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記憶を呼び覚ます「ブルースト効果」涙の日。

鼻くそをほりすぎて、鼻の中に傷ができたようだ。
くしゃみをしたら、その異物(傷がかさぶたになった部分)から痒みがうまれ、思わず鼻をつまんだ。
すると、指先から予想外の悪臭がした。
まとわり付くような匂いだ。
あまりの臭さに驚いた私は、指先を見つめた。
何もついていない。
もう一度指先を鼻に近づけ匂う。
く、くさすぎる。
種類で言うと肛門系、うんこ類だ。

記憶を手繰り寄せ、匂いの出処をさぐる。
夕飯はイエロカレーだった。そうか、これはナンプラーだ。
食後テーブルに置きっぱなしだったナンプラーを冷蔵庫に戻す際、半分蓋が空いてたっけ。それを閉める時にナンプラーが手についたんだ。

「・・・ブラ」
声には出なかったものの、頭の中で浮かんだ二文字。

ブラジャーの略、ではない。ちんちんブラブラの、ブラでもない。

ブラはブランデーの略。
洋酒好きの父が、毛色がブランデー色だったことから名付けた我が家のアイドル芝犬の名だ。

昨年11月。
ブラは私の帰国を待っていたんだろうか。
家族が見守る中で静かに命の終わりを迎えた。

私がブラと出会ったのは17年前。
実家の近くでひとり暮らしをしている時のこと。
久しぶりに実家に行くと、母から犬を飼おうと思っていると聞かされた。
知り合いから「子犬が生まれたのだが、一匹だけ貰い手がいなくて困ってる」と相談されたそうだ。
当時父には持病があり、健康のための散歩が日課となっていた。その相棒に犬を飼いたいと父が日頃から言っていたこともあり、これも何かの縁、そう思った両親は迷わず犬を迎え入れることにしたのだった。

その一週間後、ブラが家族になった。
儚い命。
小さなブラを見る度に、いつか来る別れを想像した。そしてその悲しみを払拭するかのように、本能がおもむくままにブラを溺愛した。

行きつけが居酒屋からペットショップに変わり、ブラを撮影するためにビデオカメラも購入した。週末は一緒にドライブに出かけ、ドックランで遊んだ。半年に一度は両親を誘い、ブラとともに旅行もした。
プールで泳ぎを教えたこともあったっけ。

その日からずっと、ブラは間違いなく私の相棒だった。人に悩みを相談できない性分の私が一番悩みを吐露したのはブラだった。
ブラがいたから乗り越えられた日々が確実にあった。


そして大切なブラは数年前、腎臓を悪くした。
一昨年「半年はもたないかもしれない」と獣医に告げられた。

あれから一年。

きっと私達が帰るのを待っていたんだろう。

帰国した時のブラは寝てばかりだった。大好きだったご飯もほとんど食べず、口を開ければ悪臭が漂った。
歯周病の匂いと腎臓の病気の影響だそうだ。
次第に嘔吐を繰り返すようになり、同じ場所をくるくる回り出した。
きっと痛みや気持ち悪さで不安だったんだろう。
友人と飲み歩く予定も旅行もキャンセルし、ずっとブラと一緒に過ごした。三日に一度は病院に連れて行き、点滴をしてもらう日々。
もうとっくに耳も聞こえず、目も見えなくなっていた。

どんどん様態が悪くなっていく。
「ブラは生きているだろうか」から始まる朝。
急いでブラの寝床に向かい、呼吸を確認する。
ご飯も自力で食べれなくなり、注射器で与えるようになった。それすら吐いてしまい、動物病院へ通う日々。最後は点滴だけで生かされていた。
延命治療。
ブラにとって最善の選択といえるのだろうか。ブラを苦しめているだけかもしれない。私のエゴじゃないだろうか、そう葛藤したがそれ以外の選択は私にはなかった。

その日は秋晴れの澄んだ日だった。
庭でブラと寝っ転がって日向ぼっこをしていた。太陽に照らされたブラの身体をなでると、香ばしい、生きている匂いでいっぱいだった。
ブラの首に、ピンクのリボンを巻いた。
「可愛いね、ブラ」そういうと尻尾をパタパタ動かした。
珍しい出来事だった。

お別れの挨拶だったのかもしれない。

日向ぼっこをしていたブラが突然立ち上がり、また不安そうにくるくると回りだした。横にしてあげると嘔吐。そのまま呼吸が激しくなった。身体が硬直し、次第に呼吸が弱くなり、その間隔も長くなった。

家族全員に見守られながら逝ったブラ。
最後まで凛々しい姿だった。
頑張らせてしまってごめんね。

ブラは生きたことが楽しかっただろうか、幸せだっただろうか。

私はブラに与えてもらってばかりだったなあ。

ブラの死からちょうど3ヶ月経った一昨日。

偶然だろうか。
気がついてしまったのだ。
ナンプラーの香りがまさにブラの口臭そのもののだと。

だから今日も私はナンプラーに手を伸ばす。
その臭さに悶絶しながらブラを想い涙する。
リビングルームに充満する肛門臭。
嘔吐しそうになる息子達。
鼻を詰まんだ娘が「まじでキモい」と軽蔑してくるが、そんなことはどうでもいい。

ブラを絶対に忘れない。
肛門系、うんこ類の悪臭で肺を満たす喜び。
こうやって私は人生のあらゆるところでブラを身近に感じて生きていく。

ブラ、17年間本当にありがとう。
ずっと、ずっと、大好きだよ。





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