね。
前を向いて歩き続けなければ遅れをとって、後ろから押されて弾き飛ばされて、いつしか流れに乗れなくなる。
そう思って必死に周りに合わせて流れを乱さないように必死に前を向いて歩み続ける。

でもたまには立ち止まって空を見上げて、自由に飛んでいる鳥の姿を追いかけたいし、たまには道の亀裂から逞しく咲く花を見て愛でたい。
人々の流れに乗ることに必死で、ふとした光景から得られる幸せや偶然見つけた素敵なお店、たまたま出会った路上ライブをしているシンガーソングライター、日常を彩ってくれるものたちと出会わないまま年をとる。
日々の忙しなさで息をすることもうっかり忘れてしまうくらいのこの世の中で、流れから少し外れて、大きく深呼吸をするときもあってもいい。

そうじゃなきゃ、自分にも人にも優しくできなくなってしまうから。

東京での生き方、まだまだ模索中。
人にも自分にも優しくありたい。

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